「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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2021年02月




私は、日本のサッカー界を見ていると、多くのサッカー・ファンが、「既存のJリーグ・クラブを応援する体勢」になっていると思う。
私は、最近、「それは違うのでは?」と思い始めた。
私は、依然として日本サッカー界は、インディーズ・バンドがメジャー・デビューを狙うようにボコボコと新しいサッカー・クラブが創設されては消えるという期間であるべきではないか? と思い始めた。
だから、現在の日本のサッカー・ファンが、既存のサッカー・クラブを応援する体勢になっているのは、「時期尚早」という気がする。

私は、海外のサッカーの歴史を調べた。
私が分かった事は、「海外では、リーグ創設30年ぐらいは、かなり変更が多かった」という事である。各チームが、人気が出るようにチーム名を変更したり、ユニフォームのデザインを変更したりしている。それらの変更を一度もしなかったというチームはほぼ無いという感じである。
また、他のチームと合併したり、悲しい事だが、消滅するクラブも多かった。
そういう訳で、リーグ創設30年ぐらいは、勃興するチームの登場期であり、ゴタゴタしているという事である。
そして、30年ぐらい経って、漸く(ようやく)、人気チームというのが確立されて、ビッグ・クラブというモノが出来るという感じである。

私は、他にも海外のサッカーの歴史を調べて思ったことは、サッカー・クラブというのは、誕生するのが「自然発生的である」という事である。
大体、若者が5人ぐらい集まって、「サッカー・チームを作ろう」みたいな話になって作っている。
そして、面白いサッカーをやった事で、その地域で人気を博して、地元から愛されるチームになった。その中の幾つかのチームは、現在では、「最初、若者が5人ぐらい話し合って出来た」という小さな会合からは想像できない規模の世界的なビッグ・クラブになっていたりする。
という訳で、私が今回、主張したいことは、よく考えてみたら、サッカー・チームというのは、元々は、金も社会的地位も一切、無かった若者たちの「ふとした思いつき」がスタートだったのである。
単に、若者たちが、「暇だからサッカーして遊ぼう。サッカー・チームを作ろう」というそういう軽い気持ちがスタートだったのである。
そして、そのチームが面白いサッカーをやったので地元住民から人気を得たというだけの話である。
私は、日本人が、この点において意識が薄いのではないかと思う。
現在の日本人を見ると、サッカー・チームというのは、企業とか、社会的地位のある人間とか、そういう人達の多くのサポートを受けないと中々、創設できない。 
また、創設したとしても、「金(カネ)」、「社会的地位」がある人間の支援がないと人気チームへと飛躍できないと思っている感じがする。
私は、その考えに一石を投じたい。
私は、日本人は、「サッカー・チームは、面白いサッカーをやればお客を増やせる」という事を信じるべきではないかと思う。
 繰り返すが、海外のサッカー・チームの歴史を調べると、大体、最初は、若者が5人ぐらい集まって始まった話である。その後、面白いサッカーをしたら伸びた、存続できたという訳である。 元々は、そんな感じだったのである。

 だから、私は、日本人はもっと気軽にサッカー・チームを作ったらどうだろうか? と思う。
そして、「世界最高のサッカー・チームを作るぞ」というぐらいの夢を持ったらどうだろうか?と思う。
 世界には、小クラブ、中堅クラブだが、その優れた「クラブ哲学」が名を馳せているチームがある。
「あそこのチームは、中堅クラブだけど、伝統的に美しいサッカーをするよね」という評判を得ていたりする。
 私は、世界一にならずとも、そういう「面白いサッカーをする」という名声を得たクラブを作っただけでも、それは非常に価値がある事ではないか? と思う。

    
  それでは、皆さん、さようなら。



私は、今月、「コパ・リベルタドーレス」 の決勝戦をテレビで見た。
しかし、あまりにも試合がつまらないので、途中で観戦を放棄した。
今回の決勝戦は、「パルメイラス 対 サントスFC」というブラジルのビッグ・クラブ同士の対戦であった。
私は、正直に申し上げて、サントスFCパルメイラス、どちらも好きなチームである。 
しかし、そんな私が、あまりにも試合がつまらなく、レベルが低過ぎて観戦を放棄したのだ。
現代サッカーは、それぐらい退化している。
私は、「ブラジル・サッカーは、実はつまらない」という説を展開している人間である。
この「つまらない」というのは、ここ数十年のブラジル・サッカーがつまらないという話である。
そして、私は、今月、コパ・リベルタドーレスの決勝戦で、「ブラジルのチーム同士の対決」を見て、改めて「ブラジル・サッカーはつまらない」という思いを強くした。

 
私は、この他に、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を見た。
この対戦カードは、「バイエルン・ミュンヘン 対 ティグレス (メキシコ)」だった。
私は、この試合も面白くなくて、途中で観戦を放棄した。
試合結果は、バイエルンが、ティグレスを1-0で下した。それにより世界王者となったそうだ。
この試合が面白くない理由は、バイエルン・ミュンヘンが、本当にレベルが低いからだ。
バイエルンは、8年前、2013年に、世界王者になった。
私は、2013年のバイエルンの方が、面白かったと思う。
このチームには、ウィングに、アリエン・ロッベン (オランダ代表)、フランク・リベリー (フランス代表)という2人の選手が居た。
このロッベン、リベリーというのは、華の無いウィングだった。 スター選手としては地味であった。 この2人は、地味であり、実力も世界最高ではなかったので、レアル・マドリードなどで活躍できなかった。
ロッベンは、レアルに居たが、追い出された。それ故、バイエルンに来たのである。
しかし、そんな華がなかったロッベン、リベリーよりも、現在、2021年のバイエルンのウィングたちは、面白くないのである。
私は、このような現状を見て、
「おい、これが、本当に現在の世界チャンピオンかよ。世界一のチームにしては、あまりにも実力者が居なさ過ぎではないか?」
と思った。
そして、「今のバイエルンよりも、地味だった8年前のバイエルンの方が、まだ面白かったぞ」と思った。
そういう訳で、私は、現代サッカーは退化していると思っている。
日本のマスコミ、日本のサッカー評論家たちは、サッカー・ファンを増やしたいので、「現代サッカーは進歩している」、「世界一のチームは凄い」として宣伝しているが、実際は、退化している。
私のブログの数少ない読者の皆様には、日本のマスコミにだまされず、バイエルンのタレントを見て、明らかに8年前の方が、優秀な選手が多かったということに気づいて下さい。
日本のマスコミは、「サッカーは右肩上がりで進歩している」、「時代が進むにつれて、サッカーは進歩している」など、そういうメッセージを、毎回、何十年も、日本国民に送っています。
しかし、そんなモノは、大嘘です。
冷静になって、チームのメンバーを見て、試合を見たら分かる事です。
現代は、明らかにタレントがレベル低下しています。
 
という訳で、私は久し振りにサッカーの試合をテレビ観戦しましたが、またしても、「現代サッカーは、退化している」ということ確認しました。
 

 それでは、皆さん、さようなら。

【 私は、「日本人サッカー評論家が説明するサッカーの歴史」が、本当におかしいと思っている。】 
     &
【 特に、雑誌「ナンバー」に寄稿している評論家の説明する歴史が本当におかしい。】

 

私は、「日本人サッカー評論家が説明するサッカーの歴史」 が本当におかしいと思っている。
特に、雑誌「ナンバー」に寄稿している評論家の説明する歴史が本当におかしい。

私は、雑誌「ナンバー」というスポーツ雑誌は、本当に低レベルだと思っている。
しかし、日本のスポーツ・ファンにとって雑誌「ナンバー」というのはステイタスが高いようである。日本人は馬鹿なので、雑誌「ナンバー」で書かれている内容を「正しい」と思っている。

 
 私は、日本人サッカー評論家というのは、ほぼ1人もろくな奴が居ないと感じ始めている。
 皆、文章を書く際、ろくに調べず、かなりテキトーな状態でサッカーの歴史を書いている。
その典型が、西部謙司などである。
 また、私は、日本人の場合、「そもそものサッカーの歴史観がおかしい」と思う。
 そういう奴が、非常に多い。
 

私は、最近、雑誌「ナンバー」で、豊福晋というサッカー評論家が、「サッカー界の『ウイング』は死んだのか」と題して書いていたコラムを読んだ。
それを、「ヤフー・ニュース」で読んだ。
この豊福晋という男は、
ギグス、フィーゴ…1990年代のサッカー界はウイングで溢れていた
と書いているのだ。
豊福は、現在のサッカー界は、1990年代よりウィングが居ないと説明していたのである。
私は、驚いた。
と言うのも、私は、「1990年代は、ウィングは減少していた」と考えるのが常識だと思っているからだ。 
私がサッカーを見て来た感想だと、1990年代より、2000年代、2010年代の方が、サッカー界では、ウィングの数は多い。
2000年代になると、ホナウジーニョ、ティエリ・アンリ、クリスチアーノ・ホナウド、リオネル・メッシなど、1990年代より遥かにドリブルがうまい選手が出て来た。
私は、この豊福晋という男が、なんでこんな 「サッカー観」なのか、本当に疑問であった。

 
私は、豊福に限らず、日本のサッカー評論家というのは、本当に歴史観がおかしい評論家が多過ぎると思っている。

私は、雑誌「ナンバー」 によく寄稿している田村修一という評論家も、「説明がズレている」と感じることが多い。
この田村修一という評論家は、「フランス・フットボール誌」に載ったサッカー選手のインタビューを和訳した記事をよく書いている。転載をしている。
私は、田村が、文体が偉そうであり、上から目線な所も嫌なポイントである。


雑誌「ナンバー」に寄稿しているサッカー評論家、全員に共通している事だが、彼らは「イタリア・セリエAを中心にしか物事を見ていない」という事である。
「セリエAの歴史 イコール サッカーの歴史」という形で、偉そうに説明するのである。
雑誌「ナンバー」には、そういう大きな問題がある。
雑誌「ナンバー」は、1990年代から、以下のサッカー観を、何度も読者に説明している。
「1990年代になると、プレッシング・サッカーが流行り、プレスがきつくなり、10番が活躍しづらくなった。 その為、10番でプレーする選手は、ボランチでプレーしたり、ツー・トップの一角でプレーするようになった」
という話を、何十回と繰り返して発信している。
私は、この説明に、毎回、納得が行かない。私は、これは、セリエAがそうなだけで、他のリーグはそうではなかったと思っている。
私は、1990年代、スペイン・リーグを見ていたが、スペインでは、10番が居た。
ミカエル・ラウドルップ、ヒバウドなど、10番で普通にプレーして居た。
 

 
【 私が、雑誌「ナンバー」 の問題点を説明する。】


私は、雑誌「ナンバー」 は、「サッカーが進歩している」という海外記事を選んで誌面に載せているとしか思えないと考えている。
それぐらい雑誌「ナンバー」は、時代の変化を強調する雑誌であり、「サッカーは右肩上がりで進歩している」というメッセージばかり発信する雑誌である。
10年前のサッカーすら切り落とし、「10年前のサッカーすら古い。もう通用しない」という感じの印象を読者に与えようとしている。
私は、そこが非常に違和感があるのだ。
と言うのも、私は、「サッカーは退化している部分がある」と思っているからだ。
また、海外の新聞を読むと、「現代サッカーの退化した部分を指摘している評論家、監督のコメント」を見かける事がある。
恐らく、雑誌「ナンバー」は、そういうコメントを見かけても、彼らは、そのような現代サッカーに批判的なモノは、自分の雑誌には載せないのだろう。
だから私は、雑誌「ナンバー」は、自分達の考えに都合の良いモノだけを選んで雑誌に載せている疑惑があり、本当に胡散臭い雑誌だと思っている。
 
また、私は、雑誌「ナンバー」のサッカー・コラムが、お洒落な感じなのが、毎回、疑問である。
「お前ら、何、かっこつけてんだよ」という気になる。
そもそもが、サッカーというスポーツが、 「コンタクト・スポーツ」、「根性」、「気合い」みたいな世界であるのに、雑誌「ナンバー」が、そんなお洒落な感じでサッカーというスポーツを説明しているのが、本当に違和感がありまくりなのである。
 
話は、雑誌「ナンバー」批判へと脱線してしまった。
今回のブログで私が言いたいことは、日本のサッカー評論家たちが「的外れな歴史観」を説明して、それを日本人読者が「正しい」と思って信じてしまうのが、本当に不愉快であるという事だ。
 私は、日本では、今後も、日本のサッカー評論家に教育されたおかしなサッカー・ファンが、それら評論家を真似てそのままおかしな歴史観を語ることが予想されるので、本当に残念である。
 私の個人的な希望としては、雑誌「ナンバー」が廃刊になる事である。
また、日本でおかしなサッカー観を発信している評論家たちを、誰か退治してくれないかと思う。
 私は、日本には、おかしなことを言っているサッカー評論家が多過ぎると思う。
 私は、日本のサッカー・ファンは、日本人評論家を疑ってくれと思う。
よく考えると、言っている事がおかしいので、そこに気づいて欲しいと願う。

 それでは、皆さん、さようなら。

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