「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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2020年10月



私は、日本人サッカー評論家の意見を聞いても意味がない事に気づいた。
なぜなら、彼らは勉強していないからだ。
具体的に言うと、戸田和幸、中西哲生、水沼貴史、北條聡、小澤一郎、西部謙司、亘崇詞、結城康平などだ。
現在、ユーチューブというメディアが出来て、日本人サッカー評論家、元選手のサッカー評論家らが、日々、情報を発信している。
私は、彼らの話を聞いた。
それで分かった事は、全員、「自分が思ったことを話しているだけ」なのだ。
私は、サッカー評論家というのは、海外の情報に通じていて、
「海外の新聞では、著名な評論家が、この試合について、こういう意見を言っていた」とか、
「自分は、この試合に関する、海外の新聞記者の記事を読んで、面白い意見を見つけた」とか、
「海外のスポーツ新聞の読者投稿欄では、こういう面白い意見があった」とか、
「海外のスポーツ新聞の読者投稿欄を見ると、現地のサッカー・ファンの意見は、こういう意見が多い」とか、そういう話を聞けると思ったのだ。
しかし、私は、ユーチューブで色々、結構、見たのだが、そういう話をしている評論家が、全く居ないのだ。
毎回、「自分が思ったことを話している人間だけ」しか居ないのだ。
これは、実況アナウンサーも同じである。サッカー番組に出演していて、海外の新聞の意見などを紹介するのかと思ったら、全くしないのだ。
つまり、全員が、「自分が思ったことを話しているだけ」なのだ。
私は、これを見て、「日本人評論家、日本人アナウンサーたちは、海外の新聞を全然、読んでいない」
ということを確信した。
なぜなら、読んでいたら、「面白い意見を読んだ」とか、「海外のサッカー評論家の〇〇が、面白い意見を言っていた」とか、そういうことを紹介したくなるからだ。
だから、私は、「日本人というのは、皆、勉強していない」というのを確信した。
恐らく、彼らは、私のような一般人以下の情報しか知らないのではないかと思う。
私が海外の新聞を見るより、彼らは海外の情報を見たり勉強したりは、全然していないと思う。
そういう訳で、私のブログの読者で、日本人評論家、日本人アナウンサーを信頼している人達が居たら、それは、妄信です。
私は、日本人評論家、日本人アナウンサーたちは、「彼らは、全然、勉強していない」ということを、皆さんに教えておきます。
日本人の評論家、アナウンサーらは、「自分が思ったことを話しているだけ」というのが実態です。
全然、勉強していないし、情報を取ろうとしていません。

 それでは、皆さん、さようなら。





日本には、最近まで、大橋巨泉という芸能人が居た。 
カテゴリーで言うと、彼は、芸能界では、「司会者」 という仕事をしていた。
私は、この男がとても嫌いであったが、1つだけ感銘を受けたことがある。
それは、この男が、ラジオ番組に出演している時に聞いたコメントである。
以下が、その時の巨泉の発言である。

「アメリカでは、芸能人のゴシップで金儲けするのは、低俗な会社がやる仕事だ。
しかし、日本では、高尚な本を出版している会社が、芸能人のゴシップ、女性のヌードが載っている雑誌を発行して商売をしている。
小学館が、子供の教材の本を売ると同時に、週刊ポストを売っている。
新潮社、文藝春秋などは小説を売っているが、週刊文春、週刊新潮などのゴシップの本を売っている。
パナソニックは、世界的な電機会社だけど、『女性の性器具のバイブ』 は作らないでしょ。
日本のマスコミの会社は、恥を知らない。」
と述べていた。

私は、これを聞き、本当にそうだと思った。
日本のマスコミというのは、大手の出版社が、教科書や高尚な教養本を販売すると同時に、一方で芸能人のゴシップ本を売ることにも熱心である。
芸能人の私生活を見張ったり、周辺から情報を聞き取りしたりと、実に低俗なことをやっているのである。

私は、これは、「スポーツ新聞」 にも感じる。
日本のスポーツ新聞というのは、「芸能界情報」が、どこの新聞にも必ず載っている。
そして、日本人は頭がおかしいのか、「スポーツ新聞」と看板を掲げて活動しているにも関わらず、スポーツ新聞の一面が芸能人の話題にすることは、普通である。
日本人は、これを異常だと思わないようだが、普通の国ではまず起きないことである。
また、日本のスポーツ新聞は、私は今はどうなっているか知らないが、20世紀は、店で売られているスポーツ新聞には「猥褻 (わいせつ)情報」が必ず掲載されていた。
「ソープ・ランドなどの性風俗店の紹介情報」、「風俗嬢のインタビュー」、「エロ漫画」、「女性のヌード写真」、「新作のアダルト・ビデオの紹介情報」、「AV女優のインタビュー」などが、毎日、掲載されていた。
私は、海外旅行した際、サッカーの強豪国でスポーツ新聞を買ったことがあるが、日本のような状態では、全くない。
スポーツ新聞なので、新聞の一面は、毎日、スポーツ選手が飾っている。
また、中身を見ても、芸能界情報など載っていない。
また、「性風俗店の紹介情報」とか、「性風俗嬢、ポルノ女優のインタビュー」などは、一切、載っていない。

私は、以上のような事を考えると、日本のマスコミで仕事をしている人間たちは、とても下品だと思う。
恐らく、日本のマスコミは、「世界一、下品」だろう。
私は、日本国民がこのことに関して、意識が全くないように思う。
私は、大橋巨泉が指摘したような視点を、日本国民は全く持っていないと思っている。
つまり、日本のマスコミというのは、「儲かればいい」という極めて単純な思考の下、活動を続けている。
「私達は、小学生に教材を販売している会社なのだから、芸能人のゴシップなどの本を売る商売は止めよう。芸能人の私生活を探る為に、探偵のように見張りをする人間を雇って、そして芸能人の写真を撮って売るのは止めよう」
とか、
「俺たちはスポーツ新聞なのだから、新聞の一面は、スポーツ選手を載せよう。
芸能人が事件を起こしたり、結婚したりした日は、その芸能人を一面に載せた方が新聞が売れるかも知れないが、俺たちはスポーツ新聞である。スポーツ業界の繁栄の為に存在しているのだから、芸能界を特集した方が新聞の売れ行きが伸びるからと言って、そんな事をするのは止めよう」
とか、
「俺たちは、スポーツ新聞なのだから、新聞の中に『猥褻 (わいせつ)情報』 を載せるのは止めよう。そもそもスポーツは神事なのだから、『猥褻』 な情報を載せるのは、不謹慎だろう。性風俗店の紹介とか、ポルノ女優のヌードとかインタビューを載せるのは止めよう」
とか、そういうことは、日本人は思わないのである。
そして日本人は、なんと戦後、50年以上、こういうことをやり続けているのだ。
現在、21世紀であり、2020年になっているが、日本人の品性が上昇することはない。
私は、本当に日本人は酷いと思っている。
しかし、このような日本人であるが、「自分達は、先進国だ」 、「自分達は、モラルが高い」 、「自分達は、上品な民族だ」とか、そういう自己イメージを持っているのである。
私は、そこが非常に不思議である。
私は、日本のマスコミほど、下品な人間が多い国は、無いのではないかと思う。
つまり、いわゆる 「エリート」と言われるような大手のマスコミに務める人間が、恥も知らず、「ゴシップ情報」の分野は儲かるので、どんどん自分の雑誌・新聞に載せるという行為を構わずやるのだ。 
これらゴシップ情報は、他の国では、「エリート」ではなく、低俗な人間、低俗な会社がやる仕事である。
しかし、日本の場合は、誰もが、「金 (カネ)になる」という事で、構わずやっているのだ。
私は、本当に日本人は、どうしようもないと思う。
そして、大橋巨泉のように「お前ら、下品だ」 と大手のマスコミの会社に対して、誰も指摘せず、批判しないことが、本当におかしいと思う。


 それでは、皆さん、さようなら。



私は、インターネットを使って海外のスポーツ新聞、雑誌を読んでいる。
長年、おかしいと思っている事がある。
それは、海外のスポーツ新聞、雑誌では、記事に対して「読者がページをクリックするシステムがない」 という事である。
しかし、日本のニュース記事は、「ヤフー・ニュース」 にしても、他の雑誌が運営しているサイトにしても、「読者が、ページをクリックしないと全部、読めない」 というシステム (構造) になっている。
海外のスポーツ新聞は、私のブログのように、長文であっても、ずっと下まで延々と書かれているだけである。
そこには、読者がページをクリックする手間はないのだ。
だから、読者は読み易い。ただ下にスクロールすればいいだけである。
しかし、日本は違うのだ。
日本の場合、ほとんどの記事が何ページにも分かれていて、読者がクリックしないといけない構造になっている。
私の推測だと、このようなシステムになっている理由は、恐らくページを最後まで読んだかどうかで、その記事の人気の度合いを計測できるようにしているのだと思う。
 
私は、「ブラジルのヤフー・ニュース」というのを見に行った。
すると、ブラジルの 「ヤフー・ニュース」は、日本のような 「ページ」がないのだ。
読者に対して、そういう手間を要求していない。だから、とても読み易い。
つまり、日本 と ブラジルで「同じヤフー・ニュース」だが、日本人は気持ち悪く性格が悪いので、読者がわざと読みづらくなるシステムにしているのだ。
日本人は汚いので、わざとそういう世界では行わないシステムを発明して、それを常識のようにほとんどの新聞、雑誌でも、ヤフー・ニュースと同じくそれをやっているという訳である。
私は、このような状態を見て、「本当に日本人は気持ち悪い民族だ」と思ったのだ。
世界の人が行わない、「読者を不快にさせるシステム」をわざわざ作り、どこの会社もそれを常識として行っているのだ。
私は、雑誌「ナンバー」というクソ雑誌のサイトに行った。
すると、ヤフー・ニュースと同じく、クリックしないと全文を読めないシステムであった。
それ故、私はクリックするのが面倒くさくなり、記事を読むのを放棄した。
 
日本のテレビを見ると、「良いところでCM (コマーシャル)を入れる」というのをやる。
これを全局、当然のようにやっている。
恐らく、日本人は、これを50年以上、やっているだろう。
私は、海外旅行した際、現地のテレビ番組を見る。
私は、「未だかつて、日本よりコマーシャルの入れ方の酷い国を知らない」。
私より海外旅行経験が豊富な人は、「日本より酷い国はあるよ」と言うかも知れないが、私の経験の範囲では、日本より酷い国は、まだ見たことがない。
私は、この日本のテレビ業界のコマーシャルの入れ方の酷さと、インターネット時代になり、ニュース記事で「クリックしないと全文、読めない」という酷さは、とても似ている気がするのだ。
どちらも視聴者、読者の立場に立って考えていない。
「どちらも情報を発信する側が傲慢であり、情報を受け取る側が不快な思いをしても、そんなことは知るかよ」という精神性に溢れている。
私は、これが日本人という民族の本性なのだと思う。
世界の人は、「こんなことをやったら、情報を受け取る側が不快な思いをする。だから、こんなことは止めよう」と思う。
しかし、日本人の場合は、その倫理的スイッチがないのである。
「読者、受け手が不快な思いなんかしても知らねーよ。」というのが、日本人の考えである。
テレビ時代になっても、インターネット時代になっても、日本人は変わらない。
日本人は、相変わらず酷い。
私は、日本人という民族が、どうしていつも「自己イメージ」が良いのか不思議である。
私は、日本人しかやっていないような醜い行為というのがあると思うが、日本人は、それに関して、都合良く無視して、「我々は、善良な民族だ」という 「自己イメージ」を形成している。
私は、日本人は、そういう気持ち悪い面を持っていると思っている。
私は、その日本人の体質に、結構、驚いている。


 それでは、皆さん、さようなら。



私は、釜本邦茂は、ヨーロッパに移籍しても通用しなかったと思っている。その理由は、得点能力が低いからである。

釜本本人は、ヨーロッパ挑戦をしていたら「通用する」と言うような口ぶり・態度であるが、私は、無理だと思う。

その理由を、私がこれから説明する。
まず、現在、「Jリーグ」で活躍をしたフォワードが、ヨーロッパ挑戦すると、「日本時代よりも得点できない」という法則がある。
これが起きる原因は、
「日本の国内リーグよりも、ヨーロッパのリーグがレベルが高いから」である。
私が調査した所、
「未だかつてヨーロッパに行ったら、日本時代より得点能力が上がった。得点成績が良くなった」という選手は、1人も居ない。
「ヨーロッパに行ったら、見違えるほど成長して得点成績が見違えるほど良くなった」
という選手は、1人も居ないのである。

それ程に、ヨーロッパで活躍することは、日本人フォワードにとって困難という事である。

そして、「優秀だ」と評価されていた日本人は、「『二桁得点』 をするのがやっと」という状態になる。
「10ゴールできたら、万々歳(ばんばんざい)」という感じになる。

日本で20得点していた選手は、ヨーロッパに行くと、大体、得点数は半減する。うまく行ったシーズンでも10点取るのがやっと
という感じになる。
例を挙げると、高原直泰、前田大然などがそうである。

私は、上記のような法則を、釜本邦茂の場合にも当てはめて考えるとする。
つまり、「釜本1人だけ、通常の日本人に起きる法則が起きない。釜本だけヨーロッパに行ったら、日本時代より得点成績がアップした」
と処するのは、おかしいし、公平ではないと考えるという事である。

釜本邦茂の日本時代の成績は以下である。

シーズン   試合数  得点


1967           14     14    

1968         9     14
1969        12     10
1970        14       16
1971        14     11
1972           14     11
1973        16      9
1974        18     21
1975        17     17
1976        18     15
1977        18     20
1978        18     15
1979        18      7
1980        18     10
1981        18     11
1982         8     1
1983         2       0
1984         0       0   


以上である。


私は、上記の釜本の得点成績を見ると、ヨーロッパに行ったら、
「10点以下しか取れないだろう」と思う。
その理由として、釜本の時代の日本の国内リーグは、
「『Jリーグ』が出来る前よりも、更にヨーロッパのリーグとレベルの違いが大きかった」
という事である。
故に、上記の得点成績は、
「当時の日本リーグは、Jリーグが出来た時代より更にレベルが低い時代だった」ということを考慮して考えるべき成績なのである。
そう考えると、釜本がこの程度の成績ならば、私は、ヨーロッパに行っても通用しないと思う。
釜本が、「14試合出場して、30得点」とか、「18試合出場して、40得点」とか、そういうレベルの成績を残していたら、考えるべき余地はある。
しかし、釜本の成績が、上記のように「14試合出場して、14得点」とか、「18試合出場して、15得点」とか、その程度のレベルの成績ならば、ヨーロッパに行ったら、1シーズン、リーグ戦で34~38試合出場したとして、うまく行って10得点ぐらいだろう。
釜本が、ヨーロッパのリーグ戦に参加して20得点以上を取るというのは、この日本時代の成績を見たら、不可能の数字である。
故に、釜本は、ヨーロッパ挑戦していても、得点王争いには加われない。
そのレベルの選手では、全くない。
上述したように、「釜本だけヨーロッパに行ったら見違えるように成長した」という公平でない考えを適用するならば、それは可能である。
しかし、これまでの日本人選手の多くの例から考えると、釜本の得点能力では、そこから予想される得点成績は、ヨーロッパに行っても、「10点取れれば、万歳」というレベルだと思う。



現在、Jリーグには、外国の1部リーグで活躍している選手が、助っ人として来る。
しかし、釜本の時代の日本リーグの外国人助っ人は、主に「ブラジル2部リーグで通用しない選手たち」だった。
具体的に言うと、セルジオ越後カルバリオなどである。
ブラジル1部で全く通用せず、ブラジル2部に居てそれでも出場機会がないので日本に来たという選手たちである。
セルジオ越後は、現在のところ、ブラジル時代、「プロ・リーグで得点した記録が残っていない」。
ブラジル・メディアでも、セルジオ越後が得点した記録を見つけられないのだ。
そして、セルジオ越後は、日本で6得点しか点を取れなかった。
セルジオ越後は、日本時代、「40試合、6得点」という成績だった。
釜本邦茂の時代、このように助っ人のレベルが、現代と違い、とても低かった。
それでもカルバリオは、当時、日本リーグの「シーズン、最多得点記録」を作った。
カルバリオは、釜本の持っていたシーズン最多得点記録、21得点(18試合出場。1974年の記録)を破ってしまった。
カルバリオは、1シーズンで23得点(18試合出場。1977年の記録)を挙げた。
そういう訳で、私は、このような事実からも、釜本がヨーロッパ挑戦しても、成功したとしても 「10点取れれば良い方だ」というレベルであると考える。
そして、私は、多分、成功しないだろうと思う。
レベルの低い時代の日本リーグで、釜本の得点成績がこの程度の得点数ならば、ヨーロッパに行ったら、その得点数は、もっと減少することが予想されるからだ。
また、ラモス瑠偉は、ブラジル時代、センターバックだった。
ラモスは、元々、ディフェンダーだったのだ。
これを知らない日本人サッカー・ファンが、非常に多い。
ラモスは、ブラジル、サンパウロ州1部の中堅クラブで、センターバックを務めていた。
ラモスは、元々、攻撃のポジションをやりたかったが、ブラジルは上手い奴が多過ぎる。だから、ディフェンダーをやっていたのだ。
しかし、日本に来ると、日本人が下手なので、攻撃のポジションでプレーできるのだ。
そして、ラモスは、日本で得点王になった。
という訳で、昔の日本リーグはレベルが低いので、「ブラジル・リーグのディフェンダーが得点王になれるリーグ」だったのだ。
故に、釜本は、ブラジルに生まれて居たら、ラモスと同じでディフェンダーだったかも知れない。
センターバックをやっていたかも知れない。


私が「釜本邦茂の得点能力が低い」と主張する他の根拠は、ドイツ人、フランク・オルデネビッツの証言である。
彼は、1994年に「Jリーグで初のヨーロッパ人で得点王になった選手」である。
彼は、Jリーグについて以下のように述べていた。
「Jリーグは、ドイツ・ブンデスリーガに比べると、ゴールキーパーのレベルが低かった」
である。
釜本邦茂の時代の日本リーグは、ゴールキーパーは全員、日本人だった。
そして、オルデネビッツが参加していた1990年代のJリーグのゴールキーパーのレベルよりも、釜本の時代の日本人ゴールキーパーのレベルは、もっと低かっただろう。
それにも関わらず、釜本の得点数が上記のレベルなのは、「得点数が少ない」と批評されても仕方ないだろう。


という訳で、日本人 サッカー・ファンは、日本のマスコミ、日本の評論家、釜本の言動により、ずっと「釜本偉大論」とか、「釜本のヨーロッパ挑戦、妄想論」を聞かされている。
その結果、釜本の能力を過大評価している。
しかし、私のように地に足をつけ、じっくり釜本の得点成績を見れば、釜本は得点能力が不足している。「そもそも得点数が足りていない」という事が分かるのだ。


私のブログの読者は、それでもまだ釜本の能力を信じている人が居るかもしれない。
私は、そういう読者には、繰り返しになるが、
「きちんと、得点成績を見て下さい。釜本だけヨーロッパに行ったら、得点能力が大幅に上がるという事はないです。妄想を捨てて下さい」
と言うより他ない。




 それでは、皆さん、さようなら。

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