「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。 & 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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カテゴリ: サッカー

【 結城康平という、とんでもない馬鹿が現れた。結城康平が、日本に居る問題。】


サッカー評論家で、結城康平という人物が居る。
私は、こいつは、「とんでもない馬鹿だ」と思う。

簡単に言うと、結城康平という男は、「はったり、にわか馬鹿」という説明ができる。
それに加えて、この男には、「自分が間違っていることを書いても、訂正・謝罪をしない。むしろ、誤魔化す事をする」という問題がある。。
つまり、「馬鹿が、二重構造」になっているのだ。
結城康平には、最初に、「はったり、にわか馬鹿」という問題が在る。そして、それを指摘されると、「素直に認められないという馬鹿」が、次に構えているのだ。
つまり、結城康平の場合は、「馬鹿が、二重構造」という、極めて悪質な馬鹿さが、そこに存在しているのである。

結城康平というのは、サッカーを知らない。結城康平は、歴史を勉強していないので、戦術の歴史が分からないのである。
恐らく、結城康平は、21世紀に入って、15年ぐらいしかサッカーを見ていないと思う。
結城康平は、馬鹿なので、その15年の間に起きたことを見て、「新戦術だ」と叫ぶわけである。
サッカーを知っている人間は、「その戦術は、昔から在る」という思考になる。
しかし、結城康平の場合は、歴史を勉強していないし、過去の試合を見てない。
その為、サッカーの全体像が分からないのである。
結城康平が説明している戦術は、過去に既に行われていることだらけである。
しかし、結城康平と、結城康平の本を監修している、浅野賀一という編集者の2人は、2人揃ってサッカーに詳しくないのである。
その結果、この2人は、「戦術革命が起きている」とか、「急速に進歩するサッカー界の戦術」など、そういうアホな文句を並べて、本・雑誌を売っているのだ。
イビチャ・オシムは、2000年代に、「サッカーの戦術は、ほぼ出尽くした」と述べていた。
しかし、結城康平、浅野賀一らは、それとは逆に、「新戦術が出た」と言って、喚(わめ)き続けている。
私は、この2人は、日本のサッカー界において、かなり悪影響を生んでいる連中だと思う。
つまり、「にわかサッカー・ファン」であるが、はったりをかまし、「私は、サッカーを知っています」という態度で活動している。
そして、間違っていてもお構いなしで、訂正・謝罪をすることができない人格で、そのウソを振り撒いたままにしているという酷さがある。

 私は、このブログの読者の皆さんには、この問題点に気づいて欲しい。


 それでは、皆さん、さようなら。




 参考資料です。
   ↓



















【 サッカーと野球の違い。そして、内田篤人の発言に抱く違和感。】

私は、「サッカーと野球における日本人選手の世界トップ・レベルへの挑戦」というのは、とても違うという感想を持っている。
サッカーの場合、日本人選手で、世界のトップ・レベルに初めて挑戦したのは、奥寺康彦氏だった。
1970年代後半に挑戦をした。
そして、奥寺氏は、当時、欧州最高のリーグであったブンデスリーガで、一番強いチームで助っ人をやった。ケルンは、ブンデスリーガで優勝をした。
奥寺氏は、1年目から助っ人として活躍をした。そして、奥寺氏は、優勝を決めるゴールを決めた。
つまり、サッカー界において、日本人は、最初の1人目が、最初から世界最高峰で通用して、1年目からリーグ優勝していたのだ。
奥寺氏は、この後、1980年代は、ブレーメンというチームで活躍をした。
この頃、ブレーメンは、ブンデスリーガで2位のチームだった。
1980年代前半~中頃は、バイエルン・ミュンヘン、ハンブルガーSVなどが優勝をしていた。
そして、ブレーメンは惜しくも2位で終わるシーズンが多かった。ブレーメンは、リーグ戦で3回、2位になった。
つまり、奥寺氏は、1980年代は、ブンデスリーガで2位のチームで助っ人をしていた。
ブンデスリーガは、1976~1984年まで、欧州最高のリーグだった。「UEFAリーグ・ランキング」という信頼性のあるランキングで、1位のリーグだった。
奥寺康彦氏は、この期間にドイツで活動をしていた。
だから、奥寺氏は、欧州最高のリーグで1位や2位のチームでずっと助っ人をやっていたという事である。
という訳で、日本サッカー界は、世界挑戦をした最初の人が世界最高峰で簡単に活躍した。長い間、活躍をしたのだ。奥寺氏は、ドイツで9年間、活躍をした。

一方、野球界は、そうではない。
日本人は、1960年代に、村上雅則という投手が、アメリカのメジャー・リーグに挑戦した。
2年間、活動をした。しかし、大した活躍はできなかった。
その後、幾人かの日本人がメジャー・リーグに挑戦したが、活躍できなかった。
そして、1990年代から野茂英雄という投手が、メジャー・リーグに挑戦した。
私は、野球について詳しくないが、そこそこ活躍したようだ。しかし、奥寺康彦氏のように優勝などは全然、できていない。
野茂は、個人成績で、そこそこ良かったらしいが、奥寺氏のように強豪チームで外国人助っ人をしていた訳ではない。
その後、日本から、イチロー、松井秀喜、大谷翔平などが、アメリカのメジャー・リーグで活躍をした。
私が何を言いたいかというと、野球は、サッカーと違って、世界最高峰で活躍するのに時間がかかったという事である。
野球というのは、世界で10カ国ぐらいしか真剣にやっていない、とてもマイナーなスポーツである。
しかも、この10カ国において、野球が一番人気のあるスポーツという訳でもない。
野球は、これら10カ国において人気が、2位とか3位の場合だってあるのだ。それぐらいマイナーなスポーツである。そして、野球は、オリンピック競技にもなれないぐらい、それ程、マイナーなスポーツである。
しかし、日本人は、そんなマイナー・スポーツにおいて、世界のトップ・レベルで活躍するのにとても時間がかかった。
一方、サッカーは、世界の150カ国ぐらいで、「国技」とされているスポーツである。
そして、世界で一番人気のあるスポーツである。そんな超人気スポーツにおいて、日本人サッカー選手は、最初の挑戦者、奥寺康彦氏が、欧州最高のリーグの1位や2位のチームで助っ人として通用していた。長い間、活躍をした。当時、ヨーロッパは、外国人助っ人枠は、「1チーム、2人」だった。当時は、外国人枠が少なかった。だから、当時の外国人選手は、ヨーロッパの強豪チームに所属していたら、外国人助っ人である時点で、既に世界のトップ・プレーヤーの1人だった。
そんな外国人枠の少ない時代に、奥寺氏は欧州最高のリーグの1位や2位の強豪チームで、ずっと外国人助っ人を務めたのである。
私が言いたいことは、サッカー界は、野球界と違って、最初の選手がとても優秀で、最初から大活躍をしていたという事だ。

私は、最近、元日本代表のサイドバック、内田篤人という選手が、マスコミで発言しているのを目にした。
内田は、「日本と世界との差は開いている」と発言をしていた。
この発言をもっと詳しく説明すると、内田は、
「自分がヨーロッパで活躍をしていた2010年代前半と比べると、現在は、日本人がヨーロッパで活躍できていない。だから、世界と日本との差は開いている」
と述べていた。
そして、内田は、「自分は優秀だったが、今の日本人はレベル低下している」という態度であった。
私は、これを見て、激しい「ツッコミ」を入れたくなった。
私は、「お前が、奥寺康彦氏が上げた日本サッカーのレベルを大きく落としたんだよ。昔の日本人は、もっとヨーロッパで活躍していたんだよ。お前が、日本と世界との差を広げたんだよ。勘違いするな」と説教をしたくなった。
奥寺康彦氏は、現役時代、サイドバックのポジションも務めていた。(注: 奥寺氏は、ウィング、サイドハーフ、サイドバック、センターバックができる選手だった。色々なポジションをこなせる超ユーティリティーな選手だった)
だから、奥寺氏は、内田篤人と同じポジションを務めていた選手だと言ってもいい。
同じポジションをして、内田より遥かに活躍していたのである。
だから、内田は、日本人サイドバックのレベルを落とした選手である。
内田は、奥寺氏の時代を考えると、世界と日本人の差を広げてしまった選手である。

という事で、今回のブログで私が言いたいことは、日本のサッカー選手は、最初から世界の最高峰で通用していた。野球と違って、最初から通用していた。
そして、現在の後輩の日本人サッカー選手たちは、奥寺氏の居た頃からずっとレベル低下を続けている。世界と日本のレベルの差をどんどん開げてしまっている。
それを現代の日本人サッカー選手は、自覚していない。それ故、内田のような人物は、マスコミ上で的外れなコメントをしているという事だ。

 それでは、皆さん、さようなら。


【  日本人が持つべき「世界最高のサッカー・チームを作る」 というビジョン。 】


私は、日本のサッカー界を見ていると、多くのサッカー・ファンが、「既存のJリーグ・クラブを応援する体勢」になっていると思う。
私は、最近、「それは違うのでは?」と思い始めた。
私は、依然として日本サッカー界は、インディーズ・バンドがメジャー・デビューを狙うようにボコボコと新しいサッカー・クラブが創設されては消えるという期間であるべきではないか? と思い始めた。
だから、現在の日本のサッカー・ファンが、既存のサッカー・クラブを応援する体勢になっているのは、「時期尚早」という気がする。

私は、海外のサッカーの歴史を調べた。
私が分かった事は、「海外では、リーグ創設30年ぐらいは、かなり変更が多かった」という事である。各チームが、人気が出るようにチーム名を変更したり、ユニフォームのデザインを変更したりしている。それらの変更を一度もしなかったというチームはほぼ無いという感じである。
また、他のチームと合併したり、悲しい事だが、消滅するクラブも多かった。
そういう訳で、リーグ創設30年ぐらいは、勃興するチームの登場期であり、ゴタゴタしているという事である。
そして、30年ぐらい経って、漸く(ようやく)、人気チームというのが確立されて、ビッグ・クラブというモノが出来るという感じである。

私は、他にも海外のサッカーの歴史を調べて思ったことは、サッカー・クラブというのは、誕生するのが「自然発生的である」という事である。
大体、若者が5人ぐらい集まって、「サッカー・チームを作ろう」みたいな話になって作っている。
そして、面白いサッカーをやった事で、その地域で人気を博して、地元から愛されるチームになった。その中の幾つかのチームは、現在では、「最初、若者が5人ぐらい話し合って出来た」という小さな会合からは想像できない規模の世界的なビッグ・クラブになっていたりする。
という訳で、私が今回、主張したいことは、よく考えてみたら、サッカー・チームというのは、元々は、金も社会的地位も一切、無かった若者たちの「ふとした思いつき」がスタートだったのである。
単に、若者たちが、「暇だからサッカーして遊ぼう。サッカー・チームを作ろう」というそういう軽い気持ちがスタートだったのである。
そして、そのチームが面白いサッカーをやったので地元住民から人気を得たというだけの話である。
私は、日本人が、この点において意識が薄いのではないかと思う。
現在の日本人を見ると、サッカー・チームというのは、企業とか、社会的地位のある人間とか、そういう人達の多くのサポートを受けないと中々、創設できない。 
また、創設したとしても、「金(カネ)」、「社会的地位」がある人間の支援がないと人気チームへと飛躍できないと思っている感じがする。
私は、その考えに一石を投じたい。
私は、日本人は、「サッカー・チームは、面白いサッカーをやればお客を増やせる」という事を信じるべきではないかと思う。
 繰り返すが、海外のサッカー・チームの歴史を調べると、大体、最初は、若者が5人ぐらい集まって始まった話である。その後、面白いサッカーをしたら伸びた、存続できたという訳である。 元々は、そんな感じだったのである。

 だから、私は、日本人はもっと気軽にサッカー・チームを作ったらどうだろうか? と思う。
そして、「世界最高のサッカー・チームを作るぞ」というぐらいの夢を持ったらどうだろうか?と思う。
 世界には、小クラブ、中堅クラブだが、その優れた「クラブ哲学」が名を馳せているチームがある。
「あそこのチームは、中堅クラブだけど、伝統的に美しいサッカーをするよね」という評判を得ていたりする。
 私は、世界一にならずとも、そういう「面白いサッカーをする」という名声を得たクラブを作っただけでも、それは非常に価値がある事ではないか? と思う。

    
  それでは、皆さん、さようなら。

【 サッカー観戦記。 改めて、現代サッカーはつまらない。現在は、「サッカーの退化」のペースが激し過ぎる。】


私は、今月、「コパ・リベルタドーレス」 の決勝戦をテレビで見た。
しかし、あまりにも試合がつまらないので、途中で観戦を放棄した。
今回の決勝戦は、「パルメイラス 対 サントスFC」というブラジルのビッグ・クラブ同士の対戦であった。
私は、正直に申し上げて、サントスFCパルメイラス、どちらも好きなチームである。 
特にサントスFCについては、ブラジルのチームの中でも、一番ぐらい好意的に見ている。
しかし、そんな私が、あまりにも試合がつまらなく、レベルが低過ぎて観戦を放棄したのだ。
現代サッカーは、それぐらい退化している。
私は、「ブラジル・サッカーは、実はつまらない」という説を展開している人間である。
この「つまらない」というのは、ここ数十年のブラジル・サッカーがつまらないという話である。
そして、私は、今月、コパ・リベルタドーレスの決勝戦で、「ブラジルのチーム同士の対決」を見て、改めて「ブラジル・サッカーはつまらない」という思いを強くした。

 
私は、この他に、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を見た。
この対戦カードは、「バイエルン・ミュンヘン 対 ティグレス (メキシコ)」だった。
私は、この試合も面白くなくて、途中で観戦を放棄した。
試合結果は、バイエルンが、ティグレスを1-0で下した。それにより世界王者となったそうだ。
この試合が面白くない理由は、バイエルン・ミュンヘンが、本当にレベルが低いからだ。
バイエルンは、8年前、2013年に、世界王者になった。
私は、2013年のバイエルンの方が、面白かったと思う。
このチームには、ウィングに、アリエン・ロッベン (オランダ代表)、フランク・リベリー (フランス代表)という2人の選手が居た。
このロッベン、リベリーというのは、華の無いウィングだった。 スター選手としては地味であった。 この2人は、地味であり、実力も世界最高ではなかったので、レアル・マドリードなどで活躍できなかった。
ロッベンは、レアルに居たが、追い出された。それ故、バイエルンに来たのである。
しかし、そんな華が無かったロッベン、リベリーよりも、現在、2021年のバイエルンのウィングたちは、面白くないのである。
私は、このような現状を見て、
「おい、これが、本当に現在の世界チャンピオンかよ。世界一のチームにしては、あまりにも実力者が居なさ過ぎではないか?」
と思った。
そして、「今のバイエルンよりも、地味だった8年前のバイエルンの方が、まだ面白かったぞ」と思った。
そういう訳で、私は、現代サッカーは退化していると思っている。
日本のマスコミ、日本のサッカー評論家たちは、サッカー・ファンを増やしたいので、「現代サッカーは進歩している」とか、「世界一のチームは凄い」として宣伝しているが、実際は、退化している。
私のブログの数少ない読者の皆様には、日本のマスコミにだまされず、バイエルンのタレントを見て、明らかに8年前の方が、優秀な選手が多かったということに気づいて下さい。
日本のマスコミは、「サッカーは右肩上がりで進歩している」とか、「時代が進むにつれて、サッカーは進歩している」とか、そういうメッセージを、毎回、何十年も、日本国民に送っています。
しかし、そんなモノは、大嘘です。
冷静になって、チームのメンバーを見て、試合を見たら分かる事です。
現代は、明らかにタレントがレベル低下しています。
 
という訳で、私は、久し振りにサッカーの試合をテレビ観戦しましたが、またしても、「現代サッカーは、退化している」ということ確認しました。
 
 それでは、皆さん、さようなら。

【 私は、「日本人サッカー評論家が説明するサッカーの歴史」が、本当におかしいと思っている。】 
     &
【 特に、雑誌「ナンバー」に寄稿している評論家の説明する歴史が本当におかしい。】

 

私は、「日本人サッカー評論家が説明するサッカーの歴史」 が本当におかしいと思っている。
特に、雑誌「ナンバー」に寄稿している評論家の説明する歴史が本当におかしい。

私は、雑誌「ナンバー」というスポーツ雑誌は、本当に低レベルだと思っている。
しかし、日本のスポーツ・ファンにとって雑誌「ナンバー」というのはステイタスが高いようで、日本人は馬鹿なので、雑誌「ナンバー」で書かれている内容を、「正しい」と思っている。

 
 私は、日本人サッカー評論家というのは、ほぼ1人もろくな奴が居ないと感じ始めている。
 皆、文章を書く際、ろくに調べず、かなりテキトーな状態で、サッカーの歴史を書いている。
その典型が、西部謙司などである。
 また、私は、日本人の場合、「そもそものサッカーの歴史観がおかしい」と思う。
 そういう奴が、非常に多い。
 

私は、最近、雑誌「ナンバー」で、豊福晋というサッカー評論家が、「サッカー界の『ウイング』は死んだのか」と題して書いていたコラムを読んだ。
それを、「ヤフー・ニュース」で読んだ。
この豊福晋という男は、
ギグス、フィーゴ…1990年代のサッカー界はウイングで溢れていた
と書いているのだ。
豊福は、現在のサッカー界は、1990年代よりウィングが居ないと説明していたのである。
私は、驚いた。
と言うのも、私は、「1990年代は、ウィングは減少していた」と考えるのが常識だと思っているからだ。 
私がサッカーを見て来た感想だと、1990年代より、2000年代、2010年代の方が、サッカー界では、ウィングの数は多い。
2000年代になると、ホナウジーニョ、ティエリ・アンリ、クリスチアーノ・ホナウド、リオネル・メッシなど、1990年代より遥かにドリブルがうまい選手が出て来た。
私は、この豊福晋という男が、なんでこんな 「サッカー観」なのか、本当に疑問であった。

 
私は、豊福に限らず、日本のサッカー評論家というのは、本当に歴史観がおかしい評論家が多過ぎると思っている。

私は、雑誌「ナンバー」 によく寄稿している田村修一という評論家も、「説明がズレている」と感じることが多い。
この田村修一という評論家は、「フランス・フットボール誌」に載ったサッカー選手のインタビューを和訳した記事をよく書いている。転載をしている。
私は、田村が、文体が偉そうであり、上から目線な所も嫌なポイントである。


雑誌「ナンバー」に寄稿しているサッカー評論家、全員に共通している事だが、彼らは、「イタリア・セリエAを中心にしか物事を見ていない」という事である。
「セリエAの歴史 イコール サッカーの歴史」という形で、偉そうに説明するのである。
雑誌「ナンバー」には、そういう大きな問題がある。
雑誌「ナンバー」は、1990年代から、以下のサッカー観を、何度も読者に説明している。
「1990年代になると、プレッシング・サッカーが流行り、プレスがきつくなり、10番が活躍しづらくなった。 それで、10番でプレーする選手は、ボランチでプレーしたり、ツー・トップの一角でプレーするようになった」
という話を、何十回と繰り返して発信している。
私は、この説明に、毎回、納得が行かない。私は、これは、セリエAがそうなだけで、他のリーグはそうではなかったと思っている。
私は、1990年代、スペイン・リーグを見ていたが、スペインでは、10番が居た。
ミカエル・ラウドルップ、ヒバウドなど、10番で普通にプレーして居た。
 

 
【 私が、雑誌「ナンバー」 の問題点を説明する。】


私は、雑誌「ナンバー」 は、「サッカーが進歩している」という海外記事を選んで、誌面に載せているとしか思えないと考えている。
それぐらい雑誌「ナンバー」は、時代の変化を強調する雑誌であり、「サッカーは右肩上がりで進歩している」というメッセージばかり発信する雑誌である。
10年前のサッカーすら切り落とし、「10年前のサッカーすら古い、もう通用しない」という感じの印象を読者に与えようとしている。
私は、そこが非常に違和感があるのだ。
と言うのも、私は、「サッカーは退化している部分がある」と思っているからだ。
また、海外の新聞を読むと、「現代サッカーの退化した部分を指摘している評論家、監督のコメント」を見かける事がある。
恐らく、雑誌「ナンバー」は、そういうコメントを見かけても、彼らは、そのような現代サッカーに批判的なモノは、自分の雑誌には載せないのだろう。
だから、私は、雑誌「ナンバー」は、自分達の考えに都合の良いモノだけを選んで雑誌に載せている疑惑があり、本当に胡散臭い雑誌だと思っている。
 
また、私は、雑誌「ナンバー」のサッカー・コラムが、お洒落な感じなのが、毎回、疑問である。
「お前ら、何、かっこつけてんだよ」という気になる。
そもそもが、サッカーというスポーツが、 「コンタクト・スポーツ」、「根性」、「気合い」みたいな世界であるのに、雑誌「ナンバー」が、そんなお洒落な感じで、サッカーというスポーツを説明しているのが、本当に違和感がありまくりなのである。
 
話は、雑誌「ナンバー」批判へと脱線してしまった。
今回のブログで、私が言いたいことは、日本のサッカー評論家たちが、「的外れな歴史観」を説明して、それを日本人読者が、「正しい」と思って信じてしまうのが、本当に不愉快であるという事だ。
 私は、日本では、今後も、日本のサッカー評論家に教育されたおかしなサッカー・ファンが、それら評論家を真似て、そのままおかしな歴史観を語ることが予想されるので、本当に残念である。
 私の個人的な希望としては、雑誌「ナンバー」が廃刊になる事である。
また、日本でおかしなサッカー観を発信している評論家たちを、誰か退治してくれないかと思う。
 私は、日本には、おかしなことを言っているサッカー評論家が多過ぎると思う。
 私は、日本のサッカー・ファンは、日本人評論家を疑ってくれと思う。
よく考えると、言っている事がおかしいので、そこに気づいて欲しいと願う。

 それでは、皆さん、さようなら。

【 日本人サッカー評論家の意見を聞いても意味が無い。】

私は、日本人サッカー評論家の意見を聞いても意味が無い事に気づいた。
なぜなら、彼らは勉強していないからだ。
具体的に言うと、戸田和幸、中西哲生、水沼貴史、北條聡、小澤一郎、西部謙司、亘崇詞、結城康平などだ。
現在、ユーチューブというメディアが出来て、日本人サッカー評論家、元選手のサッカー評論家らが、日々、情報を発信している。
私は、彼らの話を聞いた。
それで分かった事は、全員、「自分が思ったことを話しているだけ」なのだ。
私は、サッカー評論家というのは、海外の情報に通じていて、
「海外の新聞では、著名な評論家が、この試合について、こういう意見を言っていた」とか、
「自分は、この試合に関する、海外の新聞記者の記事を読んで、面白い意見を見つけた」とか、
「海外のスポーツ新聞の読者投稿欄では、こういう面白い意見があった」とか、
「海外のスポーツ新聞の読者投稿欄を見ると、現地のサッカー・ファンの意見は、こういう意見が多い」とか、そういう話を聞けると思ったのだ。
しかし、私は、ユーチューブで色々、結構、見たのだが、そういう話をしている評論家が、全く居ないのだ。
毎回、「自分が思ったことを話している人間だけ」しか居ないのだ。
これは、実況アナウンサーも同じである。サッカー番組に出演していて、海外の新聞の意見などを紹介するのかと思ったら、全くしないのだ。
つまり、全員が、「自分が思ったことを話しているだけ」なのだ。
私は、これを見て、「日本人評論家、日本人アナウンサーたちは、海外の新聞を全然、読んでいない」
ということを確信した。
なぜなら、読んでいたら、「面白い意見を読んだ」とか、「海外のサッカー評論家の〇〇が、面白い意見を言っていた」とか、そういうことを紹介したくなるからだ。
だから、私は、「日本人というのは、皆、勉強していない」というのを確信した。
恐らく、彼らは、私のような一般人以下の情報しか知らないのではないかと思う。
私が海外の新聞を見るより、彼らは海外の情報を見たり勉強したりは、全然していないと思う。
そういう訳で、私のブログの読者で、日本人評論家、日本人アナウンサーを信頼している人達が居たら、それは、妄信です。
私は、日本人評論家、日本人アナウンサーたちは、「彼らは、全然、勉強していない」ということを、皆さんに教えておきます。
日本人の評論家、アナウンサーらは、「自分が思ったことを話しているだけ」というのが実態です。
全然、勉強していないし、情報を取ろうとしていません。

 それでは、皆さん、さようなら。



【 日本のサッカー界、サッカー評論家は、本当におかしい。】

私は、ユーチューブで サッカー評論家、北條聡の動画を見た。
この男は、ユーチューブの番組で「蹴球予備校」と題して偉そうに講義をしていたのだが、私は、「何、言ってんだ?」と思うことばかりであった。
北條聡は、「『ハイプレス』と『カウンター・プレス』は違いますから
と述べていた。
私は、これを聞き、
「ハイプレスだって、ボール奪ってカウンターする為にやってんだろ?。どっちも同じだろ」
と思った。
私は、日本のサッカー界というのは、評論家たちにより、「無意味かつ不毛な言葉の量産」というのが行われている気がしてならない。

そして、この北條聡という評論家は、世界でろくに使用されていない、「ポジショナルプレー」という言葉を何回も使用していた。
私は、北條聡は、恐らく、海外の新聞は読んでないと思う。
北條がもし読んでいたら、「ポジショナルプレー」という言葉など、使う気にならないと思うのだ。

北條に限らず、日本のサッカー界は、「言語化が必要」という人間ばかりで、サッカー用語を増量させることに熱心である。
私は、それが、本当に的外れでおかしな行為だと思っている。
と言うのも、サッカーというのは、ほとんど言語化されていて、「言葉を増やす必要性が低い業界だ」と思うからである。
私は、彼らの行為を見ると、物事を複雑化させて、サッカー・ファンを混乱に陥(おとしい)れているだけにしか見えないのである。

 それでは、皆さん、さようなら。

<< サッカーの授業 >>


【 私が、世界で「ポジショナルプレー」という言葉が流行らない理由を説明する。】
     
【 私が、日本人に教える「ポジショナルプレー」という言葉の意味。】



私は、日本人 サッカー評論家たち、そして、日本のマスコミを批判している。
その理由は、世界で流行していない戦術用語を、「流行っている」とウソをつき、雑誌を売ろうとしているからだ。
私は、これを、「新戦術、詐欺商売」と呼んでいる。
具体的に言うと、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「ナンバー」、雑誌「ワールド・サッカー・ダイジェスト」、これらの雑誌がやっている。
また、評論家で言うと、西部謙司、北條聡、結城康平などがやっている。

現在、日本では、「ポジショナルプレー」という戦術用語が、サッカー評論家たちによって盛んに説明されている。
しかし、この「ポジショナルプレー」という言葉は、私が海外のスポーツ新聞を読んでもろくに登場しない。
検索機能を使い、海外のスポーツ新聞のサイトで「ポジショナルプレー」と入力して検索しても、記事がろくにヒットしないのである。
また、読者投稿欄を見ても、海外のサッカー・ファンがこの言葉を使用して議論するということは、一切、無い。 私は、未だかつて見たことが無い。

この「ポジショナルプレー」という言葉は、元々、チェス、ビリヤードで使われていた言葉である。
それが、サッカー界でも使われるようになったのだ。
現在、ジョゼップ・グアルディオラ監督(マンチェスター・シティー)など、ごく一部のサッカー監督が、この言葉を使っているのだ。
それで、日本では、グアルディオラ監督が異様に評価が高く、ファンが多いので、この言葉が紹介されているという訳である。
しかし、前述したように、他の国では、この「ポジショナルプレー」という言葉は、相手にされておらず、使用されていない。
私は、日本人はアホなので、まずこの点からサッカー・ファンに説明をしていないと思う。
言葉の元々の「由来、概念・意味」について説明していないのだ。
そして、「世界ではろくに使用されていない」という普及状況、認知度についても説明しないのである。
むしろ、日本人は汚いので、
「読者に世界での言葉の普及状況、認知度について説明しない方が雑誌が売れるので、説明しない事にしよう」と思っているのだろう。

それでは、今回、私がチェス界、ビリヤード界でこの「ポジショナルプレー」という言葉が、どういう風に使われているか、皆さんに説明をする。

まず、チェス界では、この「ポジショナルプレー」という言葉は、試合の中盤、膠着状態(こうちゃく じょうたい)の時に使われる。
チェスというモノは、試合の中盤で、膠着状態になる事が多いそうだ。
チェスにおける「ポジショナルプレー」という言葉は、以下の意味である。
「膠着状態の最中、自分の戦況が少しでも良くなるように、駒を動かす。そして、決定的な手を打てるような態勢を作れるように頑張る」
という意味だそうだ。
つまり、「決定打が打てるようにする為の準備動作」という意味である。

次に、ビリヤード界での「ポジショナルプレー」という言葉の意味について説明する。
ビリヤードでは、
「2発目にボールを穴に入れる事ができるように、その前の1発目の打撃で、球を良い状態・配置に動かすこと」
である。

皆さん、これを聞いてどう思っただろうか?
チェスにしろ、ビリヤードにしろ、「ポジショナルプレー」という言葉の使われ方が、似ていると思わないだろうか?
そして、皆さんは、「ポジショナルプレー」という言葉の意味についてイメージが出来たのではないだろうか? 概念を捉えることが出来たのではないだろうか?
つまり、チェスにしろ、ビリヤードにしろ、「ポジショナルプレー」という言葉は、
決定打を打つ前の準備動作、態勢作り」という意味である。

私は、北條聡、西部謙司、結城康平、雑誌「ナンバー」、雑誌「フットボリスタ」など、あいつらが、「ポジショナルプレー」という言葉を頻用しているが、アホなのか、元々の言葉の意味から説明しないという振る舞いを見て来た。
その結果、聞き手が、「ポジショナルプレー」という言葉のイメージを作れず、困惑しているのも見て来た。
それにも関わらず、あいつらは、「ポジショナルプレー」と言い続けて、この言葉を発信しているのだ。
その結果、日本では、現在、サッカー・ファンが、
「『ポジショナルプレー』という言葉をイメージできない」、
「『ポジショナルプレー』って言葉をよく聞くけど、何だか分からない」
という人間で溢れているのである。
私は、それを見て、本当に日本人は、説明が下手でアホだと思った。


話を元に戻す。
この「ポジショナルプレー」という言葉であるが、現在、世界では、全く流行っていない。
なぜなら、この「ポジショナルプレー」という言葉は、サッカー選手は、昔からやっているからだ。
「チームが、決定的な仕事ができるように選手が色々と動く」というのは、サッカー選手は、昔からやっているし、試合中、何回もやっている。
そんな動作は、当たり前であるし、普通のことである。
だから、世界のサッカー・ファンは、こんな言葉を「新語」として捉え、これを使って議論しようなどとは思わないのである。
試合中、「ボールを受けようとスペースに走る」、「ピンチの味方のパス・コースを増やそうと動く。フォローする」、「ゴールが決まるように、両サイドの選手が広がってポジションを取る」などというのは、自然の事である。
これを、「ポジショナルプレー」と呼んで、サッカー・ファンが議論する気にはならないという事である。
その結果、世界では、この「ポジショナルプレー」という言葉は、流行らないし、定着しないという事だ。
やっている事に新しさも無ければ、特異性も無い。
だから、目新しくないので、わざわざ言葉を作り、そう呼ぼうという必要性が生まれないのである。

日本人のサッカー・ファンは、この事を知って下さい。
そして、日本人サッカー評論家、日本のサッカー雑誌にだまされないで下さい。

それで、ジョゼップ・グアルディオラ監督らは、これを「ポジショナルプレー」と呼んでいるが、一般のサッカー・ファンは、グアルディオラみたいなアホではないので、「ポジショナルプレー」などという言葉を使う気が起きず、その結果、世界では、サッカー・ファンは、「ポジショナルプレー」という言葉がろくに使われないという事である。


  それでは、皆さん、さようなら。

【 日本のサッカー評論家が、誰一人として、昔のオリンピックのレベルの低さを指摘しない不可解さ。】


釜本邦茂、杉山隆一らが銅メダルを取ったメキシコ・オリンピックは、「大会レベル」が非常に低い。
私は、これについてブログで盛んに書いて来た。
私は、アメーバ・ブログもやっていたのだが、そちらで何回も書いたのである。
その甲斐もあってか、昔よりかは、日本人サッカー・ファンは、「昔のオリンピックは、レベルが低かったんだ」ということを理解し始めるようになった。
そして、昔のオリンピックの参加選手の内容というのも理解し始めるようになった。
日本人は、私の「説明活動」が実を結んだようで、以下のことを理解し始めた。
昔の、1960年代のオリンピックは、
「プロが参加できない」、「出場選手は、下部組織に在籍していた若い選手」、
「出場選手は、プロ契約できないので下部組織にまだ居た。そのようなレベルの低い若い選手」、
「下部組織に居る選手だったので、後にプロになれなかった選手も居た」、
「東欧は、若手主体で臨み、23才以下の選手ばかり」、
「1960年代のオリンピックの得点王は、10代の選手ばかり。若い選手ばかり参加していたので、1960年、1964年大会は、得点王が10代だった」
などの知識を身に着けるようになった。

しかし、私がとても疑問なのは、どうして日本のサッカー評論家、アナウンサーらは、誰一人として、私のような説明を、日本のサッカー・ファンに全くしないのだろうか?
という事である。
後藤建夫、大住良之、西部謙司、湯浅健二、金子達仁、セルジオ越後、小澤一郎、倉敷保雄、八塚宏、下田恒幸などなど、色々、居るが、
どうして誰一人、昔のオリンピックについて詳細に、その出場選手の内容について説明をしないのだろうか?

むしろ、現在では、サッカー・ファンの方が、ネット掲示板では、
「昔のオリンピックは、レベルが低かったから」と言い出して、ファン同士で、その大会レベルの低さを説明し始めているという状態である。

私は、これが非常に奇怪(きっかい)に思う。
私は、こういう事は、サッカー評論家、アナウンサーなどが、放送・雑誌を通じて、きちんと無知なサッカー・ファンに説明しとかないと駄目なことではないか? と思うのだ。

日本では、それを行っていないので、釜本邦茂、杉山隆一らが参加した大会レベルが分からず、過大評価が生まれてる。
また、それを行っていないので、日本サッカー協会が、得点記録に関して、FIFA基準を否定し、勝手にJFA基準というのを作り、オリンピックに関連する試合の得点を加え、それを公式記録として、釜本の得点数を22点も増やしている。
それで、サッカー・ファンのほとんどは、昔のオリンピックはレベルが低いのを知らないので、日本サッカー協会が、そういう事をやっていても、誰も怒らないのだと思う。
これに関して、日本で怒っているのは、私だけだろう。

そういう訳で、私は、日本のサッカー評論家、マスコミで仕事をする人間が、「オリンピックの本当の大会レベル、参加者の顔触れ・年齢」という件について、誰も紹介しようとせず、50年以上続けた結果、酷いことが起きていると思っている。
それ故、私は、現在では、一部のサッカー・ファン同士で、「あの時代のオリンピックはレベルが低い」と説明し合うという状態が起きているのだと思っている。

私は、この状況を見て、本当に日本という国は、不思議な国で、奇怪な国だと思うのだ。
このような事は、普通の国では起きない現象だろう。


  それでは、皆さん、さようなら。

【 スカパーは本当にバカ会社。 】

衛星放送で、「スカパー」という会社がある。この会社は、本当にバカである。クソ会社である。
この会社、「スカパー」は、2018年に「サッカー選手、奥寺康彦氏」に関する動画をユーチューブにアップした。
奥寺氏が、アジア人初の選手として、ヨーロッパのプロ・リーグに挑戦し」という歴史を説明する動画である。
しかし、そこに大きな間違いがあった。
私は、それを「この動画のコメント欄」で指摘した。しかし、スカパーは、この動画を削除せず、「訂正して再アップする」という事は、現在も一切、やっていない。
2年以上過ぎても、まだやっていない。恐らく、永久にやるつもりがない。
それぐらい「いい加減な会社」である。
私は、スカパーが偉そうに「歴史を教える」という姿勢を見せながら、内容が間違っているのは、恥ずかしいし、大きな問題だと思う。しかし、この会社(スカパー)にとっては、「どうでもいいこと」 のようだ。
スカパーの説明は、どこが間違っているかというと、2点ある。

第1点は、「奥寺康彦氏の『ブンデスリーガ、初ゴール』として紹介しているゴールが、別の選手のゴールである」という事だ。

第2点は、スカパーは、
「ベルギー人選手が退団した事で、奥寺康彦が1FCケルンに入団した」と説明しているが、退団したのは、ベルギー人ではなく、デンマーク人選手だった。

そういう訳で、スカパーというのは、アホである。
「この会社で、サッカー番組を作っている人間は、サッカーの歴史を知らない」という事を露呈してしまった。
特に、「ベルギー人選手が退団した」と説明している時点で、ろくに当時の1FCケルンについて調べてないのが分かる。
なぜなら、当時は、外国人枠はたった2人だったので、強豪チームの外国人助っ人は名選手ばかりだったからだ。
だから、当時は、外国人選手の数は少ないし、名手だらけなので、きちんと歴史を調べているならば、
「どの選手が入団した、退団した」という点について間違えることは、まず起きない。

そういう訳で、私のブログの読者の中で、現在、「スカパー」という会社を信頼している方が居られたら、「スカパーは信用できない。無知である。いい加減な会社である」、「サッカーの歴史に疎(うと)い会社だ」という事を、忠告しておきます。


  それでは、皆さん、さようなら。

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