
1978年、2冠優勝して、サポーターに挨拶する奥寺とケルンのメンバー。
左奥が、奥寺康彦(日本代表FW、26才)。
【ヘネス・バイスバイラー監督の慧眼。】
その5年後、1977年にシモンセンは、バロンドール(欧州最優秀選手賞)を受賞した。
彼は身長165センチと小柄である。そして、ボルシアMGに入団した当初は、足は細かった。
その為、シモンセン(20才)が入団した当時は、誰も将来、彼が「バロンドールを受賞する名選手になる」とは、つゆ程にも想像をしなかったそうだ。
しかし、それ程に、バイスバイラーは、「ダイヤの原石」のように他の人間ではよく気づかない才能について、きちんと見抜く事ができた。そして、一流選手のレベルまで伸ばす指導力があった監督だそうだ。
最近、岡崎慎司(33才) が、マラガ(スペイン2部)に移籍が決まった。
その後、彼は、他のクラブに移籍しても活躍できず、33才で引退した。
韓国では、1980年代、名フォワード、チャ・ボングンが居た。彼は、レバークーゼンという中堅クラブに居た。
「チャ・ボングンは10年もドイツに居たが、ブンデスリーガで優勝争いをした経験は一度もなく、キャリアを終えた」。
一方、奥寺氏の所属チームは、「欧州9年中、5回」は優勝争いを演じた。
2部時代ヘルタでも、奥寺康彦は優勝争いをした。だから、正確に書くと、奥寺氏は、「欧州9年中6年」は、優勝争いに加わった。
凄過ぎる。
つまり、奥寺氏の実力は、際立っているという事だ。











