私は、自分のアメーバ・ブログ(現在は、もう消滅している)において、
「サッカー評論家、結城康平を批判する。ポジショナルプレーについて解説する」
という記事を書いたら、大きな反響を呼び、僅か3日間で25000人もの人が、この一記事を読んだ。
現在でも毎日、100人以上がこの記事を読んでいる状態である。

私は、その上記のブログにおいて、
「イギリスの国営放送、『BBC』のサイトで、結城が現在、世界で注目されていると言っている、『ストーミング (Storming : 嵐)』という戦術用語を検索したら、サッカー記事でヒット数がゼロだった」
と皆さんに説明をした。
そうしたら私の記事を見た結城は、自身のツイッターで、このように投稿した。

結城 康平‏ @yuukikouhei  1月20日

この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。

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以上が結城の投稿である。

私は、これを見聞し、本当に結城は詐欺師だと思った。
私は、情報というのは、「誠実さ」が一番大事だと思っている。
つまり、自分が発信している情報というのは、
「世界でどれぐらい認知され、どれぐらい重要で、このデータは間違っていないか?」など、それぐらい情報を受け取る人達が誤解しないように、「客観的視座」を持てるように発信するのが礼儀だと思っている。
私は、このブログで読者の皆さんに、色々と情報・データをご紹介しているが、その点について非常に気を使っている。 
間違ったら「大ごとだ」と思い、そこにエネルギーを注いでいる。
私は、「自分が書いたデータは間違っていないか?」、
「この情報は現在、世界でどれぐらい普及していて、どれくらいの重要度であるか?」などに配慮して、読者の皆さんが正確に情報を受け取り、ご理解できるように努力している。
しかし、結城康平の場合、自分で
「『ストーミング』 という戦術用語が、世界で注目されている」、「サッカー界の新潮流」などと書いて宣伝しているが、とてもいい加減なのである。
私のような一般人に、
「イギリスの国営放送、『BBC』では、サッカー記事でそんな英単語は一度も使われてませんよ」と指摘されたら、上記のように、読者に向かって、
この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。
と書いて、終わりにするのである。
これでは、結城康平によって、「ストーミング」という言葉が、
「世界で流行を見せ、現在、イギリス国内のサッカー・ファンも当然、使用している話題の言葉だと信じた日本人サッカー・ファン」 にとっては、デマ情報を握らされたのと同然だろう。
しかし、結城は、上記のような無責任な言動で、この件を終わりにするのだ。
私は、結城は本当に、「クソ評論家」だと思う。
この男の商売の仕方というのは、
「世界で普及をしていない、定着していない言葉を、『重要な戦術用語』として紹介して記事を書き、それを売る」というモノである。
これでは、詐欺だろう。
私は、結城康平は、「この言葉は、世界で全く流行ってません。全然、普及してません」と正直に日本のサッカー・ファンに説明してから記事を書くべきだと思う。
結城という男は、サッカー記者、ジャーナリストとしての基本が全くない人間である。
まとめると、結城康平、林舞輝、浅野賀一、西部謙司、雑誌「フットボリスタ」という連中の商売の方法は、全て上記したようなやり方である。
私は、このブログにおいて、現在、「ポジショナルプレー」という言葉が、イギリス、スペイン、南米で全くと言っていい程、使用されておらず、サッカー・ファンの間で、全然、定着していない言葉だということを皆さんにご紹介した。
一方、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝らの活動というのは、自分が勉強したサッカー界の主に「論文」から、「カタカナ用語」を持って来て、「日本の皆さん、この戦術用語が、現在、世界で流行してます」と言ってウソをつく。そして、日本人サッカー・ファンに毎回、「覚えておかないといけない用語」と思わせて宣伝して商売をする。それを繰り返しているのである。
そして、「有名な〇〇監督が使用している」などと読者が食いつくように、冒頭に書いて紹介するのだ。
この有名な「〇〇監督」というのは、大抵、毎回、ジョゼップ・グアルディオラなのだ。
しかし、ポジショナルプレーというのは、1990年代、既に25年前に、ルイス・ファン・ハール監督が実行していた方法で、何も新しくない。ファン・ハールは、「アヤックス旋風」というのを起こして世界王者にもなっている。
それを現在、弟子であるグアルディオラが真似してやっているというだけだ。
しかし、結城康平は歴史を勉強してない知識不足の人間なので、「新戦術・新思想」と言って、日本人にウソをついて宣伝している状態である。
ポジショナルプレーというのは、別に「サッカーをやっていて普通の動作」である。声高に叫ぶ必要がないのである。
だから、ファン・ハールが25年前にやっていても、現在、全く世界で常識語として定着していないのだ。 

林舞輝という男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝している。
恐らく、この言葉も世界で流行っていないだろう。
私が、イギリス国営放送『BBC』 のサイトで、「Periodizarion」(ピリオダイゼーション)で検索したところ、サッカー記事は7件だけヒットした。
内訳は、男子サッカーで5件。女子サッカーで2件だ。
使用されてはいたが、ほとんど目にしない用語という事だ。
結城にしても、林にしても、一般人が聞いてよく分かんない言葉を持って来るのだ。
「カタカナ語」を持って来る。 
「ポジショナルプレー」にしても、「ピリオダイゼーション」にしても、カタカナ語なので、「何ですか? それ」みたいな一見してよく分からない。
彼らは、説明を聞かないと分からないという単語を「釣り餌 (つりえ)」のように持って来る。
このようにして、サッカー・ファンを食いつかせ、商売をするという方法だ。
雑誌「フットボリスタ」と結城、林らは、実際は、「これらの言葉が世界で流行っていない」という現状を隠して、さも重要で、「これらの言葉は、サッカー・ファンは押さえておかないとまずい」という雰囲気の文章を書くのだ。そういう宣伝文句つきで文章を書くのである。
私は、こいつらは、本当に詐欺師だと思う。
彼らには、私のような正直さが全くない。
「この言葉は、世界で普及してません」など、そういう一言は、絶対に前もって告げないのだ。
むしろ逆で、「サッカー界の新潮流」という言葉を持ち出して、「これから、これがサッカー界の主流になって行く」とでも言うような雰囲気の宣伝文句を掲げた後、文章を書く。 
そしてわざと難解にして、曖昧な文章を書く。
彼らの文章は、「言葉の定義がはっきりしない文章」を書くので、全文を読んでも理解しづらいという特徴がある。本当に悪質な文章を書く。

日本人サッカー・ファンの皆さんには、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝という詐欺師評論家達には、くれぐれもだまされない事を願います。
こいつらが、自分達が宣伝する戦術用語について、「世界における普及度」について正直に説明することは全くありません。
なぜなら、こいつらは詐欺師だからです。
世界で流行していなくても、「流行している」と思わせ、「戦術用語を宣伝して行く」というのが、こいつらの汚い商売だからです。
結城康平、林舞輝は2人共、20代のようだ。私は、若手のサッカー記者は、詐欺師で溢れていて、本当に日本サッカーのマスコミ界は、暗いなと思います。
そして、雑誌「フットボリスタ」は、本当に酷い雑誌だと思います。
私は、この雑誌の編集長である浅野賀一という男は、問題のある人物だと思います。

私の意見としましては、「詐欺師は、早く業界から駆逐した方が良い」と思います。
流行ってもいない、重要でもない戦術用語を宣伝しまくる詐欺師が居ると、日本のサッカー・ファンが混乱するし、誤った認識・知識を得てしまうからです。
彼らが自分達の態度を改めることなく、今後も世界で流行しておらず、定着など全然していない言葉を、さも「世界では認知されている」としてだまし、日本人に対して、覚えることが必須の戦術用語として紹介し続けるならば、本当にサッカー・ファンは怒って、サッカー業界から放逐すべきだと思います。


【 結城康平、林舞輝には知性がない。その理由を教える。 】

私は、結城康平、林舞輝には、『知性』がないと思う。
この2人の文章に共通する特徴は、「過去・歴史」というのが無いのだ。
例えば、結城康平は、「ポジショナルプレー」というモノを説明する際に、過去に、これを行っていた監督の紹介というのを一切、しない。
「ゼロ・トップ」、「偽9番」という戦術に関しても、過去にそれを実行していた監督の紹介というのを一切、行わない。
私は、以前、このブログで、イギリスの「ガーディアン」という高級新聞紙では、イギリス人記者が、読者に対し、「サッカーの歴史を紹介している。ゼロ・トップの発祥から説明している」というのをご紹介した。

現在、西部謙司という評論家が、
「『偽9番』、『ゼロ・トップ』の発祥は、1940年代である」と日本人に説明をしている。恐らく、それは間違いである。
1930年代でも使用していたチームはある。そして、イギリス人の記者の中には、1894年に、既に「偽9番」はあったと、イギリス国民に説明をしている人も居ます。
西部謙司というサッカー評論家は、とても問題のある評論家である。
この男は、「歴史をサッカー・ファンに説明するが、その出典は、一切、説明しない」というとんでもない評論家である。つまり、常識がない馬鹿である。


話を、結城康平、林舞輝、雑誌「フットボリスタ」の件に戻す。
この「過去・歴史」を決して紹介しないというのが、結城康平の大きな特徴である。
これをしてしまうと、結城にとって、「新戦術」と言って日本人に紹介する「詐欺的記事」作戦が全て破綻してしまう。
「過去に、この戦術をやっていた人物(監督)が居ます」という設定になると、「新戦術」でなくなるので、読者の好奇心・関心を引き付けられない。
その為、結城の書く記事には、「過去・歴史」という要素は、毎回、省かれているのだ。
こういう人間は、「知性がない」。そこを日本人は知って下さい。
また林舞輝も同じである。
この男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝しているが、
「それと似たようなことをやっていた監督は過去に居たか?」という説明は拒否している。
恐らく、彼もそれをすると「新戦術」という設定が崩壊するので、避けている。
つまり、こいつらは真に知性的な人間でも、誠実な人間でもないという訳です。
「読者に、本当に正確な情報・知識を届けたい」という気持ちで活動してません。
これは日本人の特徴なのかも知れませんが、私は、本当に酷いと思いますね。

私は、サッカーを見る際、監督については、「監督評」というのをメモしている。
これは私が衛星放送で、本格的に海外サッカーを見始めた1990年代からやっている。
趣味でメモとして残している。
だから、「この監督はこういうスタイルだった」というのを把握している。
また1990年代以前の試合を見た際にも、有名監督の場合、その特徴をメモしている。
それ故、「サッカーの名将」に関して、「どういう監督だったか?」というのが、大体、分かる。
だから、結城が「ポジショナルプレー」と書いて記事にして説明した時、私は、「これは1990年代、ルイス・ファン・ハールがやっていた事と同じだ」と即座に分かったのである。
だから、私は、他の日本人達と違って、結城にはだまされなかったのである。
私は、このように「過去の名将がどういう特徴があったか」というのが、大体、分かる。
しかし、結城康平、林舞輝というバカ2人は、そういう勉強を拒否しているようだ。
だから、彼らの書くモノには、「過去・歴史」が無い。
そして、毎回、この2人は、「新戦術」として紹介する。アホである。
この2人は、思考のスパン(射程距離)が圧倒的に短いのだ。 
1990年代すら勉強していない。
そこに、ほぼ100%の日本人サッカー・ファンは気づいていない。
彼らの「薄っぺらさ」に気づいていない状態である。
私は、サッカー評論家をやるならば、「歴史を一応、押さえておかないとやばいだろ」という考えがよぎるのが普通だと思う。しかし、彼らは全くその必要性を感じていないようである。
だから、彼らの書くモノは永久に薄っぺらい。間違いを書いている。

 それでは、皆さん、さようなら。