
セルジオ越後は、TV局スタッフをだまし、「嘘の経歴紹介VTRを作らせる」という手口を使っている。テレビを利用して「ブラジルで一流選手だった。ブラジル代表候補レベル」という全くのウソ話を来日以来、長年、発信中だ。
ブラジル時代の成績が、ネット時代前はバレない事を良い事に、「一流選手で通用していた」という大ウソをつき、多くの日本国民をだまし続けて金を稼いだ極悪経歴詐欺師だ。
そして現在、真の経歴がバレても、どこ吹く風で変わらず経歴詐称を続けている。
この男は、それぐらいの悪人である。
ウィキペディアに、セルジオ越後のブラジル時代の「所属チーム」が載りましたが、書いたのは私です。
私が調べて、この男の経歴詐称を暴きました。奇跡的にこれは削除されませんでした。
注: Athleta (別アカウント、Ath02) という悪人執筆者は、よく削除妨害をします。
私は、所属チーム以外の記述は、この男に削除されました。Atheltaという男が居なければ、セルジオ越後に関する真実が、ウィキペディアで紹介できるのですが、この男のせいでできません。
ちなみに、Atheltaという人間は、「釜本邦茂の日本代表の得点記録が、80得点」というデマを長年、ウィキペディアで書いて主張している人間です。ウィキペディアの管理者と呼ばれるグループと仲が良いので、この男は無茶苦茶なことができるのです。
話を元に戻します。
話を元に戻します。
ウィキペディアの内容は、書物経由の「セルジオ越後、本人インタビュー」のみが書かれてるので嘘ばかりです。
セルジオ越後みたいな詐欺師にも、熱烈なファンが居て(セルジオ越後の親類とか事務所関係者かも知れないが)、経歴、選手としての実力を、誰かが詳細に書くと「しょぼくなる」為、そこはすぐに削除される。
そして、本当は全く力のない3流選手なんだけど、さもセルジオ越後が実力があったという感じの文章に変えられます。
そして、本当は全く力のない3流選手なんだけど、さもセルジオ越後が実力があったという感じの文章に変えられます。
それぐらいセルジオ越後と同様に、平気で嘘を発信する後援者が居て、彼の真の実力は、日本人に知られないようにする体制が出来上がっています。前述しましたが、私は書いて削除されました。
私は、「プロで得点ゼロの3流以下の選手」が、『日本の為を思って辛口。これは愛情』という論法は、成立しないと考えます。
これは、元名選手がするなら、成立するかも知れません。
私は、「お前は何様のつもりだ、このカス」というのが日本社会の道徳規範だと思います。
それが分からないなら、この男はブラジルに帰るべきと思います。
私は、このバカは、「評論家なら、どんな侮辱コメントでも、何でも言って許される」と思っているアホだと思います。
そして、まず経歴詐欺師は、自分の詐欺を清く謝罪すべきだと思います。
私は、セルジオ越後の支持者とは、DV(ドメスティック・バイオレンス)を受けているが、「これには愛がある」と言って、頭が変になっている被害者と同じに思えます。
この男の発言を注意深くずっと見ていれば、「難癖」、「傲慢」、「協会と選手への僻み」、「選手への敬意なし」、「根本にある日本人差別。日本人を徹底的に見下している。ブラジル出身というだけで威張っている」 というようなモノで、3流以下の元選手(小物)が歪んだ人格を形成し、暴言を吐いているだけです。
【 強豪国は辛口が常識というウソ。評論家によって違い、幅がある。 】
この男は、「海外では失敗した選手を叩いている」と主張して、自分が選手を攻撃するのを正当化しています。しかし、これは大嘘です。
日本人は、海外の新聞を原文で読まないアホが多いので大嘘がまかり通っています。
海外の新聞を読めば優しい評論家は居り、人それぞれです。当たり前ですよね。
アルゼンチンの名将 カルロス・ビアンチ監督(クラブ・チームで世界一3回。世界最多記録を持つ名将)などはミスを犯した選手にも目線が優しい人物です。
ワールドカップ2018年、ロシア大会のグループ・リーグ、第2戦のクロアチア戦で、アルゼンチン代表のゴールキーパー、ウィルフレード・カバジェーロが大ミスを犯し、クロアチアのフォワードに間違ってパスをしてしまい、それで失点をしました。
これに関して、日刊紙クラリンのコラムで、ビアンチは、「今は、彼のメンタルを回復させる事が最も重要だ」と述べ、失敗した選手を擁護する評論をしました 。ビアンチは アルゼンチンでは大尊敬されており、このコラムは、敗戦翌日に見出し記事のすぐ下、まるで「クラリン」の社説のように紹介されていました。日刊紙クラリンは、アルゼンチンで最も発行部数の多い一般新聞紙です。
試合は0-3の歴史的惨敗でしたが、ビアンチはゴールキーパーを擁護しました。
ビアンチは、「彼は、他でピンチを救っていた」、「次の試合も絶対に彼を起用すべきだ」とも述べ、ミスを犯したゴールキーパーを批判から守っていました。
故に、南米が誰でも 、特に評論家が、「失敗した選手を叩きまくっている」などというセルジオ越後の話は、大嘘ですよ。
日本のマスコミは、ろくに海外の新聞もコラムも読まないアホが仕事しているので、セルジオ越後の話を「常識」だと信じて、それを「強豪国の常識だ」と紹介しているんです。
そして、それが日本社会にまかり通っているのです。
セルジオ越後が一人で環境作りをして、それに成功したという感じです。
この男 (元3流以下選手)が日本人に対して、偉そうに侮辱や難癖を言いたいので「叩くのが当たり前」、「叩くから強くなる」と主張して、自分の酷いやり方を自己正当化しているだけに過ぎないのです。
しかし、日本人は、それを全く読み取れていません。
しかし、日本人は、それを全く読み取れていません。
これも日本人が、「ブラジル人詐欺師」にだまされている事の1つでしょう。
強豪国に厳しい評論家が居る事は事実です。
日本でも有名なオスバルド・アルディレス (アルゼンチン代表。W杯1978優勝メンバー)は、この敗戦翌日、同じ新聞上で「史上最低のアルゼンチン代表チームだ」と猛批判しました 。この記事は、ビアンチよりかなり小さな扱いでした。
故に、強豪国では、このように容赦なく批判する元選手も居ますが、ビアンチのように擁護する人も居て、人それぞれです。
つまり、強豪国は、「人それぞれ」が常識で、色々な意見を各評論家が述べる。幅があります。
セルジオ越後が、「叩くのが常識」と日本人に説明しているのは、「大ウソ」という事です。
その他に、日本のマスコミは、海外ニュースで、「一番刺激的で厳しいコメント」をニュースとして選びます。
それを日本人は、丸っきり分かっていません。ビアンチではなく、アルディレスのようなコメントを選ぶ訳です。「マラドーナが怒っている」などの話は、最たるモノです。
南米でも 「怪我人が出たので優勝できなかったのは仕方ない」、
「優勝できなかったのはとても残念だけど、久し振りに決勝進出をして、世界に我が国のサッカーの威厳を示す事ができたので、今回は良い大会だった」
などのコメントをする評論家、元名選手は居る訳です
ちなみにワールドカップ2014年で準優勝したアルゼンチン代表チームが、帰国後、大統領に招待され、健闘を称えらました。
その時、その建物の周りには大勢のサポーターが集まり、同じく健闘を称え、歌を歌い、選手名をコールして盛り上がっていました。
その時、その建物の周りには大勢のサポーターが集まり、同じく健闘を称え、歌を歌い、選手名をコールして盛り上がっていました。
建物の外で、メッシにブーイングはありませんでした。
そして、大統領は、
「ドイツ代表GK、ノイアーが、イグアインにぶつかったプレイはファウルだった。我々は優勝できるはずだった」
と選手達に同情する言葉を述べました。
「ドイツ代表GK、ノイアーが、イグアインにぶつかったプレイはファウルだった。我々は優勝できるはずだった」
と選手達に同情する言葉を述べました。
これらは、セルジオ越後の話が、大嘘だと分かる事例です。
故に、評論家も人それぞれ、サポーターも人それぞれという事です。
強豪国においても 「準優勝だけど、このチームはよく頑張った」と評価して称える人は、数多く居る訳です。
この男が 「強豪国では、優勝できなかったら叩くのは当たり前」とか、「強豪国は優勝するまで叩く」というのは、あくまでこの男個人の主義であり、強豪国の常識ではありません。
この男は、この話をいつも出して、自分が日本人選手を侮辱して叩くのを正当化しています。
セルジオ越後は、「自分が日本人を叩いた反発・反感をかわす為」に、こういうウソまでつき、叩いているのです。
【 セルジオ越後の経歴詐称発覚、決定的証拠写真。 】
セルジオ越後の公式サイトの経歴は、当然、嘘ばかりです。
ブラジルで報じられている経歴と、全く違います。
この男は、来日以来、一度も「どこのクラブに何年在籍した」等、正確な経歴を、日本人に紹介した事が全くない。
なんと「所属した全チームを一度も日本国民に紹介せず、45年以上も過ごしている」という評論家です。それ程、社会常識のない人間です。
ウィキペディアの在籍クラブについては、本人が語ったものではなくて、ネット時代になり、最近バレたものです。そこだけ信用できます。
故に、ネット時代が到来しなかったら、この男は死ぬまで日本人をだまし続けおおせたしそのつもりだったでしょう。
この男は、嘘の情報を日本人に伝えてだまして、「敬意」と「金(カネ)」を集めるのを目的としています。それを止める事はありません。
セルジオ越後は、マスコミ出演では、ビッグクラブのコリンチャンスで引退した」と自己紹介します。そして、「それ以外のチームに所属していない」と日本人に説明します。
その時に、コリンチャンスの数少ない集合写真、僅か11試合出場したうちの1枚ばかりを見せます。
その後、
「コリンチャンスで活躍していた選手で能力はあったけど、自分から引退した。自分は下手だった訳ではない」
と毎回、話します。
「オリンピックのブラジル代表に選ばれ、内定していた。
しかし、コリンチャンスとその前に契約したので、オリンピックに参加しなかった。私は、ブラジル代表に選ばれるレベルの選手だった」
しかし、コリンチャンスとその前に契約したので、オリンピックに参加しなかった。私は、ブラジル代表に選ばれるレベルの選手だった」
というのも毎回、話します。
毎回、こうして日本人をだまします。
しかし、ネット時代ですから、調べたら、全部、この男の話の真偽が判明します。
それにより、私は、真実を知ることが出来ました。
「セルジオ越後は、東京オリンピック1964年大会のオリンピック南米予選に、ブラジル代表として1度も試合出場してません。招集もされていません」。
南米予選に1試合も出場していない選手が、「オリンピック本大会の代表メンバーに内定している」という事は、普通は起きません。
そして、ネット時代ですからね。セルジオ越後がブラジル2部チームに所属していた時の集合写真が出て来た訳ですよ。
それがこれです。

後列一番右端、セルジオ越後です。
コリンチャンスの試合と違って明らかにお客さんが少なくて、こじんまりとしたスタジアムというのが、分かりますよね。
ユニフォームがコリンチャンスと全く違いますね。どこのチームか全然、分かりませんよね。
これは1968年の「 トレスポンターノ 」というチームです。
「ミナスジェライス州、ブラジル2部チーム」の集合写真です。
私は、これを見た時、
「あれ、セルジオ越後って、ビッグクラブのコリンチャンスでずっとプレイしていて、自分からコリンチャンスを辞めて、引退したんじゃなかったの?」
と思いました。
つまり、セルジオ越後はずっと詐欺していて、今も詐欺しているんです。
だから、セルジオ越後が、日本国民に対して長年、説明をしている「コリンチャンスで活躍した」、「実力があったけどコリンチャンスは自分から辞めた」なんていう話は、全部ウソです。
この男は45年以上、異国の地でずっと嘘をつき続けて来たんです。
そして、今もそれを続けています。
セルジオ越後は、コリンチャンスでは「2年在籍、僅か11試合出場で 無得点」です。
本当は実力が全くなく、たった2年でクビになり、2部チームへ行っていました。
その後、2部でも活躍していません。
セルジオ越後が説明をしている 「自分はブラジルで一流選手だった」、「コリンチャンスで活躍した」などという話は、全くのウソです。
この男は、「ブラジルで0得点。日本で6得点」 です。
それにも関わらず、私は、なぜセルジオ越後が「ブラジルでも日本でも、自分は活躍した」と日本人に説明するのか不思議で仕方ないです。
それにも関わらず、私は、なぜセルジオ越後が「ブラジルでも日本でも、自分は活躍した」と日本人に説明するのか不思議で仕方ないです。
これ程、乏しい成績の記録が明確に存在しているが、なぜ「活躍した」と言い張るのか?
セルジオ越後は、辛口コメンテーターとは思えない程、自分には甘口の評価です。
【 セルジオ越後、本当の経歴。 】
本当の経歴 (ブラジルの幾つものメディアが紹介してる)は、以下です。
日本人にメディアで紹介しているものと、全く違う。
最近、やっとバレてウィキペディアに載るようになり、ブラジル時代なんと0得点が発覚した。
【 本当の経歴 】
「19才」でコリンチャンスと契約し、翌年に即、解雇された。
「18才で契約した」 と日本人に話しているのもウソです。 本当は19才で契約しています。
セルジオ越後。 1945年生まれ。
1964-1965 コリンチャンス (サンパウロ州 1部) 11試合 0得点。
1967-1968 トレスポンターノ (ミナスジェライス州 2部) 記録不明。
1971 ブラガンチーノ (サンパウロ州 2部) 記録不明。
1971 パウリスタ (サンパウロ州 1部) 記録不明。
1972-1974 藤和不動産(日本 1部) 40試合 6得点。
[ 解説 ]
セルジオ越後は、ブラジルでは活躍どころか、どこのチームに在籍しても活躍したことがない。
コリンチャンス退団後、その後、ブラジル2部でもすぐに解雇。どこでも長く在籍した事がない。
セルジオ越後は、日本で初めて短期間で解雇されず、3年以上、同じチームに在籍できた。
セルジオ越後のブラジル2部時代の成績は、あまりにもマイナーなクラブなので、記録が残っていないか、もしくは、ブラジル・メディアでも見つけるのが困難な状況なのだと思います。
ブラジルのメディアは、どこも「記録不明」の扱いなんです。
故に、ブラジル2部では、何試合に出たのかすら全く分かりません。
そして、1部のパウリスタに1年も満たない期間所属していますが、これも試合に出られたのかどうかすら分かりません。これも記録不明です。本人に聞くしか真相究明が不可能。ブラジル人でも分かりません (笑)。
この男は、出場していたら、パウリスタ時代の集合写真を見せ、自慢すると思います。
それをしていないので1試合も出場できず、ただ所属していただけの可能性が高いと思います。
パウリスタ時代の写真は、ブラジル・メディアでも1枚も紹介されていないので、恐らく、セルジオ越後は、試合出場は、全くできなかったと思います。
セルジオ越後は、ブラジルでの各クラブの在籍期間が、短か過ぎます。
恐らく、彼は、プロの試合に30試合以上出ていないでしょう。
恐らく、彼は、プロの試合に30試合以上出ていないでしょう。
この男は、日本人の想像以上にプロ経験が乏しいです。それを経歴詐称して隠しています。
その後、「日本初の元プロ外国人選手」として鳴り物入りで来日したが、「40試合で、僅か6得点」という信じられない得点能力の低さを見せた。
日本のトップ選手に全く敵わない実力でした。
セルジオ越後は、「日本に来たブラジル人フォワードでは、史上最低レベルの成績」です。
彼は、日本のアマチュアに大負けしたプロ選手です。
しかし、日本での経歴も 「活躍した」と詐称している。
日本での成績。 プロだが日本人に全く敵わない、酷過ぎる。
【 選手時代、計3シーズンの日本人トップ選手との比較 】
セルジオ越後 1972-74 3年間で、40試合 6得点。 アシスト 5
釜本邦茂 1972-74 3年間で、48試合 49得点。 アシスト 15
松永章 1972-74 3年間で、 50試合 40得点。
参考として、タイ人ミッドフィルダーでアマチュア助っ人選手の成績を紹介します。
ヴィタヤ・ラオハクル 1977-1978 2年間で、33試合14得点です。
当時、日本はプロ禁止でしたので、ラオハクルは日本では会社員の位置づけです。しかし、ラオハクルは、元プロのセルジオ越後より優秀な成績でした。
セルジオ越後は、日本では、僅か3年で引退しました。
助っ人で「3シーズンで、6点しか取れない」なら当然ですね。
この男より、他のブラジル人を獲得した方がましだったのです。
セルジオ越後に代わって入団したカルバリオは、1年で23得点した。
現状で、セルジオ越後が、選手時代、決めたゴール数は、確認できるモノは、日本・ブラジル合わせて、たった「6ゴール」のみです。
「低レベル、会社員 日本人選手」にも全く及ばない、酷過ぎる成績です。
これで日本に「助っ人」で来たというのだから愕然とする。
しかも、27才という脂の乗った全盛期で、この成績だ (27-29才 日本でプレイ)。
彼は、ブラジル2部でもすぐ解雇されるレベルだから仕方ないのでしょうか。
セルジオ越後は、「プロの肩書き」で来日して、「自分だけプロ。残りは全員アマチュア」という環境でした。
しかし、40試合6得点でした。
しかし、40試合6得点でした。
一方、日本人トップ選手は、同じ期間にほぼ同じ試合数に出場し、40~50得点を取っていました。セルジオ越後の「約 8倍」の得点成績を残しました。
セルジオ越後は、アマチュアの日本人トップ選手に全く及ばない実力でした。
しかし、テレビ出演では、「自分はブラジルで一流選手だった」と自己紹介しますから、私は、「セルジオ越後は、頭がおかしい男では?」と思う程です。
時々、天皇杯でプロ・チームが大学生 (アマチュア)に負けると、この男は、「プロが情けない」と批判して威張り散らしてます。
私は、それを見ると、「お前の現役時代はなんなんだよ」と言いたくなります。
私は、それを見ると、「お前の現役時代はなんなんだよ」と言いたくなります。
こんな奴が日本でコラム連載を持ったり、日本代表の試合後にコメントをテレビ局から求められて、「日本人は、まだまだ実力不足」と、ほぼ毎回、偉そうにコメントしている訳です。
「セルジオ越後、経歴詐称 2」へ進む。


















