「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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2020年01月



私は、自分のアメーバ・ブログ(現在は、もう消滅している)において、
「サッカー評論家、結城康平を批判する。ポジショナルプレーについて解説する」
という記事を書いたら、大きな反響を呼び、僅か3日間で25000人もの人が、この一記事を読んだ。
現在でも毎日、100人以上がこの記事を読んでいる状態である。

私は、その上記のブログにおいて、
「イギリスの国営放送、『BBC』のサイトで、結城が現在、世界で注目されていると言っている、『ストーミング (Storming : 嵐)』という戦術用語を検索したら、サッカー記事でヒット数がゼロだった」
と皆さんに説明をした。
そうしたら私の記事を見た結城は、自身のツイッターで、このように投稿した。

結城 康平‏ @yuukikouhei  1月20日

この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。

スクリーンショット 2020-11-06 093807

以上が結城の投稿である。

私は、これを見聞し、本当に結城は詐欺師だと思った。
私は、情報というのは、「誠実さ」が一番大事だと思っている。
つまり、自分が発信している情報というのは、
「世界でどれぐらい認知され、どれぐらい重要で、このデータは間違っていないか?」など、それぐらい情報を受け取る人達が誤解しないように、「客観的視座」を持てるように発信するのが礼儀だと思っている。
私は、このブログで読者の皆さんに、色々と情報・データをご紹介しているが、その点について非常に気を使っている。 
間違ったら「大ごとだ」と思い、そこにエネルギーを注いでいる。
私は、「自分が書いたデータは間違っていないか?」、
「この情報は現在、世界でどれぐらい普及していて、どれくらいの重要度であるか?」などに配慮して、読者の皆さんが正確に情報を受け取り、ご理解できるように努力している。
しかし、結城康平の場合、自分で
「『ストーミング』 という戦術用語が、世界で注目されている」、「サッカー界の新潮流」などと書いて宣伝しているが、とてもいい加減なのである。
私のような一般人に、
「イギリスの国営放送、『BBC』では、サッカー記事でそんな英単語は一度も使われてませんよ」と指摘されたら、上記のように、読者に向かって、
この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。
と書いて終わりにするのである。
これでは、結城康平によって、「ストーミング」という言葉が、
「世界で流行を見せ、現在、イギリス国内のサッカー・ファンも当然、使用している話題の言葉だと信じた日本人サッカー・ファン」 にとっては、デマ情報を握らされたのと同然だろう。
しかし、結城は、上記のような無責任な言動で、この件を終わりにするのだ。
私は、結城は本当に、「クソ評論家」だと思う。
この男の商売の仕方というのは、
「世界で普及をしていない、定着していない言葉を、『重要な戦術用語』として紹介して記事を書き、それを売る」というモノである。
これでは、詐欺だろう。
私は、結城康平は、「この言葉は、世界で全く流行ってません。全然、普及してません」と正直に日本のサッカー・ファンに説明してから記事を書くべきだと思う。
結城という男は、サッカー記者、ジャーナリストとしての基本が全くない人間である。
まとめると、結城康平、林舞輝、浅野賀一、西部謙司、雑誌「フットボリスタ」という連中の商売の方法は、全て上記したようなやり方である。
私は、このブログにおいて、現在、「ポジショナルプレー」という言葉が、イギリス、スペイン、南米で全くと言っていい程、使用されておらず、サッカー・ファンの間で、全然、定着していない言葉だということを皆さんにご紹介した。
一方、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝らの活動というのは、自分が勉強したサッカー界の主に「論文」から、「カタカナ用語」を持って来て、「日本の皆さん、この戦術用語が、現在、世界で流行してます」と言ってウソをつく。そして、日本人サッカー・ファンに毎回、「覚えておかないといけない用語」と思わせて宣伝して商売をする。それを繰り返しているのである。
そして、「有名な〇〇監督が使用している」などと読者が食いつくように、冒頭に書いて紹介するのだ。
この有名な「〇〇監督」というのは、大抵、毎回、ジョゼップ・グアルディオラなのだ。
しかし、ポジショナルプレーというのは、1990年代、既に25年前に、ルイス・ファン・ハール監督が実行していた方法で、何も新しくない。ファン・ハールは、「アヤックス旋風」というのを起こして世界王者にもなっている。
それを現在、弟子であるグアルディオラが真似してやっているというだけだ。
しかし、結城康平は歴史を勉強してない知識不足の人間なので、「新戦術、新思想」と言って、日本人にウソをついて宣伝している状態である。
ポジショナルプレーというのは、別に「サッカーをやっていて普通の動作」である。声高に叫ぶ必要がないのである。
だから、ファン・ハールが25年前にやっていても、現在、全く世界で常識語として定着していないのだ。 

林舞輝という男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝している。
恐らく、この言葉も世界で流行っていないだろう。
私が、イギリス国営放送『BBC』 のサイトで、「Periodizarion」(ピリオダイゼーション)で検索したところ、サッカー記事は7件だけヒットした。
内訳は、男子サッカーで5件。女子サッカーで2件だ。
使用されてはいたが、ほとんど目にしない用語という事だ。
結城にしても、林にしても、一般人が聞いてよく分かんない言葉を持って来るのだ。
「カタカナ語」を持って来る。 
「ポジショナルプレー」にしても、「ピリオダイゼーション」にしても、カタカナ語なので、「何ですか? それ」みたいな一見してよく分からない。
彼らは、説明を聞かないと分からないという単語を「釣り餌 (つりえ)」のように持って来る。
このようにして、サッカー・ファンを食いつかせ、商売をするという方法だ。
雑誌「フットボリスタ」と結城、林らは、実際は、「これらの言葉が世界で流行っていない」という現状を隠して、さも重要で、「これらの言葉は、サッカー・ファンは押さえておかないとまずい」という雰囲気の文章を書くのだ。そういう宣伝文句つきで文章を書くのである。
私は、こいつらは、本当に詐欺師だと思う。
彼らには、私のような正直さが全くない。
「この言葉は、世界で普及してません」など、そういう一言は、絶対に前もって告げないのだ。
むしろ逆で、「サッカー界の新潮流」という言葉を持ち出して、「これから、これがサッカー界の主流になって行く」とでも言うような雰囲気の宣伝文句を掲げた後、文章を書く。 
そしてわざと難解にして、曖昧な文章を書く。
彼らの文章は、「言葉の定義がはっきりしない文章」を書くので、全文を読んでも理解しづらいという特徴がある。本当に悪質な文章を書く。

日本人サッカー・ファンの皆さんには、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝という詐欺師評論家達には、くれぐれもだまされない事を願います。
こいつらが、自分達が宣伝する戦術用語について、「世界における普及度」について正直に説明することは全くありません。
なぜなら、こいつらは詐欺師だからです。
世界で流行していなくても、「流行している」と思わせ、「戦術用語を宣伝して行く」というのが、こいつらの汚い商売だからです。
結城康平、林舞輝は2人共、20代のようだ。私は、若手のサッカー記者は、詐欺師で溢れていて、本当に日本サッカーのマスコミ界は、暗いなと思います。
そして、雑誌「フットボリスタ」は、本当に酷い雑誌だと思います。
私は、この雑誌の編集長である浅野賀一という男は、問題のある人物だと思います。

私の意見としましては、「詐欺師は、早く業界から駆逐した方が良い」と思います。
流行ってもいない、重要でもない戦術用語を宣伝しまくる詐欺師が居ると、日本のサッカー・ファンが混乱するし、誤った認識・知識を得てしまうからです。
彼らが自分達の態度を改めることなく、今後も世界で流行しておらず、定着など全然していない言葉を、さも「世界では認知されている」としてだまし、日本人に対して、覚えることが必須の戦術用語として紹介し続けるならば、本当にサッカー・ファンは怒って、サッカー業界から放逐すべきだと思います。


【 結城康平、林舞輝には知性がない。その理由を教える。 】

私は、結城康平、林舞輝には、『知性』がないと思う。
この2人の文章に共通する特徴は、「過去・歴史」というのが無いのだ。
例えば、結城康平は、「ポジショナルプレー」というモノを説明する際に、過去に、これを行っていた監督の紹介というのを一切、しない。
「ゼロ・トップ」、「偽9番」という戦術に関しても、過去にそれを実行していた監督の紹介というのを一切、行わない。
私は、以前、このブログで、イギリスの「ガーディアン」という高級新聞紙では、イギリス人記者が、読者に対し、「サッカーの歴史を紹介している。ゼロ・トップの発祥から説明している」というのをご紹介した。

現在、西部謙司という評論家が、
「『偽9番』、『ゼロ・トップ』の発祥は、1940年代である」と日本人に説明をしている。恐らく、それは間違いである。
1930年代でも使用していたチームはある。そして、イギリス人の記者の中には、1894年に、既に「偽9番」はあったと、イギリス国民に説明をしている人も居ます。
西部謙司というサッカー評論家は、とても問題のある評論家である。
この男は、「歴史をサッカー・ファンに説明するが、その出典は、一切、説明しない」というとんでもない評論家である。つまり、常識がない馬鹿である。


話を、結城康平、林舞輝、雑誌「フットボリスタ」の件に戻す。
この「過去・歴史」を決して紹介しないというのが、結城康平の大きな特徴である。
これをしてしまうと、結城にとって、「新戦術」と言って日本人に紹介する「詐欺的記事」作戦が全て破綻してしまう。
「過去に、この戦術をやっていた人物(監督)が居ます」という設定になると、「新戦術」でなくなるので、読者の好奇心・関心を引き付けられない。
その為、結城の書く記事には、「過去・歴史」という要素は、毎回、省かれているのだ。
こういう人間は、「知性がない」。そこを日本人は知って下さい。
また林舞輝も同じである。
この男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝しているが、
「それと似たようなことをやっていた監督は過去に居たか?」という説明は拒否している。
恐らく、彼もそれをすると「新戦術」という設定が崩壊するので避けている。
つまり、こいつらは真に知性的な人間でも、誠実な人間でもないという訳です。
「読者に、本当に正確な情報・知識を届けたい」という気持ちで活動してません。
これは日本人の特徴なのかも知れませんが、私は、本当に酷いと思いますね。

私は、サッカーを見る際、監督については、「監督評」というのをメモしている。
これは私が衛星放送で、本格的に海外サッカーを見始めた1990年代からやっている。
趣味でメモとして残している。
だから、「この監督はこういうスタイルだった」というのを把握している。
また1990年代以前の試合を見た際にも、有名監督の場合、その特徴をメモしている。
それ故、「サッカーの名将」に関して、「どういう監督だったか?」というのが、大体、分かる。
だから、結城が「ポジショナルプレー」と書いて記事にして説明した時、私は、「これは1990年代、ルイス・ファン・ハールがやっていた事と同じだ」と即座に分かったのである。
だから、私は、他の日本人達と違って、結城にはだまされなかったのである。
私は、このように「過去の名将がどういう特徴があったか」というのが、大体、分かる。
しかし、結城康平、林舞輝というバカ2人は、そういう勉強を拒否しているようだ。
だから、彼らの書くモノには、「過去・歴史」がない。
そして、毎回、この2人は、「新戦術」として紹介する。アホである。
この2人は、思考のスパン(射程距離)が圧倒的に短いのだ。 
1990年代すら勉強していない。
そこに、ほぼ100%の日本人サッカー・ファンは気づいていない。
彼らの「薄っぺらさ」に気づいていない状態である。
私は、サッカー評論家をやるならば、「歴史を一応、押さえておかないとやばいだろ」という考えがよぎるのが普通だと思う。
しかし、彼らは全くその必要性を感じていないようである。
だから、彼らの書くモノは永久に薄っぺらい。間違いを書いている。


 それでは、皆さん、さようなら。


日本では、サッカー日本代表の成績が悪いと、「日本サッカー協会会長」の解任を求める声がすぐ上がる。
私は、この光景を見る度に、毎回、強い違和感を覚える。
と言うのも、ブラジル、アルゼンチンなどでは、サッカー協会会長が、長期に渡り任期を務めるケースが多いからである。
ブラジルのアベランジェ、アルゼンチンのグロンドーナなどがその例である。
彼らは、20~40年ぐらい会長を務めていた。
私のこの意見を聞いて、
「ブラジルとアルゼンチンは、強豪国でサッカーの成績が良いので、会長に対して解任要求が起きないんだ」
と反論して来る方が居られるかも知れないが、これらの国々では、それが理由で解任要求が起きないという感じではない。
これらの国々でも大会成績が悪かった時もあったが、解任されなかった。
ブラジルなどの国では、元々、代表チームの成績が、「サッカー協会会長の進退に影響する」という文化・慣習がない感じなのである。
影響したとしても、その影響は薄い。
故に、私は日本の光景を見ると違和感を覚えるのだ。
そもそも、サッカー協会の会長の仕事というのは、「代表チームの成績」が、一番の任務なのだろうか?
代表チームの成績が悪い結果に終わったとしても、日本国内において、以前よりサッカー人気が増したとか、サッカー人口が増えたとか、そういう現象が起きていたならば、私は、解任する必要がないように思うのだ。
はっきり言って、サッカーの試合なんて微妙なモノである。
実力的にほとんど差がなくて、微妙な事で勝敗が分かれたりすることは多い。
だから、サッカーの国際大会の結果ひとつで協会会長の解任を訴えることが、おかしく思う。
長い年数が経っても、明らかに世界の強豪国との実力差が甚だしくて全然、縮まらないというのならば理解も示せる。
しかし、そうでないならば、それは会長の責任ではなく、監督・選手の責任だろう。
「代表監督を選んだ会長には、任命責任がある」と主張する人がおられるかも知れないが、私は、前述のように代表チームの成績、サッカーの試合なんて「水物(みずもの)」みたいな所があるので、あるレベルの監督を起用していて、結果が得られなかったのならば、任命責任が大きいとは思わない。
私は、日本人というのは、「サッカーは、代表チームにしか関心がない」ので、このような姿勢なのかと思う。
日本サッカー協会会長というのは、「Jリーグ」の発展とか、「女子サッカー」の発展とか、他の面も考えて仕事をしていると思うが、男子の代表チームの成績だけを進退問題の一番のポイントとするのは、本当に視野が狭いとしか思えない。
日本サッカー協会会長の進退というのは、もっと総合的な視点で考えるべきだと思う。

 それでは、皆さん、さようなら。



私は、日本という国は文化がないと思う。
日本人は、自分の国を文化的な国だと思っているようだが、文化的な国というのは、日本人のように「スクラップ アンド ビルト」 で建物を壊したり、建てたりと落ち着きのない騒々しい国ではない。
長年の文化の蓄積により、良くも悪くもかっちりと固まっているモノがあり、どこか落ち着きのあるモノである。
ヨーロッパなど、「街並みの維持」に関する規制が強く、勝手に建物を壊したりするのが難しい地域が多い。
これなどは文化的な国である度合いが強いからである。
日本人は教養がない。
教養というのは、歴史、哲学、宗教を抜きには語れない。
しかし、日本人というのは、これらの歴史、哲学、宗教を抜きに生きている民族である。
歴史、哲学、宗教に興味がないので、街を見れば、それらを大切にする街づくりにはなっていない。
日本人は、ただ「食えれば良い」、「金が儲かれば良い」という目的で生きてる民族であり、それが最大限に生かせる街作りであるなら大歓迎というだけである。
「24時間営業のコンビニエンスストア」、
「遅くまで営業するスーパーマーケット」、
「便利こそ正義」とでもいう感じで、「家族主義」などの他の国が大事にしている価値観などは、どこかへ飛ばされている。
経営者は自社の利益の最大化ばかりを考え、社員の人間らしい暮らしは考えていない。
歴史に関心のある国ならば、日本民族の末永き繁栄を考え、家族生活の維持、良好さに配慮するだろう。
哲学に関心のある国ならば、思想面においてこの経済力最優先の社会は、人間生活の本質として正解なのか? という面に踏み込むだろう。
宗教に関心のある国ならば、安息日すらろくに実感できないないような慌ただしい生活は、人間本来の生活と言えないと思うだろう。 
(これは単なる「休日」ではなく、社会全体が機能停止したような社会の安息を感じさせる、そのレベルの休日である)。
宗教に関心のある国では、人間生活には、「祈り」の日、「祈りの時間」が必要と考え、それらの日、時間を作る必要性を訴えるだろう。
しかし、日本には、これらの考えが全てないのである。
このような国では、「文化的な国」となるのは不可能だろう。
だから、日本で暮らすことは気持ちが安らかにならない。
どこが慌ただしく、気持ちが落ち着かないのである。
つまり、この国には、「軸」 がないのである。
歴史、哲学、宗教に関心のある国は、軸があるが、そうでない国は、軸がない。

それでは、皆さん、さようなら。



堀江貴文という訳(わけ)の分からない人間がいる。
この男は、昔、「ライブドア」というインターネット事業を扱う会社の社長をしていた。
私は、その後、現在、この男が何者になっているのか分からない。
堀江貴文は、ライブドアの社長時代に犯罪を犯した。
株価偽装」という罪を犯し、懲役刑をくらい牢屋にまで入ったのだ。
そういう道徳心の欠落した人間である。
「株価偽装」というのは、自分の会社の株価を実際より高く見せ、
「うちの会社の株は高いので、うちの会社は価値のある会社だ」というハッタリをかましていたという犯罪である。
これにだまされて、多くの人が実際は株価は高くない「ライブドアの株」というのを買って、その結果、大損したのである。
それ故、堀江貴文という大馬鹿、卑怯者は牢屋行きとなったのだ。
このバカが最近、本を出版した。
その本のタイトルが、「ハッタリの流儀」である。
私は、思わず笑ってしまった。
「ハッタリをかまして、世間をだましウソをついて牢屋行きになったバカが、『ハッタリの流儀』という本を売るのか?」
と思ったのだ。
しかし、日本人というのは、「記憶力」が本当にないようで、この本を批判しない。
日本人というのは、記憶力がないバカ民族だろう。
だから、政治家が不正を起こしてもすぐ忘れてしまう。
故に、「日本人はバカだ」というのが、私の結論である。
この先、また堀江貴文にだまされる人間が出て来ないことを祈る。


  それでは、皆さん、さようなら。



ここ数年、アメリカの野球リーグ、「メジャーリーグ」(日本では、通称、「大リーグ」とも呼ばれる)では、ホームランの数が増えているそうだ。
その理由というのが、ボールの「反発係数」というのを変えて、バットにボールが当たった時に、以前よりボールを飛ぶようにしたからだそうだ。
そして、現在、なぜメジャーリーグがそのような事をやっているかと言うと、アメリカにおいて野球人気が低下しているからだそうだ。
つまり、「ホームランが多く出る試合になれば、お客が増えるだろう」という目的で、メジャーリーグの幹部はボールの反発係数を変え、ボールの球質を変えたのである。
野球というスポーツは、マイナー・スポーツなので、「世界野球連盟」というのがほとんど機能していないようだ。
つまり、「ボールの反発係数の明確な基準」というのがないのだろう。
だから、各国が勝手に変えることができるのだろう。
そして、日本のプロ野球チームで愛知県に本拠地を置く、中日ドラゴンズは、メジャーリーグと同じく人気が低下して困っている。
このチームは、観客動員が減っている球団だそうだ。
日本の野球チームは、お客が入るチームばかりだそうだが、中日ドラゴンズは減っているそうだ。
その為、ドラゴンズは、現在、
「球場の外野部分を狭くして、ホームランが出易くする方針」を発表したそうだ。
これも、アメリカと同じく、
「ホームランが増えれば、お客さんが増えるだろう」
という考えが元になっている。
私は、これを聞いた時、
野球というスポーツって、結局、パチンコと同じか?
と思ったのである。
つまり、パチンコ屋は、お客が減ると
「お客が増えるように、パチンコ台の釘を調節して、穴にパチンコ玉が多く入るようにいじる」。
野球界のお客を増やす方法って、結局、これと同じではないか?と思ったのである。
その結果、私は、「このスポーツって一体、何なんだ?」と思ったのである。
あまりにも浅くないか? と思ったのだ。
ホームラン1つで客が増えるというのが分かり切っているという単純なスポーツなのか?と思ったのである。
それなら、パチンコとあんまり変わりがないではないか?と思ったのだ。
日本人は、こんなスポーツが好きで一番人気があるのだから、随分と頭が単純な民族なのではないか?と思った。
ホームランが増えれば、ワイワイと喜んで客が増えるのならば、こんな簡単な話もないだろう。
つまり、ホームラン以外で、大して面白い部分がないスポーツという事なのだろうか?
そう考えると、野球の人気がある国というのは、「ホームランを見るのが異様に好きな民族」と言えるかも知れない。
私は、「あんなモノは、筋肉のある奴なら打てるもんだから、大したもんではない」と思い、相手にしてない。しかし、日本人は、そうは思わないようだ。
私は、ホームランというのは、
「筋肉のある奴が思いっきりバットを振り回し、当たればボールが遠くへ飛ぶ」
というだけの現象だと考えている。
だから、アメリカの白人、黒人でマッチョな奴が有利で、そいつらが棒(バット)を振り回し、ボールに当たれば、そのボールは遠くへ飛ぶ。
「だただそれだけのもんだ」と解釈している。
私は、それ程、「ホームラン」というのを単純な話だと捉えている。
だから、さほど惹きつけられない。
私は、こんな単純な話に惹きつけられる民族は、相当、頭が軽いのではないかと思ってしまう。
私は、「ホームランが、とても美しい」として、そこに「美」を感じて観に行っているという人が居られるならば理解を示す。
私は、ホームランは、美しいと思う。スポーツ・ニュースでホームランが紹介されていると、見てしまう。ぼーっと見てしまう。だから、私は、野球を完全に否定できない。
しかし、私と違い、そこに美はろくに感じず、ただ「ホームランだ」とワイワイ騒いでいる連中が居るならば、随分と単純な人達だなと思う。

  それでは、皆さん、さようなら。



私は、時折、NHK-BSで海外リーグの試合を見る。
その際のNHKのテロップの入れ方が酷い。
サッカー界において、対戦する2チームのチーム名をテロップで入れる場合、
左側に「ホーム・チーム」、右側に「アウェー・チーム」を入れるのが常識である。

世界中、そのテロップ表示で放送している。
しかし、NHKの場合、この常識を守らないのである。
NHKのテロップ表示のやり方というのは、
現在、左側に陣地を取っているチームの名前を左側に表示し、
   右側に陣地を取っているチームの名前は右側に表示する。
そして、後半になってサイドが変わると、
その表示を逆にするという仕方を取っているのである。
私は、NHKがなんでこんな事をしているのか分からない。
恐らく、サッカーのド素人が試合を見る場合、そちらの表示の仕方が分かり易いという事で、この方法を取っているのかも知れない。
しかし、普通のサッカー・ファンからすると、このやり方をやられると、逆に混乱するのである。
「えっ、確かこのスタジアムって、このチームのホーム・スタジアムだよな。なんでチーム名が右に書いてあるんだ?」
という疑問・気持ちに何度となくさせられるのである。
という訳で、私の結論は、NHKは直ちに、このアホなテロップの入れ方を止めて、世界と同じ方法を採れという事である。
NHKに勤める人間は、相当バカらしく、
「世界でその方法で成り立っているならば、日本人もその表示方法が分かるだろう」という思考には至らないようである。
NHKというのは、そこまで日本人をバカだと思っているのだろうか?


 
 それでは、皆さん、さようなら。




私は、日本の民放のサッカー中継を見ると、不必要なテロップが多いので、本当に不愉快に思い、怒っている。
私は、海外のテレビ局が中継している試合を見ることがあるが、日本のテレビ局のようなテロップの入れ方は、決してしない。
外国は、実にシンプルで、テロップを入れることを必要最小限に留めている。
しかし、日本人はバカなので、「視聴率を上げたい」という欲から、テレビのチャンネルを合わせた人や、「にわか」ファンが状況をすぐ分かるように試合の画面に「キャッチ・コピー」みたいなテロップを入れている。
例えば、今年の高校女子サッカーでは、確か「『2年前の優勝校』  対 『古豪』」というようなテロップが、画面の右上に試合中、ずっと表示されたまま放送されていた。
私は試合を見ていて、この表示が本当に邪魔だと思い、ずっと不快感を抱えたまま試合を見ていた。
「そんなモノは、時折、アナウンサーが口で説明すれば良いだろ」、
「そんなモノは、試合前にアナウンサーが説明しておけば良いだろ」
と思いながら見ていた。
私は、日本人の多くは、このテロップの異常表示、過剰表示とでもいう日本のテレビ局の行為に対して、「海外ではやってない」という事を知らないのではないか? と思う。
そして、それを知っていて不愉快に思っている人間は、なぜ我慢するのか?と思う。
この日本のテレビ局の行為は、本当に酷い。
私は、昨年、日本テレビ(NTV)が中継を担当した、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を見ていた。
そうしたら日本テレビは、「世界一が決まる」という決勝戦の試合中に、「自社の他の番組の宣伝テロップ」を何回も表示したのである。
他のサッカー関連番組とか、他のバラエティー番組の宣伝テロップである。
私は本当に腹が立った。
この会社は、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を、
「芸術作品を保存するか如く、録画してコレクションにしようと思っている」
というサッカー・ファンが居ることを考えないのだろうか?
と思った。
また「歴史的試合」であるこの映像に、くだらん番組宣伝テロップを入れる事に、「恐れ」とか、「恥ずかしさ」はないのだろうか?
と思った。
私がテレビ局スタッフならば、「有名な歴史的な傑作絵画に自分が筆を入れて汚している」という気分になり、恐れ多くてとてもできない。だから、なぜこいつらは、こんな事が平気でできるのだろうか?と思って不思議で仕方なかった。
やはり日本人というのはバカなのだろうか?
そうとでも結論しないと、こいつらの思考は理解できない。これは、バカでないとできない行動である。
という訳で、それに怒らない日本人もかなりバカだと思う。
という訳で、私は、日本人は全体的にバカだという結論に達した。


  それでは、皆さん、さようなら。

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