「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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2021年04月



私は、以前から、日本における、「大学スポーツの差別問題」を批判している。
これは、主に、「東京6大学野球」、「関東大学ラグビー」におけるリーグ構造についてである。これら2つのリーグは、「有名大学だけで集まってリーグ戦をやる。他の大学の参入を認めない」、「これらのリーグでは、降格が無い」という特徴がある。
今月、欧州では、レアル・マドリードのフロレンティーノ・ペレス会長が、「欧州スーパー・リーグ構想」というのを発表した。これは、欧州の人気チーム、ビッグ・クラブだけ参加できるリーグである。「欧州のビッグ・クラブ、12チームだけで行う新リーグを作る」というモノであった。
そうしたら、その直後に、世界中から猛批判を受けた。そして、たった2日でこの提案は消滅した。
そして、日本人のサッカー評論家、サッカー・ファンは、世界のサッカー・ファンと同じく、この構想を掲げたペレス会長を猛批判していた。
しかし、日本では、この「欧州スーパー・リーグ構想」と全く同じ酷い差別リーグがあるのだ。
しかも、100年以上やっているのだ。
それが、今回のブログの冒頭で紹介した、「東京6大学野球」と 「関東大学ラグビー」である。



  それでは、皆さん、さようなら。



私は、海外のスポーツ新聞を読む。
そして、海外のサッカー記者がツイッターで、「サッカー本を出版した」というニュースを発信しているのを見る事がある。それは、大体、「歴史本」がほとんどである。「名選手の伝記」とか、「クラブ史」とか、そういう本ばっかりである。
一方、日本は、サッカーの戦術本、指導書の出版が多い。
私が本屋に行くと、サッカー・コーナーは、戦術本、指導書だらけである。
私は、これが、海外と日本で大きく違う所だと思っている。
私は、日本には、「新戦術詐欺商売」というモノが存在していると思っている。
これは、主に結城康平、浅野賀一、西部謙司の3人によって展開されている。
雑誌で言うと、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「ナンバー」、雑誌「ワールド・サッカー・ダイジェスト」、雑誌「スポルティーバ」、出版社名で言うと、「カンゼン」、「ソル・メディア」、「日本スポーツ企画出版社」、「文藝春秋」、「集英社」という出版社によって行われている。
こいつらの手法というのは、まず海外のサッカー評論家で、「戦術は進歩している」、「戦術は昔と大きく変わっている」という人間の意見、本を紹介する事である。
それらを翻訳したり、その評論家にインタビューした記事を、自分のメディアで紹介している。
ここでポイントなのは、「サッカーの戦術は、昔と変わっていない」、「サッカーの戦術のコンセプトは、1980年代に生まれたモノと同じだ。現在は、より洗練されているが、昔とやっている事は、ほぼ同じだ」というようなサッカー評論家の意見は、絶対に紹介しない事である。
世界には、そういう見解を述べている大御所サッカー評論家は居る。
しかし、結城康平、浅野賀一、西部謙司らは、決してそういう評論家の意見は紹介しない。
つまり、この3人は、「戦術は進化している」という海外サッカー評論家の意見を紹介して、下地を作っているのだ。
こうすることで、日本のサッカー・ファンに、「戦術は進歩しているんだ」という印象を与えるのである。
雑誌「フットボリスタ」は、一番酷く、自分のインターネット・サイトでは、「前文」として、「現在、サッカー界では、急速に戦術が進歩している」という文章を載せている。
こうする事で、まず最初から読者を煽(あお)っているのだ。
私は、このような事をする浅野賀一という編集長は、本当にろくでもない奴だと思っている。
このようにして日本人サッカー・ファンを誤解させているのだ。
そして、第2段階として、日本人サッカー評論家たちは、海外の「サッカーの戦術は進歩している」というサッカー評論家の真似をして、自分達の本を出版する訳である。
以上が、日本で行われているサッカー・マスコミの手口である。
これは、数十年と行われているモノである。だから、近年、現れた酷い話ではない。
しかし、私は、これが2010年代になって、一層、酷くなったと思っている。


私は、このような光景を見ると、日本人をだまして思想教育をして洗脳する事は、とても簡単なことなのだと実感する。
つまり、浅野賀一、結城康平、西部謙司など、極めて少数の人間による情報発信により、これだけ多くの人間がだまされてしまっているのだ。
そして、問題なのは、この浅野賀一、結城康平、西部謙司などは、非常に頑固な人間であり、「自分達の間違い思想を引っ込めることができない」、「間違っていたら素直に訂正・謝罪できない」という人間共なのである。
こいつらは、世界で流行っていない戦術用語を紹介して、「覚えるべき言葉」とよく宣伝する。
そして、それが実際は、世界で流行っていなくても、謝罪しない。一向に反省はないのだ。全くないのだ。
こいつらは、「サッカーには言語化が必要」と言って、毎年、日本人サッカー・ファンに新語を紹介している。
「ストーミング」だの、「偽サイドバック」だの、色々と新語を紹介している。
しかし、私がこのブログで以前、紹介したが、「ストーミング」という戦術用語など、世界で全然、使用されていないのだ。
それでも、こいつらは、本当にお構いなしなのである。
私は、本当にこいつらの態度というのは、酷いと思う。

西部謙司は、最近、自分のコラムで、「ポジショナルプレーが標準装備された世界」などと言い出している。現在、サッカー界では、「ポジショナルプレー」という戦術を使用しているチームは少ない。
しかし、西部謙司は、浅野賀一、結城康平らと協力して、「ポジショナルプレーは世界で流行っている」、「ポジショナルプレーは、日本人が進歩するのに必要な戦術」などと言って宣伝し続けたので、もうその主張を引っ込められないのだ。西部謙司は、頑固に強引に、現実と違うことを日本人に説明し続けているのだ。

また、結城康平は、「最新の戦術」という言葉を使い、西部と同じく新戦術詐欺商売というのをやっている。

海外のサッカー評論家は、「サッカーの歴史」を紹介する。
そして、「サッカーの戦術の歴史」も紹介する。
例えば、センターバックが、ビルトアップする行為がある。
これを日本人サッカー評論家は、「現在のセンターバックは、昔のセンターバックと違ってビルドアップもやる。進化している」などと言う。
しかし、私が海外の新聞を読むと、海外の記者は、「現在のセンターバックは、ビルドアップをする」と書いた後に、「これは、1970年代、フランツ・ベッケンバウアーが既にやっていた事です」
という一文を添えて来る。
つまり、「このプレー・スタイル、この手法・戦術は、昔からある。昔、やっていた人が居る」という説明を、いちいち注釈として添えて来るのだ。
読者が誤解しないように、きちんと説明するのだ。
しかし、日本人サッカー評論家、西部謙司、結城康平、浅野賀一らの手にかかると、「新戦術詐欺商売」を始め、「現代サッカーでは」、「現代型の選手」、「モダンなプレー・スタイル」など、そういう説明をする。酷いと、「革新的スタイル」、「今までに居ないタイプ」など、そういう紹介を行う。
つまり、海外のサッカー記者が、「昔に、こういう選手が居ました。ベッケンバウアーがこれを50年前に、既にやってました」と説明するのと大違いなのだ。
これが、日本サッカー界における現実である。
そして、このような手法をやると、無知なサッカー・ファンが、本当に、結城康平、西部謙司、浅野賀一らの説明を信じてしまうのだ。
そもそもが、日本人の多くは歴史を全く知らないので、日本のサッカー評論家たちが、「革新的」、「サッカーは進歩している」など書いて選手を説明すると、そのまま「今までにない存在だ」として信じてしまうのである。
この酷い状態が、日本サッカー界では何十年と続けられている。
そして、2010年代になって、より一層、酷くなっている。
最近では、結城康平などの「歴史を全然、勉強していない」にも関わらず、日本人サッカー・ファンに戦術を講義するというおかしなサッカー評論家が出て来た。
この手の新種のサッカー評論家が出て来た。
こいつらが、歴史を全く勉強していないにも関わらず、現代のサッカー選手を、「革新」、「今までに居ないタイプ」など、そんな文章のオンパレードで本を出版するのである。
そして上述したが、それを読んだ無知な日本人サッカー・ファンが、それをそのまま信じるという酷い事が起きている。

という訳で、日本のサッカー界は、本当にろくでもない。
海外の事情とは、大きく違う。そもそも、評論家に誠実さがない。
私は、こいつらの背後には、「煽(あお)れば、儲かる」という考えがあるとしか思えない。
受け手側が、間違った知識を身に着けても構わない。とにかく本が売れればいいと思っている雰囲気ばかりを感じる。
浅野賀一などは、その塊(かたまり)のような人間だろう。

という訳で、私のブログを読んだ数少ない人だけでも、この日本サッカー界におけるマスコミ、サッカー評論家、編集者たちの酷さを知って頂きたい。
そして、あいつらにだまされないで頂きたい。


 それでは、皆さん、さようなら。





私は、「サッカーと野球における日本人選手の世界トップ・レベルへの挑戦」というのは、とても違うという感想を持っている。
サッカーの場合、日本人選手で、世界のトップ・レベルに初めて挑戦したのは、奥寺康彦氏だった。
1970年代後半に挑戦をした。
そして、奥寺氏は、当時、欧州最高のリーグであったブンデスリーガで、一番強いチームで助っ人をやった。ケルンは、ブンデスリーガで優勝をした。
奥寺氏は、1年目から助っ人として活躍をした。そして奥寺氏は、優勝を決めるゴールを決めた。
つまり、サッカー界において、日本人は、最初の1人目が、最初から世界最高峰で通用して、1年目からリーグ優勝していたのだ。
奥寺氏は、この後、1980年代は、ブレーメンというチームで活躍をした。
この頃、ブレーメンは、ブンデスリーガで2位のチームだった。
1980年代前半~中頃は、バイエルン・ミュンヘン、ハンブルガーSVなどが優勝をしていた。
そして、ブレーメンは惜しくも2位で終わるシーズンが多かった。ブレーメンは、リーグ戦で3回、2位になった。
つまり、奥寺氏は、1980年代は、ブンデスリーガで2位のチームで助っ人をしていた。
ブンデスリーガは、1976~1984年まで、欧州最高のリーグだった。「UEFAリーグ・ランキング」という信頼性のあるランキングで、1位のリーグだった。
奥寺康彦氏は、この期間にドイツで活動をしていた。
だから、奥寺氏は、欧州最高のリーグで1位や2位のチームでずっと助っ人をやっていたという事である。
という訳で、日本サッカー界は、世界挑戦をした最初の人が世界最高峰で簡単に活躍した。長い間、活躍をしたのだ。奥寺氏は、ドイツで9年間、活躍をした。

一方、野球界は、そうではない。
日本人は、1960年代に、村上雅則という投手が、アメリカのメジャー・リーグに挑戦した。
2年間、活動をした。しかし、大した活躍はできなかった。
その後、幾人かの日本人がメジャー・リーグに挑戦したが、活躍できなかった。
そして、1990年代から野茂英雄という投手が、メジャー・リーグに挑戦した。
私は、野球について詳しくないが、そこそこ活躍したようだ。しかし、奥寺康彦氏のように優勝などは全然、できていない。
野茂は、個人成績で、そこそこ良かったらしいが、奥寺氏のように強豪チームで外国人助っ人をしていた訳ではない。
その後、日本から、イチロー、松井秀喜、大谷翔平などが、アメリカのメジャー・リーグで活躍をした。
私が何を言いたいかというと、野球は、サッカーと違って、世界最高峰で活躍するのに時間がかかったという事である。
野球というのは、世界で10カ国ぐらいしか真剣にやっていない、とてもマイナーなスポーツである。
しかも、この10カ国において、野球が一番人気のあるスポーツという訳でもない。
野球は、これら10カ国において人気が、2位とか3位の場合だってあるのだ。それぐらいマイナーなスポーツである。
そして、野球は、オリンピック競技にもなれない。それ程、マイナーなスポーツである。
しかし、日本人は、そんなマイナー・スポーツにおいて、世界のトップ・レベルで活躍するのにとても時間がかかった。
一方、サッカーは、世界の150カ国ぐらいで、「国技」とされているスポーツである。
そして、世界で一番人気のあるスポーツである。
そんな超人気スポーツにおいて、日本人サッカー選手は、最初の挑戦者、奥寺康彦氏が、欧州最高のリーグの1位や2位のチームで助っ人として通用していた。長い間、活躍をした。
当時、ヨーロッパは、外国人助っ人枠は、「1チーム、2人」だった。当時は、外国人枠が少なかった。
だから、当時の外国人選手は、ヨーロッパの強豪チームに所属していたら、外国人助っ人である時点で、既に世界のトップ・プレーヤーの1人だった。
そんな外国人枠の少ない時代に、奥寺氏は欧州最高のリーグの1位や2位の強豪チームで、ずっと外国人助っ人を務めたのである。
私が言いたいことは、サッカー界は、野球界と違って、最初の選手がとても優秀で、最初から大活躍をしていたという事だ。

私は、最近、元日本代表のサイドバック、内田篤人という選手が、マスコミで発言しているのを目にした。
内田は、「日本と世界との差は開いている」と発言をしていた。
この発言をもっと詳しく説明すると、内田は、
「自分がヨーロッパで活躍をしていた2010年代前半と比べると、現在は、日本人がヨーロッパで活躍できていない。だから、世界と日本との差は開いている」
と述べていた。
そして内田は、「自分は優秀だったが、今の日本人はレベル低下している」という態度であった。
私は、これを見て、激しい「ツッコミ」を入れたくなった。
私は、「お前が、奥寺康彦氏が上げた日本サッカーのレベルを大きく落としたんだよ。昔の日本人は、もっとヨーロッパで活躍していたんだよ。お前が、日本と世界との差を広げたんだよ。勘違いするな」と説教をしたくなった。
奥寺康彦氏は、現役時代、サイドバックのポジションも務めていた。(注: 奥寺氏は、ウィング、サイドハーフ、サイドバック、センターバックができる選手だった。色々なポジションをこなせる超ユーティリティーな選手だった)
だから、奥寺氏は、内田篤人と同じポジションを務めていた選手だと言ってもいい。
同じポジションをして、内田より遥かに活躍していたのである。
だから、内田は、日本人サイドバックのレベルを落とした選手である。
内田は、奥寺氏の時代を考えると、世界と日本人の差を広げてしまった選手である。

という事で、今回のブログで私が言いたいことは、日本のサッカー選手は、最初から世界の最高峰で通用していた。野球と違って、最初から通用していた。
そして、現在の後輩の日本人サッカー選手たちは、奥寺氏の居た頃からずっとレベル低下を続けている。世界と日本のレベルの差をどんどん開げてしまっている。
それを現代の日本人サッカー選手は、自覚していない。
それ故、内田のような人物は、マスコミ上で的外れなコメントをしているという事だ。


 それでは、皆さん、さようなら。


【 サッカー評論家、戸塚啓が流すウソ。釜本邦茂を、「アジア人、オリンピック、最初の得点王」と紹介する酷さ。
1956年のメルボルン・オリンピックで、インド人、フォワード、ネビル・ドゥスーザが、得点王になっている。 ドゥスーザが、アジア人初得点王である。】



【 特集。 アジア人初、オリンピック得点王、ネビル・ドゥスーザ。】


昨日、なぜか知らないが、雑誌「ナンバー」、雑誌「スポルティーバ」というスポーツ雑誌のインターネット・サイトで、釜本邦茂を称賛するコラムが、2つ発表されていた。
同じ日に、一気に「釜本称賛コラム」が、突如、発表されていた。
戸塚啓、後藤健生という2人のサッカー評論家によって、それぞれ発表されていた。
相変わらず、この2人は、「当時のオリンピックに参加していた選手の年齢、レベル」というモノを、日本国民に紹介していなかった。
また、「日本サッカー協会が、FIFA(国際サッカー連盟)の国際Aマッチ基準を否定していること」も紹介していなかった。
そして、JFA(日本サッカー協会)により、FIFA基準よりも22点も水増しされた釜本邦茂の得点数を紹介して、「釜本は、日本代表で得点数が1位」と紹介していた。
FIFA基準(国際サッカー連盟基準)では、三浦知良が、1位である。
しかし、この2人のサッカー評論家、戸塚啓、後藤健生は、日本サッカー協会の犬であり、日本国民に真実を伝えるよりも、釜本邦茂をただただ称賛し、誇大に見せるということを相変わらず続けている。
この2人は、おかしな事をやっている人間を批判しない。
この2人は、日本サッカー協会の記録捏造を支持し、当時のオリンピックの大会レベルを正確に日本国民に伝えず、隠してコラムを書くという酷いことを、毎回、やっている。
私は、この2人はこういう事をしていたら、この先、自分のサッカー評論家としての信頼がなくなる危険があると考えていないのだと思った。

私のブログの読者の皆様には、戸塚啓、後藤健生の酷さを知って頂きたい。


それでは、今回の本題である。
サッカー評論家、戸塚啓は、その雑誌「ナンバー」のコラムで、以下のように釜本邦茂を紹介していた。
「釜本邦茂は、1968年のメキシコ五輪でアジア人初の得点王を射止め、銅メダル獲得の立役者となった。」
である。
私は、このコラムをヤフー・ニュースの記事で読んだ。
そして、コメント欄を見た。「ヤフコメ」と俗に言われているモノである。
そこで、投稿者の1人が、
釜本は、アジア人初ではないです。1956年のメルボルン・オリンピックで、インドの選手が得点王になっている
と書いていた。
私は、驚いた。
私も、戸塚啓と同じく、釜本邦茂がアジア人で初のオリンピック得点王だと、ずっと思っていたからである。
私は、日本のマスコミが、20世紀からずっとそう伝えているのを見て来た。その為、釜本が最初だと思っていたのだ。
その後、私は、この投稿者の話が本当かどうか、すぐに調べた。
すると、1956年のメルボルン・オリンピックで、本当にインド人選手が得点王になっていた。
その選手の名前は、ネビル・ドゥスーザ(Neville D'Souza)という選手だった。
ドゥスーザは、「試合に出場して、4得点を挙げて得点王に輝いた」。
ドゥスーザは、オリンピックで、オーストラリア、ユーゴスラビア、ブルガリアと対戦した。
準々決勝、地元オーストラリアと対戦した試合で、インド代表は、4-2で勝利をした。
この試合、ドゥスーザは、ハットトリックを達成した。
準決勝、インドは、ユーゴスラビアと対戦をした。インドは、1-4で敗れた。
しかし、ドゥスーザは、1得点を挙げた。
この後、インドは、3位決定戦を、ブルガリアと戦った。
そして、0-3で敗戦をした。
ドゥスーザは、この大会で計4得点を挙げて、得点王に輝いた。
ちなみに、この大会は、得点王になった選手が、3名居た。
ドゥスーザの他に、同じく4得点を挙げた選手が、2名居た。
それは、ユーゴスラビア代表、FW、トドール・ベセリノビッチ(26才)、ブルガリア代表、FW、ディミタール・ミラノフ(28才)である。

この1956年のメルボルン・オリンピックは、11月下旬から開催された。
そして、12月初旬に終わった。

通常、昔のオリンピックは、10月、11月などに開催された場合、ヨーロッパの国は、若手で編成された代表チームで参加する。
その理由は、ヨーロッパのクラブ・チームは、この時期、プロのリーグ戦、真っ只中だからだ。
その為、東欧のチームは、オリンピックよりも、ヨーロッパのクラブ・チームの国際大会、「欧州チャンピオンズ・カップ」に参加することを重視していた。
だから、東欧の代表チームは、10月、11月開催の場合、オリンピックが開催されていても、ベスト・メンバーでは参加していなかった。
東欧のチームは、8月開催のオリンピックの場合は、ベスト・メンバーで参加していたが、10月、11月開催だと、手抜きした若手主体メンバーで参加していたのである。
私が、今回、疑問に思ったことは、得点王になったベセリノビッチ、ミラノフの年齢である。
2人共、それぞれ、26才、28才であり、オリンピックに参加する年齢としては、高齢である。
そして、2人共、当時のA代表チームで主力選手だった。率直に言えば、名選手だった。
私は、このような代表主力が、大会に参加している事に驚いた。
欧州チャンピオンズ・カップは、1955年から始まった。
そして、このメルボルン・オリンピックは、1956年に開催された。
私は、1956年の欧州チャンピオンズ・カップを調べた。
すると、1956-57シーズンの欧州チャンピオンズ・カップには、ユーゴスラビアからはツルベナ・ズベスダ(日本では、「レッド・スター」と呼ばれているチーム)が参加していた。
そして、得点王になったベセリノビッチは、ツルベナ・ズベスダの選手ではなかった。
パルチザン・ベオグラードの選手だった。 だから私は、ベセリノビッチは、オリンピックに参加したのだと思っている。
もう1人のミラノフは、CSKAソフィアというチームに所属していた。
そして、CSKAソフィアは、欧州チャンピオンズ・カップに出場していた。
ミラノフは、欧州チャンピオンズ・カップに出場して、1956-57シーズンは、得点を決めていた。
しかし、このメルボルン・オリンピックに参加していた。
私は、このシーズンの欧州チャンピオンズ・カップの日程を見た所、メルボルン・オリンピックと重なっていなかった。
だから、ミラノフは、オリンピックに参加したのだと思っている。
以上の事を考えると、この1956年のメルボルン・オリンピックは、レベルの高い大会だった。
釜本が得点王になった1968年のメキシコ・オリンピックと違い、東欧の国々が、主力選手を参加させていた。

私は、以前、釜本邦茂が得点王になったメキシコ五輪の東欧国の代表チームのメンバーを調べた。
そうしたら、ほとんど23才以下のメンバーで占められていた。
そして、代表の主力選手、20代中頃、30才ぐらいのメンバーはろくに参加していなかった。
つまり、インド人、ネビル・ドゥスーザの方が、釜本邦茂より難易度の高いオリンピックで得点王になったのである。 だから私は、ドゥスーザの方が凄いと思っている。


私は、ドゥスーザは、もしかして才能的には、釜本より凄い選手なのでは?と思っている。
ドゥスーザは、インド代表での成績は、「15試合、10得点」という成績だった。
ちなみに、ウィキペディアのポルトガル語版でのドゥスーザのページでは、
「当時のインド代表は、ワールドカップ1950年大会のアジア予選を勝ち抜いたが、本大会に参加するのを辞退した。そして、次回のワールドカップ1954には、アジア予選に参加すらしなかった」と書かれている。
当時のインド代表は、ワールドカップに参加することに消極的だったようだ。
インドは、ワールドカップに参加しなかったが、その後、1956年のメルボルン・オリンピックに参加したら、ベスト4という好成績を残したのである。
私は、上述したが、この大会は、釜本らが参加した1968年のメキシコ五輪よりも、東欧のチームのメンバーのレベルが高いので、インドがベスト4まで勝ち進んだのは凄いと思っている。
という訳で、今回のブログをまとめると、日本のマスコミは伝えないが、釜本より先にオリンピックで得点王になったアジア人が居たという事である。
それはインド人の選手で、ネビル・ドゥスーザである。

 
 それでは、皆さん、さようなら。








【 「サッカーの戦術は進歩している」という本を出版してしまい、今更、訂正できないので、頑固に間違い思想を、日本人サッカー・ファンに説明し続ける、西部謙司 と 雑誌「フットボリスタ」の酷さ。】


私は、「サッカーの戦術は進歩していない」という意見を述べている人間だ。
その理由は、2つある。
第1が、私自身が、昔からそのように感じていた。
第2が、海外の大御所サッカー評論家が、そのように述べていた。

という2つの理由からである。

私は、自分のアメーバブログ(現在は消滅している)において、1980年代後半、ヨハン・クライフという監督が、FCバルセロナ時代に使用していた戦術を紹介した。また、クライフの基本的な思想についても紹介した。
そして、2000年代に入り、ジョゼップ・グアルディオラが監督業をやり始め、そのサッカーがクライフの戦術と酷似している事も紹介した。
しかし、そのブログは、アメーバブログの運営から、ある日、突然、消滅させられてしまった。
だから、残念だが、皆さんにご紹介できない。
しかし、日本人に以前、紹介した事は確かだ。

つまり、現在、サッカー界で脚光を浴びているジョゼップ・グアルディオラ監督は、ヨハン・クライフの真似をしているだけなのだ。
グアルディオラは、選手時代、FCバルセロナでクライフ監督の下で、長年、プレーをしていた。
だから、その時、クライフから教わったサッカーを、監督になってやっているだけである。
しかし、西部謙司は、そのような事実があるにも関わらず、それを無視しているのだ。
そして、細かい所を挙げて、「グアルディオラのサッカーは革新」とか、「ここが進歩した」とか言って、「現代サッカーは進歩している」という内容のコラムを書きまくっているのだ。
そして、そのような本を数多く出版している。
西部謙司の基本的な主張は、「サッカーは、あるチームが戦術を生み出すと、それに勝つ為に、他のチームが新しい戦術を生む。そのようにして、サッカー界において戦術は進歩して来た」という意見である。
余談だが、北條聡というサッカー評論家も、恐らく、これと同じ意見である。
西部は、この思考に基づいて、数多くの本を出版して来た。そして、コラムにも、この意見を書いて来た。
しかし、現実は違うのだ。
現実は、グアルディオラ監督は、30年前に師匠のクライフが行っていた戦術を丸パクリしているのだ。 グアルディオラは、多くの戦術をクライフから盗んで、現在、それを行っているのだ。
グアルディオラは、自分で編み出した戦術は少なく、ほとんどクライフがやっていた事を、そのまま拝借してやっているのだ。
しかし、西部は、「戦術は進歩している」という本を数多く出版してしまった。
そして、そのメッセージを、日本のサッカー・ファンに長年、発信し続けてしまった。
それ故、西部謙司は、今更、「私は、間違っていました。グアルディオラは、クライフの真似をしています。グアルディオラは、クライフから学んだ多くの戦術を、現在、使用しています」
という事が、言えないのだ。
これは、西部謙司が、頑固で馬鹿だから言えないのである。
この男は、訂正すると、自分の面子(めんつ)に関わると思っているようで、真実を言えないのである。
この男は、「ポジショナルプレー」という戦術が、世界で流行っているという本・コラムを数多く出版して来た。
しかし、実際は、「ポジショナルプレー」は、世界で流行っていない。それを使用しているチームは少ない。
そして、「ポジショナルプレー」という戦術は、1980年代後半、ヨハン・クライフがとっくに使用している。
そして、1992年には、欧州王者にもなっている。
しかし、西部謙司は、これを「最新の戦術」と言って、現在、世界で流行っているとしてウソの宣伝をしている。

これは、雑誌「フットボリスタ」も同じである。浅野賀一という編集長も同じである。
結城康平、らいかーると、五百蔵容、北條聡、小澤一郎という連中も同じである。

私は、日本人の特徴として「自分が間違っていても、それを認められない」というモノがあると思っている。
つまり、「私は、間違ってました」と正直に言えないのである。
そして、悪い事に、事実・現実を歪めて、逆に「自分は正しい」と頑固さを発揮するのだ。
私の読者で数少ないマトモな日本人の方々には、これは奇妙に思えるかも知れないが、こんなおかしな行動が、当たり前にどこでも展開されているのだ。
西部謙司、浅野賀一、結城康平、その他、雑誌「フットボリスタ」に寄稿する連中は、「戦術は進歩している」という内容の本を出版し過ぎて、引っ込みがつかなくなり、その結果、事実・現実を歪めて、依然として「戦術は進歩している」という内容を、頑固に発信し続けるという行動に出ているのである。

私は、これらを見て、「お前ら、アホか?」と思っている。
こいつらは、それをやる事で、将来的に自分達の信頼性を失うのが、分かっていないのだ。
つまり、西部謙司、浅野賀一、結城康平らは、それぐらいアホだという事である。
こいつらは、ヨハン・クライフが30年前にやっていた事を、現在、グアルディオラがやっているのを見て、「新戦術」として宣伝してしまい、その後、「グアルディオラが、クライフの真似をしている」という事が分かっても、それを今更、認める事ができないので、そこは無視して「新戦術が出ました」、「戦術は進歩しています」という内容を、相変わらず、発信し続けているのだ。
そして頑固に、依然として認められず、「新戦術」とか「最新の戦術」という言葉を繰り返し使って日本人サッカー・ファンをだましているのだ。

皆さんに言っておきますが、「偽9番」とか、「偽サイドバック」(サイドバックが内側にポジションを取る)とか、「ポジショナルプレー」とか、これらは全部、1980年代後半、30年前にヨハン・クライフが行っています。
全然、新しくないです。
それにも関わらず、西部謙司、結城康平、浅野賀一ら、雑誌「フットボリスタ」に寄稿している連中は、「最新の戦術」と言って、日本人サッカー・ファンに説明をし続けています。

私は、こいつらの頑固さを見ると、本当に日本人というのは駄目だと思う。
私の数少ないブログの読者の皆様は、こういうサッカー評論家、サッカー編集長にはだまされないで頂きたいと思います。


 それでは、皆さん、さようなら。




現在、日本では、西部謙司、結城康平、浅野賀一、五百蔵容、らいかーると、北條聡、戸田和幸、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「スポルティーバ」などにより、世界でろくに使用されていない戦術用語が、日本人サッカー・ファンに向けて発信されている。

私は、これらのサッカー評論家の特徴を説明したい。

まず、第1に、
「この戦術用語は、世界でろくに使用されていません」という注意を、日本人サッカー・ファンに一切、行わないという事である。

そして、第2に、
「聞き慣れない戦術用語を使用していることに得意気である。自分達は、先端、上位であり、他の日本人サッカー・ファンと一線を画している」とでもいうような傲慢さに溢れている。

第3に、
「複雑に語ろうとする。そして、物事を複雑に見せて、その複雑さを理解している自分は凄いだろ」という態度を見せる。

以上のような特徴がある。

そして、彼らは、自分達を、「戦術クラスタ」と呼び、「戦術を研究しているマニア」として誇らし気なのである。
そして、一般のサッカー・ファンと線を引き、「自分達は違う」とでも言うような優越性を見せている。
私は、彼らが使用している言葉が、「世界で普及している」とか、「本当に先端であり、これから普及する」というのならば、彼らの振る舞いを容認しようかなと思う。
 しかし、実際は、「彼らが使っている戦術用語は、世界でろくに使用されていない」。  
 また、「彼らが得意気に語っている戦術が、昔からある。30年前からある」というのが実態なのだ。
私は、これを見るにつけ、本当に日本人はおかしいと思うのだ。
例えば、「ポジショナルプレー」という戦術は、1980年代後半、ヨハン・クライフが既にやっている。それを、2000年代、弟子のジョゼップ・グアルディオラが真似してやっているだけである。  
 しかし、日本における、この「戦術クラスタ」と自称している連中たちは、そんな古い、昔からある戦術を、「先端」とか「最新」とか言っているのだ。
 これは、結城康平、西部謙司などが顕著である。
 私は、こいつらは、歴史をきちんと知らないのだと思っている。
 それにも関わらず、日本人サッカー・ファンにおかしな説明をしているのだ。
 私が何を言いたいかというと、日本人というのは、このような気質があるという事だ。   
 つまり、新語、他の人が知らない言葉というのを得意気に語り、「僕たちは、君らとは違うんだよ」とでもいうような態度を取るという特徴がある。
 私が海外の新聞を読んでいると、サッカー評論家たちの記事は、実に平易な言葉、聞き慣れた言葉で読者に記事を書いている。  
 しかし、日本人の場合、逆に、「聞き慣れない言葉」、「新語」を使いたがる傾向にある。
そして、それを書いているサッカー記者は、「皆さん、これ知ってますか? 知っている私は凄いでしょ」みたいなそんな雰囲気に溢れているのだ。  
 そして、それを読んだサッカー・ファンが、その日本人記者の真似をしてその新語を得意気に使い出すという展開になる。多くのサッカー・ファンが真似をし始める。
 そして、その言葉を広めたサッカー記者は、「すいません。この言葉は、世界でろくに普及していません」などとは正直に言わないので、自分で広めておいて、その責任は取らない。


 私は、海外のサッカー記者が、「ポジショナルプレー」という戦術について、「馬鹿げた流行」と一喝して相手にしていない記事を見た。
 日本の場合、こういう記者が居ない。
 日本の場合、「自分は、サッカーの何百ページもある論文を読んだ」と言って知的アピールをして来て、そして、「サッカーというのは複雑なモノだ」というサッカー観、メッセージを、読者に与えようとする評論家ばかりである。
 私は、本当にサッカーが、そのような極めて複雑なスポーツならば認めようと思う。
 しかし、実際の所、サッカーは、そんな複雑ではない。
 数学、物理のようなレベルが高くなればなる程、理解できない人が増えて行くというような世界ではない。
 なにせ、「11人 対 11人」で人力のみだ。そして、ルールはほとんど変わっていないスポーツである。
 外部からの新材料が導入されていないスポーツである。
 そんな閉鎖系世界のスポーツにおいて、100年も歴史が積み重なったら、「ほとんどの戦法は、既に試され、過去に誰かがやっている」という状態なのが普通だろう。
だから、現在、日本人サッカー評論家たちは、ジョゼップ・グアルディオラの戦術ばかりを紹介しているが、それは、30年前、ヨハン・クライフが既にやっている事ばかりなのである。
それにも関わらず、日本人サッカー評論家たちは、その現実を無視して、「最新」とか「革命」とか「現代型」とか、そのような革新的なことが起きたという印象を与える言葉を駆使して、サッカー記事を書きまくっているのだ。
 私は、この現状が本当に酷いと思っている。
 私が酷いと思うのは、全員、その姿勢である事だ。
 私が前述したように、海外のサッカー記者のように、「馬鹿げた流行」などと一喝して相手にしないような評論家はたったの1人も居らず、全員が、「最新」とか「革命」とか「現代型」とか言ってコラムを書きまくり、本を出版しているのだ。
どこにも冷静に歴史を伝えて、その間違いを指摘するサッカー評論家が居ないのだ。
つまり、サッカー・ファンをだまし、煽(あお)っているそのサッカー評論家たちを批判する別のサッカー評論家が居ないのである。
 繰り返すが、私は、この現状が、本当に酷いと思っている。


という訳で、日本人というのは、
「物事を必要がないのに複雑にして行き、複雑に見せることに喜びを感じる。
そして、そのような複雑な事を理解している自分は凄いだろという態度を見せる傾向がある。
そして、新語、聞き慣れない言葉ばかりを使いたがる。そして、その新語を共に使っている者同士で群れたがる。『使っていない人間と、俺たちは違うんだよ』という姿勢を取る」
という事である。
一方、海外のサッカー記者は、読者が理解し易いように、平易な言葉で分かり易く説明しようとする。
また、歴史をきちんと説明する。
「この戦術は、昔からありました」、「このプレー・スタイルの選手は、昔にも居ました」など、そのようにきちんと説明する。実に、淡々と説明してくれる。
日本人サッカー評論家のように、「最新の戦術」、「今までに居ないタイプの選手」など、そのようなわざと耳目を集める為に、おかしな事をしない。


 という訳で、私は、日本人というのは、本当におかしく、駄目だと思いました。
 私は、残念なことですが、日本では海外のサッカー記者のように、読者が理解できるように平易な言葉を使うよう心掛けるとか、歴史をきちんと説明して知ってもらおうと努める。
他には、読者を煽(あお)ることなく、淡々と説明してきちんと理解してもらおうと努めるなど、そのような評論家が、居ません。
そして、この先、そういうタイプが、多数、登場することは、極めて難しいと思います。
 と言うのも、日本人というのは、私がこのブログの冒頭で紹介したようなおかしな特徴を有している人間ばかりだからだ。
私のブログを読んだ方の中で、日本人サッカー評論家のおかしさに気づいたら、真似をしないようにして欲しい。
 あれを真似したら、読者にとってろくなことはないです。
 私が、今、説明したような気持ちで人に説明しようと思って下さい。


  それでは、皆さん、さようなら。







私は、日本のサッカー評論家たちが、「世界で流行っていないサッカーの戦術用語を流行っている」として日本のサッカー・ファンに紹介することを批判している。
その筆頭というのが2人居て、西部謙司結城康平である。

私は、2010年代、日本のサッカー雑誌、サッカー評論家たちが、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」 というサッカー戦術用語を、「世界で流行っている」として紹介していたのを見て来た。
私は、これが、非常に不思議だった。
と言うのも、私は海外のスポーツ新聞を読む人間である。
私が海外のスポーツ新聞を読んでいても、この「ポジショナルプレー」、「ストーミング」という言葉を、ろくに見かけないのである。
また、私は、海外のスポーツ新聞の読者投稿欄を見ても、海外サッカー・ファンが、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」という言葉を使い、議論しているのを全然、見かけない。
私は、海外のスポーツ新聞で、サイト内検索というのをしてみた。
すると、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」という言葉がろくにヒットしないのだ。
サッカー記事で、これらの言葉が、ろくに使われていないのだ。
「ストーミング」に至っては、ゼロ件という状態であった。
「ポジショナルプレー」も5件であった。そして、その内、詳細に説明しているのが2件であった。
そのような状態にも関わらず、日本のサッカー評論家、サッカー雑誌は、「世界でポジショナルプレー、ストーミングが流行っている」として、何回も宣伝していたのである。


私は、これらの現状を見て、自分のアメーバブログにおいて、この状態を読者に説明をした。
そして、その時、丁度、3日間ぐらい、たまたま、私のブログは、多くの人に読まれていた時期だった。 それ故、私が批判していたサッカー評論家の1人、結城康平が、これに反応した。
結城は、自身のツイッターで、以下のような投稿をした。

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結城康平は、自分で、「ストーミング」は流行っていると宣伝していた。
しかし、私から「そんな戦術用語は、世界のサッカー・ファンは使ってないぞ」と批判されているのを見たら、上記のように、「この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった」という無責任な発言をして、この件を終わりにしたのだ。
この「ストーミング」という言葉は、英語圏だけでなく、スペイン語圏でも、フランス語圏でも流行っていない。世界で、全然、流行っていない。
しかし、結城康平は、それを、日本のサッカー・ファンに向けて、「流行っている言葉。サッカー界の新潮流」などとして宣伝していたのである。それにも関わらず、それがウソだと判明したら、上記のように、非常に無責任な発言をして終わりにするのだ。
私は、この態度は、問題ではないかと思う。
日本のサッカー評論家は、「ストーミングという言葉は、世界で流行ってません。流行っているとウソを書いて宣伝したことを謝罪します」ぐらいのことを述べるべきではないか? と思う。

そして、もう1人のサッカー評論家、西部謙司である。
この男は、なんと「ストーミング」という言葉を使った本を出版しているのだ。
それが、これである。


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【写真解説】 
サッカー評論家、西部謙司が、「2020年、7月」 に出版した本である。
書名は、「戦術リストランテVI 。 ストーミング vs ポジショナルプレー」である。



 昨年、7月、この本が出版された。雑誌「フットボリスタ」を出版している「ソル・メディア」という会社が出版をした。
 そして、繰り返すが、この本のタイトルにある、「ストーミング」という戦術用語は、世界で全然、流行っておらず、世界のサッカー・ファンに認知されていないのだ。
 これは、全然、普及していないのである。
 それにも関わらず、西部謙司は、こんな本を出版しているのだ。

 私は、このような結城康平、西部謙司の活動姿勢というのは、非常に問題だと思っている。
 こいつらは、「世界で流行っていない戦術用語を、日本のサッカー・ファンに向けて、『流行っています』として宣伝する。そして、私から流行っていないと指摘されると、謝罪は全くしない」。
そして、「日本のサッカー・ファンに向けて、すいません、私たちが、皆さんに宣伝していたあの戦術用語は、世界で全く流行っていません」という訂正コメントなどは、一切、出さないのである。
 その結果、現在では、日本のサッカー・ファンの中には、「『ストーミング』という戦術用語は、世界で流行っている言葉だ」と信じている人が居るのだ。 
私の予想だと、結構、居ると思う。
 なぜなら結城康平、西部謙司らは、「訂正コメント」とか、「謝罪コメント」などは、一切、出さないからだ。
 それぐらい、こいつらは無責任で誠実さがない連中である。

私が、これに関して、なぜブログをまた書いているかと言うと、それは理由がある。
それは、西部謙司が、最近、「世界のサッカーにおいて、ポジショナルプレーは標準装備されている時代となった」というコラムを書いているのだ。
 しかし、スペインのサッカー評論家は、「現在のスペイン代表チームは、ポジショナルプレーをやっていない」と説明している。
 また、私は、昨年、スカパーの無料放送日に、ジョゼップ・グアルディオラの長時間インタビュー番組を見た。そこで、グアルディオラは、「代表チームでは、練習時間が多く取れないので、ポジショナルプレーの戦術をやるのは難しい」と話していたのだ。
 そういう訳で、西部謙司が行っている、「ポジショナルプレーは、標準装備されている」などという説明は、デマである可能性が非常に高いのである。
 つまり、「ストーミング」も、「ポジショナルプレー」も、そんなに流行っていないのだ。
それにも関わらず、この西部謙司という男は、日本のサッカー・ファンに向けて、この2つが世界で流行っているとして本を書き、コラムを書き、それをやり続けるのだ。
そして、事実と違っていても、訂正・謝罪コメントなどは、一切、行わないのだ。

私は、このような状況を見て、日本のサッカー・マスコミは酷くないか? と思うのである。
流行っていない戦術用語を、「流行っている」と宣伝して、事実と違っても訂正・謝罪は一切せず、また変わらず、「流行っている」と言い続ける始末である。
私は、これでは、日本のサッカー評論家たちは、「平気でデマを流している」と批判されても仕方ないのではないか? と思う。


  それでは、皆さん、さようなら。

 



 
【 前文 】


私は、本日、アメーバブログに掲載していた記事の1つが、運営から閲覧禁止の措置を受けているのを見つけた。
その為、また、その禁止されたモノを、そのまま、このライブドアブログに転載する事にした。
それが以下である。


【 本編開始 】


【  結城康平というウソつき人間。】



私は、雑誌「フットボリスタ」が、「ストーミング」、「ポジショナルプレー」などの言葉を、世界で流行っている、先端の戦術用語として紹介しているのを批判した。
すると、雑誌「フットボリスタ」に寄稿しているサッカー評論家、結城康平は、ツイッターで以下のように答えた。


スクリーンショット 2020-11-06 093807


以上である。


つまり、私が、批判したように、「ストーミング」なんで言葉は、世界で流行っていないのである。
しかし、こいつらは、日本のサッカー・ファンに向けて、「世界で流行っている」とでもいうような感じで記事を書き、伝えるのである。私は、これは、「ウソつき」のレベルではないかと思う。
また、私は、今月、1月11日に自分のブログで、「結城康平(29才)という人物が発端となり、『ポジショナルプレー』という言葉が日本に広まった」と書いた。
すると、結城康平、本人から批判された。彼は、自身のツイッターで、私の記事を取り上げた後、以下のように反論した。


結城康平 ‏ @yuukikouhei  2020年、1月19日
名指しされてしまったので、簡単にご返信を。
① ポジショナルプレーを広めたのが、私だという誤解について
  ↓
2016年にはオスカル・カル・モレノ氏の
著作 「グアルディオラのポジショナルプレー特別講座」が発売されており、
海外でも先行して同様の本が発売されています。


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今回のブログは、私が結城康平へ新たな反論をする為に書いている。「結城の主張がおかしいという証拠」を見つけたのだ。結城康平は、昨年7月に、「ポジショナルプレー」に関する本を出版している。私は、本日、「アマゾン」という本も買えるネット・サイトで、その本について見ていた。すると、そこでの彼の著者紹介には、このように書かれていた。

結城 康平 / Kohei Yuuki
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に寄稿しつつ、翻訳・通訳・編集として活動。欧州サッカーを中心に「何でも屋」として複数のプロジェクトに参加している。海外サッカー専門誌『フットボリスタ』で「TACTICAL FRONTIER 進化型サッカー評論」を連載中。スコットランドで過ごした大学院生時代に培った英語文献を読み解くスキルを活用しながら「欧州最先端の戦術研究」に独自の視点でアプローチする。
日本のサッカー論談にポジショナルプレーを紹介した伝道師としても知られ、
Twitterアカウント(@yuukikouhei)のフォロワー数は3万人以上。

以上である。

以上のようにアマゾンの著者紹介には、はっきりと、「結城康平は、日本のサッカー論談にポジショナルプレーを紹介した人物」として書かれているのだ。
また「商品の説明」の箇所でも、以下のように説明されている。
『ポジショナルプレー』という概念を日本のサッカー論談に持ち込んだWEB発の新世代ライターが徹底解剖
と書かれている。

結城康平は、著者紹介、商品説明の中に、「自分は、『ポジショナルプレー』という概念を日本に広めた」と宣伝して活動中である。それにも関わらず、私から、「結城康平は、日本にポジショナルプレーを広めた」と書かれた事に対して、「それは誤解だ」と言って批判して来るというのは、おかしかろう。これは、筋が通らない話だろう。私に対して、この男はなぜこのような批判・反論ができるのか理解できない。という訳で、私は、「結城康平はウソつきだ」という結論に至った。また1つ、「結城康平は、信用できないサッカー評論家だ」という認識を深めた。私は、結城は、本当に 「無責任な奴だ」と思った。

また、私が、「ポジショナルプレーという用語が世界で流行っていない」と批判したら、結城康平は、以下のように答えた。
ここまで執拗にキレられると、知らぬ間に故郷の村をポジショナルプレーに焼かれたのかと不安になってくる。

スクリーンショット 2020-11-06 103514.pnga


以上である。


私は、皆さんに、この結城康平というサッカー評論家が、非常にいい加減だという事を知って頂きたい。結城康平というサッカー評論家は、日本のサッカー・ファンに、「サッカー用語」を伝える際、世界での普及率とか、認知度とか、そういうことは隠し、さも、「これは、世界で流行っている」という感じで伝えるのである。そうやって、サッカー・ファンをだますのだ。そうする方が、自分の本が売れるからである。私は、これは非常に問題があると思う。
皆さんは、結城康平というサッカー評論家が、何か新語を紹介していて、それが、重要な言葉、世界で流行っている言葉と説明していても、それを鵜呑みにしないことをお勧めする。
それでは、皆さん、さようなら。
参考資料です。
  ↓




<< サッカーの授業。 >>


【 私が、日本人サッカー・ファンに、日本マスコミの手口を紹介する。】


私は、アメーバブログに何回も書いているが、日本のサッカー・マスコミにおける「新戦術、煽(あお)り商売」というのは、本当に酷いなと思う。
読者の皆さんは、「また、その話題かよ」と思うかもしれない。しかし、私は、再び書く。

私は、この「新戦術、煽り商売」というのをやっている筆頭は、「カンゼン」という出版社、そして、雑誌「フットボリスタ」だと思っている。
これらの会社の特徴として、まず第1に、「サッカーは進歩している」、「サッカー界は、急速に変化している」という文章を、雑誌、インターネットのサイト上に書いている。最初に、そういうメッセージを読者に発信して煽っている。
そして、第2に、「『サッカーは変化している。戦術は進歩している』という外国人の評論家、戦術分析官のインタビューを掲載している」。
これをする事で、彼らは、日本人読者に「サッカー界は、新戦術というのが出て来て、急激に変化しているんだ」、「サッカー界は、昔とは大きく違うんだ」という印象を与えるのである。
読者は、外国人のインタビューが載せてあると、その説は正しいと思い、信憑性を感じてしまうからだ。
私は、これは、雑誌「フットボリスタ」の戦略だと思っている。 
編集長、浅野賀一による商売上の戦略だと思っている。
そして、雑誌「フットボリスタ」は、それらの外国人の著作を翻訳した本を出版している。
また、西部謙司、結城康平など、日本人評論家たちは、それらの外国人と同じ考えの本を出版しているのである。

ここでポイントなのは、これらの会社、雑誌は、「サッカー界で、新しい戦術は出てない」とか、
「その戦術は、30年前からある」とか、そういう海外のサッカー評論家は、決して紹介しないのだ。
私は、このブログで何回も説明しているが、西部謙司、結城康平らが使う、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」などのサッカー戦術用語は、海外のスポーツ新聞を読んでも、ろくに使用されていないのだ。
そして、海外のスポーツ新聞の読者投稿欄を読んでも、サッカー・ファンが、それらの言葉を駆使して議論している光景は目にしない。
つまり、これらの言葉は、世界でろくに普及していないのだ。
そして、「ポジショナルプレー」という戦術は、1980年代後半、ヨハン・クライフという監督が、既にやっているのだ。
だから、全然、新しくないのである。
クライフは、1980年代後半、FCバルセロナの監督だった。そして、その時、ジョゼップ・グアルディオラは、このチームの選手だったのだ。
そして、現在、グアルディオラは自分が監督になって、1980年代にクライフがやっていた事を、真似してやっているのである。
だから、スペイン・サッカー界における大物サッカー評論家、ホルヘ・バルダーノは、
「グアルディオラは、クライフが作ったモノをやっているだけだ」と評論している。
実に、素っ気ない回答をしているのだ。
それにも関わらず、日本のマスコミというのは、西部謙司、結城康平らを筆頭に、「現在は、サッカー界は、戦術が進歩している」、「グアルディオラは革命家」とか、そんな言葉を駆使して、日本のサッカー・ファンを煽りに煽っているのだ。
ちなみに、この西部謙司、結城康平というサッカー評論家たちは、「ポジショナルプレー」についての本を、既に出版している。
つまり、この2人にとっては、「ポジショナルプレー」という戦術に、日本人が関心を持ってくれると、自分の本が売れるのである。
だから、この2人は、世界で「ポジショナルプレー」という戦術用語に関して、認知度が低いとか、海外のスポーツ新聞でろくに使用されていないという状態であっても、それらの説明は、日本人サッカー・ファンに誠実に行うことを拒否しているのである。
彼らは、前置きとして「日本人読者の皆さん、これらの戦術用語は、世界でろくに使われていません」というような説明はしないのである。
そして、雑誌「フットボリスタ」も同じ考えで、「日本人サッカー・ファンが新戦術があると思ってもらった方が、自分達は儲かる」と思っているのである。
それ故、彼らは「正確な情報を伝える」という姿勢は捨てて、お構いなしに活動しているのである。
 私は、これが、本当に酷いと思う。
私が、最近、酷いと思ったことは、西部謙司が、「ポジショナル・プレーが標準装備された世界で日本代表は何で『違い』を作るべきか?」と題して、コラムを書いていたのを見つけた事である。
そして、コラム内では、以下のように書いているのだ。
「ヨーロッパの予選のほうも強豪国中心にサラサラっと見ましたが、だいたい予想どおりといいますか、びっくりするような変化はなかったと思います。いわゆるポジショナル・プレーの考え方はどこも入っていますね。ただ、クラブチームほど練られていないのも同じ。スペインがちょっと退化している感じだったのは少々驚きでしたが。」
と書いているのだ。

 私は、前回のブログで紹介したが、スペインの戦術分析サイトでは、「現在、スペイン代表は、ポジショナルプレーをやっていない」と説明されているのだ。
 そして、私は、スカパーの無料放送の時、ジョゼップ・グアルディオラの1時間以上ある長時間のインタビュー番組を見た。
 そこで、グアルディオラは、「代表チームでは、ポジショナルプレーをやるのは、練習する時間が多く取れないので難しい」と話していた。
 つまり、代表チームでは、「ポジショナルプレー」という戦術は、やりづらいのだ。
 一緒に活動する期間が短いので、こういう「マニュアル戦術」、「決まりごとの多い戦術」を行うのは困難なのである。
 それにも関わらず、西部謙司は、日本人サッカー・ファンに向けて、『ポジショナルプレーが標準装備された世界』と言って、現在のサッカー界を説明しているのだ。
私は、これが、酷いと思っている。
 雑誌「フットボリスタ」に関係するサッカー評論家たちは、皆、こんな感じである。
 私は、こいつらが、現実と違うことを述べて、「『ポジショナルプレー』が世界的に大きなブームを起こしている」とでもいう感じで、日本人サッカー・ファンに伝えるのが、本当に酷いと思っている。

 という訳で、これが、私が今回のブログで言いたかった事である。
 前回のブログで、私は、藤坂ガルシア千鶴というサッカー記者が、「フェルナンド・ガゴ監督が、ポジショナルプレーをやっている」と、ツイッターで日本人サッカー・ファンに説明していることの間違いを指摘した。
 そして、私は、最近、西部謙司が、藤坂ガルシア千鶴と同じように、「ポジショナルプレー」という戦術について日本人を煽っているのを見たので、またこのブログでそれを酷いと指摘したのである。

 私は、今回、これらの酷い光景を見て、この酷い商売は、日本では、この先、ずっと続くのだろうと思った。
 私は、本当にこいつらが、「日本人サッカー・ファンにウソを言って煽って、自分の本を買わせようとする」という姿勢には、一切、変化がないという事を知った。
 私は、自分のブログの読者の皆様だけでも、日本のこの酷いマスコミの状態を知って頂きたいと思います。

  それでは、皆さん、さようなら。



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