「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

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2021年03月

【 サッカー記者、藤坂ガルシア千鶴の酷さ。藤坂は、ウソを言っている。
  藤坂は、日本人に、フェルナンド・ガゴ監督が「ポジショナルプレーをやっている」と、間違った説明をしている。】
      &
【 特集。 フェルナンド・ガゴ監督の戦術。】


私は、インターネットで、サッカー記者、藤坂ガルシア千鶴という人のツイッターを見た。
すると、藤坂は、以下のような投稿をしていた。


スクリーンショット 2021-03-23 063134
【写真解説】  
藤坂ガルシア千鶴が、ツイッターで上げていた動画と文章です。        
黒い服を着ている男性は、フェルナンド・ガゴ監督です。



私は、この藤坂の説明を聞いて、非常に不思議に思った。
それは、藤坂が「フェルナンド・ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明していたからである。
私は、アルゼンチンの有名スポーツ新聞、「オレ」紙を閲覧する事が多い。
そして私は、以前、「オレ」紙のサイト内検索で、「ポジショナルプレー」という単語を検索しても、なんと5件しか記事がヒットしなかったからだ。
そして、ポジショナルプレーについて詳細に説明しているのは、その内、僅か2件だった。
それ程に、「ポジショナルプレー」という戦術用語は、南米では使用されていないのだ。
故に、私は、藤坂が「ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明している事に、大きな疑問を抱いたのだ。
私は、「それは、本当なのか?」と思ったのだ。
そして、私は調べてみた。すると、藤坂が説明している内容と、正反対だったのだ。
これから、それを皆さんに説明する。



まずは、2021年、1月22日、フェルナンド・ガゴが、アルドシビの監督に就任した記者会見でのコメントを紹介する。
これは、「ラ・ナシオン」紙で発行された記事である。
記事タイトルは、
Fernando Gago, inspirado por el DT de España: "Luis Enrique me abrió la cabeza y me hizo entender el juego"

これを和訳すると、
「フェルナンド・ガゴ、スペイン代表の監督に影響を受けた。”ルイス・エンリケは、私の頭を開き、プレーの仕方を理解させた”」である。


ガゴは、この記事で、自分が好むサッカー・スタイルについて以下のように述べた。

「私は、アルドシビで、まだ、たった1回、トレーニングしたばかりなので、今日、チーム・スタイルを説明するのは難しいです。しかし、私が好むサッカー・チームは、ボールを上手く扱いプレーする、ポゼッションをする、激しさがあるチームであることは確かです。


以下が、その原文です。

「El estilo es difícil decirlo hoy, con un sólo entrenamiento. Pero sí está claro que me gustan los equipos que jueguen bien a la pelota, que tengan posesión, que sean intensos. 」



更に、ガゴは、「影響を受けた監督は?」 という質問について以下のように述べた。

私が、イタリアのASローマでプレーした時、監督だったルイス・エンリケです。 私はいつも、一番、優れた監督は、ルイス・エンリケだと言っています。ルイス・エンリケは、私の頭を開かせ、プレーの仕方を理解させました。皆さんが、ルイス・エンリケが行っているゲーム・モデルについて考えるのは、明らかに難しいでしょう。なぜなら、ルイス・エンリケのようなやり方をしている監督はほとんど居ないからです。私は、現在、スペイン代表を率いているルイス・エンリケ監督について話しています。
私は、ルイス・エンリケのコンセプトから多くを学びました。そして、私は、アルドシビが、そのルイス・エンリケのプレーの仕方ができるようになる為に頑張りたいです」と語った。 

以下が原文です。
「Gago eligió a un técnico específico a la hora de señalar aquellos que lo han marcado: Luis Enrique, con quien trabajó en Roma, de Italia. "Siempre me identifiqué y dije que el mejor que tuve fue él. Fue Luis quien me hizo abrir la cabeza y entender el juego. Obviamente que va a ser difícil pensar en un modelo de juego así porque ese modelo lo hacen muy pocos entrenadores y estamos hablando del técnico de la selección de España. Aprendí mucho de sus conceptos e intentaremos que a Aldosivi se lo reconozca por una forma de jugar", dijo.」



私は、ルイス・エンリケ監督が、どういうサッカーをしているのか詳しくは知らない。
しかし、私が知っている範囲で言うならば、ルイス・エンリケは、世間的に、ポジショナルプレーをする監督という捉え方をされていないのではないか?と思う。
私は、ルイス・エンリケは、むしろ、「カウンター」のサッカーをする監督で有名なのではないか?と思う。


私は、ルイス・エンリケがどういう戦術を使う監督なのか、詳しくは知らなかったので、その後、
「ルイス・エンリケ監督のスペイン代表の戦術を説明しているサイト」を調べた。戦術解説のサイトを見つけた。
そこでは、以下のような文章が書かれていた。

「スペイン代表チームのシステムは、FCバルセロナの4-3-3システムと同じですが、代表チームは、より垂直的なチームです(縦のサッカーをするという意味)。 こうなっている理由は、基本的に、ルイス・エンリケ監督が、代表チームでは、他の特徴を持った選手を自由に起用できるからです。そして、代表チームの選手は、 ポジショナルプレーを実現できるような豊かな能力がないからです。


以下が、原文である。

「Aunque la organización es la misma que en el Barcelona, el 4-3-3, la Selección es un equipo más vertical. Es así porque básicamente tiene otro perfil de futbolistas a su disposición; no con tanta capacidad de implementar un juego posicional. 」

以上である。

つまり、サッカー評論家が、現在、ルイス・エンリケ監督が率いているスペイン代表を分析すると、「ポジショナルプレーをやっていない」と説明しているのだ。
私のこの引用に疑問がある方は、以下のサイトを見て頂きたい。
以下が、私が、上記の文章を引用したサイトである。
     ↓
https://es.coachesvoice.com/analisis-las-variables-tacticas-de-luis-enrique/




続いて、2021年、2月26日に発行された、「オレ」紙の記事を紹介する。
これは、フェルナンド・ガゴ監督が、「自分のサッカー観」 を披露した内容である。
記事のタイトルは、「Gago:  “La forma no se negocia”」 である。
これを和訳すると、「ガゴ監督、” 形は、決まっていない ”。」である。
ガゴ監督は、記者会見で、次のように述べた。
「私のチームは、プレイの形を持っている。それは、決められていない(臨機応変、柔軟性があるという意味)。
私のチームは、ある時は、見栄え良く、ボールを回す。そして、またある時は、縦に攻めるサッカーをしないといけない。しかし、チーム(選手達)は、それらのシステムを理解し、適応して行っている。それは、とても重要な事だ」
以上である。 これの原文が以下である。

"Tenemos una forma de jugar y eso no se negocia, por momentos más vistoso, más circulación y en otros momentos deberíamos ser más directos, pero el equipo se va adaptando  a entender los sistemas, eso es muy importante",


以上のように、ガゴ監督は、「ポジショナルプレーをやっている」などとは、一言も述べていないのだ。

ガゴ監督が理想とするルイス・エンリケ監督のサッカー・スタイルというのは、「ポゼッションもするし、カウンターもする。2つの戦術を併用している」というモノだ。
皆さんにとっては、上記のガゴ監督の説明は分かりづらいかも知れない。しかし、私は、このガゴの説明は、ルイス・エンリケのサッカー・スタイルと似ていると思った。
私の印象では、FCバルセロナ時代のルイス・エンリケのチームは、ポゼッションだけでなく、カウンターもするチームだった。両方するチームだった。だから、私には、ガゴ自身の説明で、ガゴの目指すサッカー・スタイルが、よく理解できた。


次に、私は、藤坂がツイッターにアップした、上記の写真で紹介している試合について調べることにした。
私は、その試合後のガゴ監督のコメントを調べることにしたのだ。
これは、2021年、3月21日、「オレ」紙に掲載された記事である。
記事のタイトルは、「Gago y el arte de convencer al jugador.
これを和訳すると、「ガゴ監督と選手を説得する芸術」である。

この記事で、記者は、以下のように書いている。
ガゴ監督のアルドシビのスタイルは、グアルディオラのマンチェスター・シティでもクロップのリバプールでもありません。
アルドシビは、サンロレンソを倒したが、後半は苦しんだ。望んでいなかった試合内容となった。
第6節が終了して分かったことは、フェルナンド・ガゴ監督は、明確なアイディアを持った監督であり、それを選手に伝えることができる人物だという事だ。
ガゴ監督の会見では、流行っているサッカーの馬鹿げた原理主義を聞くことはない。
ガゴ監督は、もし「ボールを止める」ことの重要性を強調しなければいけない時、迷うことなく、それを選手に指示する。ガゴ監督は、全くグアルディオラ、クロップの両監督のステレオタイプの手法に加わるつもりはなく、理想主義でも、現実主義でもない。
ガゴ監督は、選手に『ボールを保持しろ、良い連係をしろ、流動的に動け、スペースを作れ』ということを求め、それを繰り返し、指導しています。」

以下が、原文である。

「Aldosivi no es ni el City de Guardiola ni el Liverpool de Klopp. Aunque le ganó a San Lorenzo, sufrió el segundo tiempo y terminó jugándolo donde menos quería. Pero en el balance de estas seis fechas, se puede aventurar que Fernando Gago es un entrenador de esos claros en su idea y que evidentemente contagian, convencen. En el discurso del DT no se escuchan fundamentalismos absurdos de moda y si hay que destacar la importancia de la “pelota parada”, lo hace sin problemas. Lejos de afiliarse a los encasillamientos que enfrentan en bandos a los técnicos, no se siente ni idealista ni pragmático y repite que se trata de buscar “tenencia, buenas asociaciones, tener circulación, generar espacios”.」


 このように、「オレ」紙の記事では、藤坂が説明したのとは、全く正反対のことが説明されているのだ。
藤坂は、日本人に「ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明している。
ジョゼップ・グアルディオラ監督は、ポジショナルプレーの戦術を使用している事で、非常に有名な監督である。グアルディオラ監督は、「ポジショナルプレー」の代名詞とでも言うべき監督である。
しかし、「オレ」紙では、
ガゴ監督のサッカーは、ジョゼップ・グアルディオラのサッカーでも、ユルゲン・クロップのサッカーでもない。どちらの馬鹿げたサッカーの流行にも加わらない
と説明されているのだ。

私は、これを読み、藤坂に対して、大きな不信感を抱いた。
と言うのも、この藤坂という人物は、雑誌「フットボリスタ」に寄稿している人間だからだ。
私は、藤坂も、雑誌「フットボリスタ」と同じく、この「ポジショナルプレー」という戦術が、「世界的に流行していると、日本のサッカー・ファンに思わせようとしているのでは?」 と思い始めた。
私は、藤坂は、そのように、雑誌「フットボリスタ」と同じく、新戦術詐欺商売に加担しているので、このような事実と違う、勝手な事を発言しているのでは?と思い始めた。
私は、以上のような疑いを持った。
私は、自分のアメーバ・ブログで(注: 現在は、消滅しています)、雑誌「フットボリスタ」を批判している。
その理由は、雑誌「フットボリスタ」は、「新戦術詐欺商売」をしているからだ。
また、「世界で流行っていない戦術を流行っているというデマを流している」からだ。
その一番の例が、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」である。
私は、「ポジショナルプレー」という戦術は、FCバルセロナ界隈(かいわい)、スペイン・サッカー界隈(かいわい)でしか流行っていないと思っている。
その理由は、前述したように、私は、「オレ」紙でサイト内検索したら、ヒットした記事数が、驚くほど少なかったからだ。
その為、今回、藤坂が、「ガゴ監督は、ポジショナルプレーを志向している」と説明したので、私はそれを不審に思い、再び「オレ」紙で調べた訳だ。
すると、今回、説明したように、藤坂が説明する事とは、大違いの記事が見つかったのである。

私は、これは本当に酷いと思う。
日本人サッカー記者というのは、ここまで日本のサッカー・ファンに向かって「ポジショナルプレー」という戦術が、世界で流行っていると思わせたいのだろうか?
私は、彼らがウソまでついて流行らそうと活動しているならば、これは本当に酷いと思う。
私は、雑誌「フットボリスタ」と、そこに寄稿する連中、浅野賀一、西部謙司、結城康平が酷いのは、以前から分かっていた。
しかし、藤坂まで、西部謙司、結城康平、浅賀賀一と同じ考えなのだろうか?と思った。それに驚いた。
とにかく、私は、日本には、本当にマトモなサッカー評論家が居ないと思う。
私には、彼らは、「ポジショナルプレー」という戦術が話題になれば、自分達の雑誌が売れるので、無理に流行らせようとしている。日本のサッカー評論家、出版社などは、皆で金儲けの為に、平気でウソまでついて協力しているのではと思い始めている。
それぐらい、彼らは、おかしな事をしている。

私のブログの数少ない読者だけでも、この日本の酷い現状を知って頂きたい。


 それでは、皆さん、さようなら。










サッカー評論家、セルジオ越後は、現在、ユーチューブでチャンネルを作って活動をしている。
私は、この男を、「経歴詐欺師」と呼び、批判している。
その理由は、この男が、「ブラジル時代、ビッグ・クラブ、コリンチャンスで活躍をした」と、日本人に説明しているからだ。
この文言を、45年以上、プロフィールに書き、日本人に説明をしている。
実際は、セルジオ越後は、全く活躍していない。2年でクビになっている。
成績は、「11試合 0得点」という成績だ。
2年在籍して、11試合しか出場できなかった。19才で契約して、2年でクビになっている。
セルジオ越後は、このような成績であるにも関わらず、日本人に向けて「私は、コリンチャンスで活躍した」と言い張っているのだ。45年以上、言い張っているのだ。


また、セルジオ越後は、コリンチャンス退団後、ブラジル2部のチームに所属していた。
ミナスジェライス州にあるトレスポンターノというチームに所属していた。
ちなみに、このチームをたった1年で退団している。
他にも、たった1年の間に、ブラジル2部のブラガンチーノ、1部のパウリスタという2つのチームに所属していた。
そして、1年だけ活動して、ブラジルでサッカー選手を引退している。
つまり、セルジオ越後は、ろくにプロの試合に出場したことがない選手である。
しかし、セルジオ越後は、これらの事実を、日本人に向けて、一切、話さない。
「コリンチャンスに居た」という話しかしない。
現在、セルジオ越後は、ユーチューブの番組で、自身のサッカー人生を語っている。
しかし、この男の口から、ブラジル2部時代の話は、一切、出て来ない。
常に「コリンチャンス」の名前を出し、自慢している。
詐欺師の特徴として、「自慢話しかしない」というのがある。人をだます為に、誇大に見せる為、自慢話しかしないのだ。
私は、セルジオ越後を見ると、その典型だと思う。
この男は、プロフィールに大嘘を書き、「活躍した」、「ブラジル代表に選ばれるレベル」という話を何度も繰り返して、日本人をだます活動だけをする。
私は、セルジオ越後がユーチューブの自分の番組でも相変わらず、それをやっているのを見て、この男は詐欺活動を続け、死ぬまで日本人をだまして、自分の真のキャリアについては語るつもりがないことを知った。
私は、「こいつは、本当にどうしようもない奴だ。根っからの詐欺師だ」と思った。

私のブログの読者の皆様だけでも、このセルジオ越後の異常な体質に気づいて欲しい。
こいつは、自分を誇大に見せることしか考えておらず、真の実力については語る気がないという人間です。


 それでは、皆さん、さようなら。









【 日本のサッカー評論家たちを見て思う既視感。】
          &
【 日本人は、いつの時代でも変わらない。結局、その時代のヨーロッパの有名チームを真似るだけである。】



現在、日本人サッカー評論家たちにより、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
私は、それを見ると、既視感を覚える。
1990年代、「ゾーン・プレス」という戦術が流行った。
当時、日本のチームは、ACミランのプレッシングのサッカーを真似していた。日本代表チームまで、それを模倣していた。
私は、それを冷ややかな目で見ていた。私は、「10番を中心にしたサッカーが一番、面白い」と思って見ていた。
今回は、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
これは、結城康平、西部謙司、浅野賀一らのサッカー評論家によって宣伝されている。
私は、それを見て、「10番を中心にしたサッカーが一番、面白いだろ」と思って見ている。
つまり、「いつの時代でも、10番を中心としたサッカー」が面白いのだが、日本人サッカー・ファンと日本人サッカー評論家はそれを知らないという事である。
それで、いつの時代でも、皆、「ヨーロッパの強豪クラブがやっている戦術を真似しろ」と言って、多くのチームが一生懸命、真似をしようとする。
私は、この状態が、本当にアホだなと思う。
世界中のチームが、「ポジショナルプレー」を真似している訳ではない。
そもそも、このポジショナルプレーという戦術は、世界で少数のチームしかやっていない。
しかし、日本人は、「ヨーロッパの強豪チームの真似をしたい」というヨーロッパ好きの民族である。
その為、評論家がそのように煽り、それに煽られたサッカー・ファンは、その言葉を信じている。
つまり、日本人は、サッカーの面白さを知らないという事だ。

 それでは、皆さん、さようなら。

【 日本のサッカー評論家たちが、ポジショナルプレーを流行らす異常さ。】


現在、結城康平、西部謙司、北條聡らによって、日本では、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
私は、これらのサッカー評論家たちは、まるで、日本のサッカー・ファンを煽(あお)っているように見える。
結城康平は、「ポジショナルプレーのすべて」という本を出版している。また、西部謙司もポジショナルプレーについての本を出版している。
私は、彼らは、「日本でポジショナルプレーという戦術が流行れば、自分の本が売れるので盛んに宣伝している」と思っている。
私が、なぜ彼らを批判しているかというと、私が、海外のスポーツ新聞を見た時、「ポジショナルプレー」という言葉をろくに見かけないからだ。 また、海外のスポーツ新聞で、「ポジショナルプレー」という語句をサイト内検索しても、ろくにヒットしない。
そういう訳で、ポジショナルプレーという戦術自体が、サッカー記事で、まるで紹介されていない。
そして、世界のサッカー・チームにおいて、「ポジショナルプレー」という戦術を使用して戦っているチームが少ない。
恐らく、FCバルセロナ、マンチェスター・シティぐらいだろう。
それぐらい、このポジショナルプレーという戦術は使用されていない。
だから、私は、結城康平、西部謙司らが、「世界で流行っている」として、日本のサッカー・ファンに宣伝して煽っているのを見ると、「こいつらは詐欺師だ」と思うのだ。
日本のサッカー・ファンに、きちんと世界の事情を説明せず、まるで世界的ブームが起きているようにして煽っている。
私は、この辺の日本人サッカー評論家の姿勢というのが、本当に酷いと思っている。


 それでは、皆さん、さようなら。









私は、この2人のサッカー評論家は、酷いと思っている。
この2人に特徴的なのが、「サッカーは進歩している」と最初から結論している事である。
この2人が、毎回、やる手法として、
昔のあるチームを否定して、そして現代のチームは、昔のそのチームと比べて、この部分が優れている。進化した」という評論をする。
そして、「サッカーの進歩を強調する」、「これは、新戦術だ」と言って煽(あお)るというのを繰り返している。
こいつらは、「細かい所」を議題に上げて、そこを見て「進歩した」と喚(わめ)くという連中である。 微差(びさ)を殊更に強調して騒ぐ、アホな連中である。
私は、こいつらがこのような手法を取り煽るのは、ただ自分達が出版している本がより売れる為にやっていると思っている。
「現代は、昔に比べて進歩していません。むしろ、昔より劣っています」と言ったら、こいつらにとっては商売上、歓迎できない。
だから、無理矢理にでも、細かい部分を持ち出して来て、「過去のチームを否定し、下に置き、それより現代のチームは優れている」ということを発表し続けるのである。
つまり、この2人は、「常にサッカーは進歩しており、現代が最も優れた状態である」という思想を発表する主義なのである。

私は、これが、本当に酷いと思うのである。
特に、結城康平のような昔のサッカーをろくに見ておらず、勉強していない浅はかな人間が、そういうウソを述べ、何も知らない若いサッカー・ファンをだましているのを見ると、本当に酷いと思う。

例えば、西部謙司は、「1980年代後半のACミランと2010年代のリバプールは、ハイ・プレスをしているが、内容は違う。リバプールのプレスは、より進歩したモノだ」と言っている。
また、結城康平は、「クライフ時代の偽サイドバックと、グアルディオラがやっている偽サイドバックは違う。グアルディオラの方が進歩したモノだ」と言っている。
つまり、この2人は、このように「ハイ・プレス」、「偽サイドバック」という同じ事をしているチームを見ても、「過去のチームを否定し、現代のチームが上だ」という内容で、毎回、日本人サッカー・ファンに説明をするのである。
私から言わせれば、「どっちもハイ・プレス、偽サイドバックで似たようなもんだろ。そこに上下があるのか? こいつらアホか?」という感じである。
その他に私は、「過去のそのチームと現代のチームが試合した訳でもないのに、頭から過去のチームを否定にかかるなよ。試合したら、過去のチームが勝つ可能性があるだろ。サッカーは勝負事だろ。戦術の話で、チームの上下を決めるなよ」と思う。
特に、ACミランは、当時、最強リーグであったイタリア・セリエA(国内リーグ)で、2年半も負けていなかった。
それぐらい負けないチームであった。
クライフ時代のFCバルセロナは、「国内リーグを4連覇」した。それぐらい強いチームだった。
私は、そんなチームに対して、西部謙司が、「昔のACミランより、現代のリバプールが上だ」と言っていても、「そんなの試合をしてみねーと分からねーだろ!!」と思う。
また、結城康平が、クライフ時代のFCバルセロナより、現代のグアルディオラのマンチェスター・シティが上だと言っても、「そんなの試合してみねーと分からねーだろ!!」と思う。
ちなみに、FCバルセロナには、ホマーリオ、ストイチコフなどの素晴らしいストライカーが居た。
恐らく、現代のマンチェスター・シティより優れたフォワードが居た。
という訳で、西部謙司、結城康平というのは、細かい部分を持ち出して来て、「進歩した」と無理矢理、理屈をこねて言い張るという連中である。
私は、こいつらの理屈を聞いても、筋の通った、納得行く理屈ではないという感想である。
そして私は、上述したが、毎回、「そんなもの、試合してみねーと分からねーだろ。そんなくだらない納得できない理屈で、昔のチームを下扱いするな」という気になる。

 という訳で、これが、日本のサッカー評論家の体質であり手法である。
私は、恐らく、日本のサッカー評論家のこのくだらない酷い手法は、この先も変わらないだろうと思う。
 今後も、新たな西部謙司、結城康平が登場して来て、日本のサッカー界では、同じことをするだろう。
 それが、日本人サッカー評論家の体質である。
 基本的に、「現代が進歩している」と読者に思わせた方が、自分達の本が一番売れるので、こいつらは、それをやっているだけである。
 私のブログの読者には、こいつらのその意図に気づいて頂きたい。 

  それでは、皆さん、さようなら。




 参考資料です。
   ↓

【 サッカー評論家、北條聡の説明は迷惑だ。】
         &
【 北條聡のコラムは、正確さが不足している。】



サッカー評論家で、北條聡という人物が居る。
私は、この男が連載している「サッカー世界遺産」というコラムを読む時がある。
北條は、このコラムで、「過去の有名チーム」を紹介している。
私は、このコラムを読むと、かなりの頻度で、「えっ、それ違うだろ」と思う時が多い。
具体的に言うと、前回のコラムで紹介したサントスFCの件などがそうである。
私は、本日、北條が、自分の連載コラムで、2000年頃のバレンシアを取り上げていたのを発見した。
私は、当時、スペイン・リーグを毎週、見ていた。だから、バレンシアに興味があった。
それ故、そのコラムを読んだ。
そうすると、私は、またしても、北條の説明を読み、「えっ、それ違うだろ」と思った。
北條聡は、当時のバレンシアについて、「4バックのチーム」と紹介していたのだ。
また、ジェラールという選手が、「トップ下」と説明していたのだ。
私は、「当時のバレンシアは、5バックだったろ?」と思った。 
また、「ジェラールは、ボランチやっていただろ?」と思った。
その為、私は、映像で確認した。すると、クーペル監督のバレンシアは、4バックと5バックを併用していた。
そして、ジェラールがボランチを務めていた。

私は、北條のコラムを読むと、このような事をするはめになる事が、本当に多い。
北條のコラムを読んだ為に、「自分の記憶と違うことが書いてある」という事態に直面し、それで、「俺の記憶が間違っていたかな?」と思い、過去の試合をわざわざ見返す。そして、「やっぱり、俺の記憶が正しかった。北條が間違いを書いている」という結論になる。
という訳で、私は、北條はよく調べていないと思っている。
私のような当時、スペイン・リーグをばっちり見ている人間にかかると、北條の情報の不正確さ、浅さを発見してしまう。
北條は、一生懸命に書いているようだが、まだ調べ方が足りない。
多分、北條は、ウィキペディアを見た程度で書いているのだろう。西部謙司にしても、北條聡にしても、「ウィキペディアが間違っている」という思考が無いのだろう。
私は、「ウィキペディアの間違いを簡単に分かる」という人間である。
一方、日本のサッカー評論家は、「ウィキペディアを信用してサッカー・コラムを書いている」という状態なので、ウィキペディア情報をそのまま書くので、間違いを書く場合が多くなるという事だろう。
私は、他にも北條聡のコラムについて、「ここは違う」と思う箇所があった。
しかし、それを書くと、他のサッカー・ファンの知識レベルを上げてしまうので、今回は、ここまでで止めておく。

 とにかく、日本のサッカー評論家には、「ウィキペディアではなく、きちんと試合を見てからコラムを書いてくれ」と言いたい。


 それでは、皆さん、さようなら。




【 サッカー評論家、北條聡の酷さ。】


サッカー評論家で北條聡という人物が居る。
この男は、自分のコラムで、「ペレの時代のサントスFCでは、メンガウビオという選手が司令塔だった」という大嘘を書いている人間である。
私は、これが、あまりにも事実と違うので、アメーバ・ブログにおいて指摘した。
私は、そのブログで、「北條聡は、このコラムを即刻、書き直せ」と批判した。
北條聡は、私のブログの読者であり、私のブログから表現を盗んで書いている人間である。
だから、私は、自分のブログ上で、この北條の間違いを指摘し、「書き直せ」と命令をしたのだ。
そして、私は、本日、サッカー・マガジンのサイトを見ると、相変わらず、この北條聡のコラムが掲載されているのだ。 私は、驚いた。
という事は、北條聡という人物は、「サッカー・ファンが、間違い知識を身に着けても構わない」という人間なのだ。
このコラムは、2020年、11月6日に発表された。
つまり、サッカー・マガジンのサイトでは、かれこれ、もう4カ月以上もずっと掲載されている。
私は、この状況を見て、本当に酷いと思った。
つまり、日本のサッカー評論家は、いかに「誠実さが無い」という事だろう。
自分で間違いを書いても、訂正するのが面倒臭い。 訂正するのはプライドに関わるとでも思っているのか、書きっぱなしで終わりである。
私は、本当に日本のサッカー評論家というのは、ろくでもない奴が多過ぎると思っている。
私は、北條聡のこのコラムを読んで、「それが正しい知識だ」と思って記憶してしまったサッカー・ファンを可哀そうに思う。


  それでは、皆さん、さようなら。



【 サッカー評論家、西部謙司の異常さ。】
            &
【 西部謙司が、「偽サイドバック」という言葉を勝手に作り、コラムに書き続ける問題。 】


私は、サッカー評論家、西部謙司結城康平らを批判している。
その批判理由というのは、この2人は、「新戦術」と言って、日本のサッカー・ファンを煽(あお)って自分の本・雑誌を買わせようとしている。私は、これを「新戦術、詐欺商売」と呼んでいる。
私は、この2人のその汚い手法を批判している。
この2人は、「新戦術ではないモノを、新戦術と言ってだまして本を買わす」というのを繰り返しているのだ。
また、この2人は、「世界で流行っていない戦術を、流行っているとウソをついてサッカー・ファンを煽(あお)り、本を買わせる」というやり方もしている。
「ポジショナルプレー」、「ストーミング」という戦術は、世界で流行っていない。
これを使用しているチームは少ない。 
しかし、西部謙司、結城康平は、これを流行っているとして日本人サッカー・ファンをだましている。


私は、他には、西部謙司が、「サッカーの歴史を説明する際に、出典を絶対に明かさない。読者に提供しない」という点を批判している。 
また、その他には、西部謙司が、「監督についての説明で、その監督のインタビューを一切、読まず、『この監督は、こういう監督だ』と結論してコラムを発表しまくる」という行為を批判している。
西部謙司は、面倒くさいので「監督のインタビューを調べて、その監督が、どういう意図でチームを作ったか」というのを調べず、勝手にその監督の考えを、「こうだ」と決めて説明するのである。
私は、そのいい加減さを批判している。そんないい加減な姿勢で書いた説明を、日本のサッカー・ファンが、「真実」だと思って信じる場合があるので批判しているのだ。

私は、結城康平に関しては、「戦術を、当事者の監督・選手よりも難解に語る」、「サッカーをわざと難解だとサッカー・ファンに思わせる。それにより自分の本を買わそうとする」という汚いやり方を批判している。


以上のように、この2人は、非常に問題のあるサッカー評論家である。

そんな2人であるが、更に問題がある。
この2人は、「偽サイドバック」という言葉を使っている。
しかし、世界では、「偽サイドバック」なんて言葉は、使用されていない。
私が調べたところ、サイドバックが中央側に寄って来てポジションを取る動きは、
タック・イン」(tuck in)と呼ばれている。
この「tuck」 という英単語は、「押し込む」、「詰め込む」という意味の単語である。
つまり、イギリス人は、「サイドバックを、内側に押し込む」という表現をしているのだ。
日本人のように、「偽サイドバック」などという呼び方をしていない。
単純に、「タック・イン」と呼んでいる。
私は、このような現実を見ると、日本人はイギリス人と同じく、この動きを、「タック・イン」と呼べば良いのでは? と思う。
なにも、勝手に世界の人間が使っていない新語、「偽サイドバック」という言葉を作る必要はないのではないか? と思う。
私は、西部謙司らが、「この偽サイドバックという言葉は、日本人しか使っていません。世界では使われていません。日本人サッカー評論家である我々が、勝手に作ったモノです」と前置きしてから、コラム、番組などで説明するのならば、まだ許せる面はある。
しかし、この西部謙司という男が、そういう説明を一切せず、自分達で勝手に言葉を作り、「偽サイドバック」とコラムに書きまくる姿勢が、理解できない。
私は、そういう行動をする事で、日本のサッカー・ファンが、「世界の人が、この動きを、『偽サイドバック』と呼んでいる」と誤解する可能性があるからだ。
 という訳で、私は、西部謙司というサッカー評論家は、本当にいい加減で誠実さに欠けると思う。
私は、サイドバックが、内側にポジションを取る動きは、「タック・イン」(押し込む)と呼べば良いと思う。
なぜなら、イギリス人が、そう呼んで、この動きを説明しているからだ。
私は、日本人が勝手に無理矢理、新語を作るより、世界の多くの人が使用している言葉を、そのまま使った方が、日本のサッカー・ファンにとって有益だと思っている人間である。
日本のサッカー評論家が、勝手に考え出した独自の言葉を教えられるよりか、世界の多くの人間が使っている呼び方を教えられて、それを使用した方が、都合が良いことが多いと思っているからだ。


 それでは、皆さん、さようなら。







【  私は、「芸人、米粒写経のユーチューブ・チャンネル」 でブロックされた。
   私は、今後、あいつらを応援するのを止める。】
    &
【 私が、米粒写経のユーチューブ・チャンネルでブロックされた投稿内容を紹介する。】
    &
【 米粒写経は、糞芸人である。ユーモア、洒落が分からない。一番、投稿した視聴者を平気でブロックする連中である。】



私は、ユーチューブ、ツイッターなどに書き込むと、相手から「ブロック」される事が多い。
私としては、「投稿内容に問題は無い」と思っているのだが、よくブロックされる。


私は、「米粒写経」という芸人のユーチューブ・チャンネルを見ていた。
それで、コメント欄に、7回投稿をした。 この回数は、最多だった。
私は、最も多く投稿した視聴者だった。
その動画の総コメント数は、31だった。「31の内、7つが、私1人の投稿」である。
約4分の1が、私の投稿である。
すると、翌日、ブロックされていた。私は、驚いた。
私は、はっきり言って、怒りを覚えた。「こいつら、何なんだ?」と思った。
私は、「一番、投稿してくれた視聴者を、こいつらはブロックするのか?」と思った。
そして、更に、「こんな内容でも、こいつらブロックするのか?」と思った。
私は、怒りが収まらないので、このブログで、ブロックされた原因となった内容を、皆さんにご紹介したい。
米粒写経という芸人は、こんな投稿内容でも、我慢できず、視聴者をブロックして追い払うクソ・コンビ、糞芸人である。

注釈として説明しておくと、私がブロックされた回の放送は、「人の名前が思い出せない」、「面白い名前、良い名前」という事について語っていた回であった。


以下が、私の投稿である。


【1つ目の投稿。】

音声が丁度良いです。


【 2つ目の投稿。】

ゲストに、上岡龍太郎さんを希望します。上岡さんは、忠臣蔵のファンで、研究しているそうです。
居島氏と上岡さんで、「忠臣蔵」の話をしたらいいのではと思います。


【 3つ目の投稿。】
ゲストに、エレファントカシマシの宮本浩次さんを希望します。宮本さんは、古地図収集が趣味です。居島氏と江戸時代の昔の東京の街並みを議論したらいいと思います。あと、宮本氏は、古墳を観察するのが趣味です。埼玉の古墳を、車で足繁く回っていたそうです。居島氏と古墳について話したらいいと思います。

【 4つ目の投稿。】

私が、言葉が出て来なくて愕然とした人名は、「ヒッツフェルト」(サッカー名監督)と「エッフェンベルグ」(サッカー名選手)。つまり、2番目に小さい「ツ」があると忘れる傾向にある。それ以後、気を付けています。 あと、珍しい名前では、「アンドレス・グリエルミンピエトロ」(通称、グーリー)という選手が居ます。この選手の名前は、忘れたことはないです。アルファベットだと、「Andrés Guglielminpietro」です。ユニフォームの背番号の上に、名前をそのままプリントする場合、この選手は大変です。


【 5つ目の投稿。】

私が、海外のサッカー選手で、口に出すと心地良い発音の名前を挙げます。 「フェデリコ・ルッセンホフ」、「エステバン・カンビアッソ」、「アンドレス・グリエルミンピエトロ」、「イシドロ・ランガラ」、「フェルナンド・ペイホテオ」です。



【 6つ目の投稿。】

インドネシアの国民的なお菓子で、「クルポン」という名前の菓子があります。


【 7つ目の投稿。】


面白いサッカー選手の名前では、ナイジェリア人で、「ティジャニ・ババンギダ」(サイドバック)、カメルーン人で、「フランソワ・オマンビーク」(センターフォワード)、ペルー人、「レイモンド・マンコ」(攻撃的ミッドフィルダー)、 ボスニア人、「ハサン・サリハミジッチ」(フォワード)、オーストリア人で、「ディートマー・キューバウアー」(ミッドフィルダー)、オーストリア人で「ボルフガング・ファイヤージンガー」(センターバック)、オーストリア人で、「マルコ・アルナウトビッチ」(フォワード)が居ました。

 以上である。


 私は、こんな内容で、ブロックされた事に、非常に驚いた。
 しかも、「芸人がブロックした」 という事に驚いた。
 米粒写経という芸人は、狭量で、洒落もユーモアも分からない人間である。
 「視聴者が、『おもしろネタ』を書いて来るとブロックして対処する」という酷さである。

 私は、米粒写経を応援するのを、本日で終わりにする。
 私は、自分の放送を見に来た視聴者、そして、最も多く投稿した視聴者、そして、ネタを書いて来た視聴者をブロックするという最低の芸人だと知ったので、もうこいつらを応援するのを止めた。


  それでは、皆さん、さようなら。








サッカー評論家で、結城康平という人間が居る。
私は、こいつは、異常だと思っている。
この男は、「ポジショナルプレー」という「古い戦術」を宣伝している人間である。
1990年代にアヤックスがやっていたポジショナルプレーという戦術について、今更、「新潮流」と言って宣伝して本・コラムを発信している変な人間である。
私は、この男の態度が異常だと思っている。
現在、インターネットをやると、世界中のサッカー指導者・コーチ、そして選手のインタビューというのを読める。
海外では、スポーツ新聞が、無料で記事を公開している。だから、一般人が、全部、読めるのだ。
「ポジショナルプレー」というモノについて語っている監督・コーチ、選手の話も、全部読めるのだ。
だから、一般のサッカー・ファンは、結城康平の話を聞かなくても、「ポジショナルプレー」について簡単に理解できるのだ。
その他に、日本のサッカー・ファンの中には、自分でポジショナルプレーという戦術について学び、その学んだことを、インターネット上で語っている人間も居る。
そんな状況の中、この結城康平という男は、それらの光景を見ると、やたらと上から目線なのだ。
「日本人が、ポジショナルプレーについて誤解されると困る」などと言って、一般人がポジショナルプレーについて発言している事に関して、悉く(ことごとく)、それを否定するのだ。
 そして、「自分だけが、ポジショナルプレーについて正しく理解している」というスタンスを、一貫して取り続けて居るのだ。
私は、これが、本当におかしいし、異常だと思う。
そもそも「ポジショナルプレー」というモノが、難解ではない。
私は、アメーバ・ブログで、ポジショナルプレーというモノについて書いている。だから、興味がある人は、読んで頂きたい。そして、ドメネク・トレント、ハビエル・マスチェラーノなど、ポジショナルプレーという戦術に関係した人のインタビューも載せている。
外国人がポジショナルプレーについて解説している英語動画も紹介している。
(注: 現在は、私のアメーバ・ブログは消滅しました。アメーバ・ブログの運営から、ある日、突然、一方的に全てを消滅させられました。その為、現在は上記の記事を見る事はできません)。
という訳で、私は、ポジショナルプレーに関係しているサッカー界の人物のインタビューを読んだ。
そして思ったことは、ポジショナルプレーは、全く難解ではない。
しかし、結城康平は、「自分だけが、ポジショナルプレーについて正しく理解している」という態度であり、他の一般の日本人サッカー・ファンを見下し続けているのである。
私は、このような結城康平の態度を見ると、「こいつ、一体、何なんだ?」と思う。
私の推測であるが、この結城康平という人物は、「サッカーというのは、難解である」というメッセージを、常に日本のサッカー・ファンに送り続けている。それを意図的にやっている。
実際、サッカーなんて、その戦術の理屈は、難解ではないのだ。物理、化学、数学などと違って、サッカーなんて説明されれば、誰でも分かるレベルの話である。
しかし、結城康平は、「サッカーは難解だ。日本人サッカー・ファンは誤解している」という見解だけを見せる。
つまり、この男は、「日本人に、『サッカーは難解だ』と思ってもらった方が、自分の都合が良いのだ」。
この男は、日本人が「サッカーは難解だ。結城康平の説明を聞かないと、サッカーというスポーツを理解できない」と思って、自分の本を買う方向へ、持って行きたいのである。
自分のメルマガの読者になってもらいたいのである。
それが、結城康平にとって、一番儲かるからだ。

私は、結城康平には、このような原動力が、常に働いていると思っている。
その為、結城は、一般の日本人サッカー・ファンが、「俺は、ポジショナルプレーが分かった」などと言っているのを見かけると、即座に「ポジショナルプレーを誤解されては困る」と発言して、それを否定にかかるのだ。
私は、この一連の結城康平の振る舞いを見ていると、「こいつは異常だ」と思う。
果たして、未だかつて、こんなサッカー評論家が居ただろうか?
ここまで上から目線で、「サッカーというスポーツが難解である」というメッセージを送り続け、そして、一般のサッカー・ファンが「理解した」と言うと、否定にかかるという人間である。

私は、この結城康平の態度というのは、極めて珍しいし、異常ではないかと思う。
繰り返しになるが、私は、結城康平の裏には、「日本人は、ポジショナルプレー、そしてサッカーを難解だと思ってもらわないといけない。そうでないと、俺の儲けにつながらない」という心理的作用があると思っている。
その為、結城康平というサッカー評論家は、常に「一般のサッカー・ファンが理解した」と言っているのを見ると否定するというおかしな行動をやり続けるのだと思っている。

 
 それでは、皆さん、さようなら。



参考資料です。
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