<< サッカーの授業。 >>
【 50年以上、日本のマスコミ、サッカー評論家、当時の代表選手達が協力して、日本国民に隠している秘密。
今年も、こいつらは隠すのか? 日本国民をだますのか?
なぜ、日本のマスコミ、評論家、当時の日本代表選手達は、
「昔のオリンピックは、レベルが低かった。他の国の大会参加選手は、下部組織に居た選手だった」という真実を、日本国民に正直に伝えないのか? 】
「昔のオリンピックは、レベルが低かった。他の国の大会参加選手は、下部組織に居た選手だった」という真実を、日本国民に正直に伝えないのか? 】
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【 釜本邦茂らの日本代表が参加した、「1968年のメキシコ・オリンピックに参加した強豪国の出場選手の年齢リスト」を紹介する。
どうして日本は、この大会の試合を国際Aマッチにするんだ? 明らかに、その行為は、おかしいだろ!!。
どうして日本は、この大会の試合を国際Aマッチにするんだ? 明らかに、その行為は、おかしいだろ!!。
サッカー評論家、後藤健生の「昔のオリンピックに関する説明」の酷さ。】
今年、日本国で、東京オリンピックが開催される。
私は、数年前から、このブログで、
「1968年、日本代表チームが銅メダルを獲得した大会は、レベルの低い大会だった。他の国の出場選手は、下部組織に居る選手だった。プロ契約を勝ち取れないので、アマチュア選手の状態だった。
外国のチームは、そのような選手達で作られた代表チームだった。
外国のチームは、そのような選手達で作られた代表チームだった。
だから、レベルの低い大会だった。日本代表チームが銅メダルを取ったのは、大した価値はない」という事を伝えている。
そして、
「FIFA(国際サッカー連盟)が、1999年に『1960年代以降のオリンピックは国際Aマッチの大会として認めない』という声明を出した」という事も伝えている。
そして、
「FIFA(国際サッカー連盟)が、1999年に『1960年代以降のオリンピックは国際Aマッチの大会として認めない』という声明を出した」という事も伝えている。
私は、このブログを開設して、延べ人数で1万人ぐらい訪問している。だから、この事実が日本社会に広まると思っていた。
そして、私のブログを読んだ日本のサッカー評論家、アナウンサー、サッカー雑誌の製作者などが、正直に日本国民にこの事実を伝えるだろうと予想していた。
しかし、私の予想と違い、依然として、誰一人として
「1968年、日本代表チームが銅メダルを獲得した大会は、レベルの低い大会だった」とか、
「外国のチームの出場選手は、下部組織に居た選手達だった」、
「FIFAは、この大会を国際Aマッチの大会と認めていない」など、
そういう真実を日本国民に伝えないのである。
「1968年、日本代表チームが銅メダルを獲得した大会は、レベルの低い大会だった」とか、
「外国のチームの出場選手は、下部組織に居た選手達だった」、
「FIFAは、この大会を国際Aマッチの大会と認めていない」など、
そういう真実を日本国民に伝えないのである。
私は、その他にこのブログで、当時の日本代表チームは、大会直前に「11連敗」をした。
この11連敗という記録は、サッカー日本代表チームの「史上最多連敗記録」であるという事も説明している。
この11連敗という記録は、サッカー日本代表チームの「史上最多連敗記録」であるという事も説明している。
この記録は、53年経っても、未だに破られていない記録である。
ちなみに、この「最悪の連敗記録」を作った時の日本代表チームのフォワードは、釜本邦茂である。
また、釜本邦茂 と 日本サッカー協会は、オリンピックでの得点を国際Aマッチに勝手に集計して釜本の得点記録を増やした。
本来は、FIFA基準では、三浦知良が、55得点で日本1位である。
しかし、釜本邦茂は、自分が2位になるのが嫌なので、勝手にJFA基準(日本サッカー協会基準)というのを作った。そして、自分の得点を22点も増量した。
これにより、自分を1位にした。
私は、以上のような事も、このブログで伝えている。
しかし、日本のマスコミ、サッカー評論家、アナウンサーは、誰一人として、このような真実を、日本のサッカー・ファンに伝えようとしないのだ。
現在、ユーチューブという新しいメディアが出来て、日本のサッカー評論家、アナウンサーなどが、連日、話している。しかし、誰一人として、昔のオリンピックの実態について本当の事を語らない。
そして、当時の銅メダルを獲得した日本代表チームの選手達も、誰一人として「昔の大会のレベルの低さ。参加選手の年齢の低さ」を話さない。
という訳で、私は、この状態は異常だと思っている。
今年、日本で東京オリンピックが開催される。
私は、今年、日本で開催されても、今まで通り、日本のマスコミ、評論家、アナウンサー、当時の選手達は、真実を話さず、実態を隠して「正しい歴史」を日本国民に紹介することを拒否するのだろうか? と思っている。
私は、今年、日本で開催されても、今まで通り、日本のマスコミ、評論家、アナウンサー、当時の選手達は、真実を話さず、実態を隠して「正しい歴史」を日本国民に紹介することを拒否するのだろうか? と思っている。
現在の感じだと、どうやら今年も日本のマスコミの連中は、日本国民に真実を隠し、色々な酷いことも隠して、釜本邦茂らを持ち上げるサッカー記事・番組などを製作するようである。
私は、これが本当に酷いと思っている。
「真実」を伝えることを拒否している時点で、マスコミとしての役割を放棄しているのではないか? と思う。
私は、国民に本当のことを伝えないのは、国民にとって不幸だと思う。
日本のマスコミは、53年間も隠し続けているのだから、本当に酷い話である。
サッカー評論家で、後藤健生という人が居る。この男は、「JFA基準」(日本サッカー協会基準)というモノを作成したメンバーの1人である。
「日本サッカー協会による独自基準」を作成したメンバー6人の内の1人である。
つまり、後藤は、「釜本邦茂の日本代表の得点数増加」を手助けした人物である
この人物は、2021年、4月15日に、「スポルティーバ」というメディアで配信したコラムで、1960年代、釜本邦茂が参加したオリンピックについて以下のように、日本人サッカー・ファンに説明をしている。
「当時のオリンピックは年齢制限のないフル代表によるAマッチだった」と書いている。
これだけで、当時のオリンピック参加選手の実態に関する説明を終わりにしている。
この後藤健生というサッカー評論家は、当時のオリンピックに出場している選手たちが、「非常に若い」、「下部組織に居た選手ばかり」という真実を説明していない。説明する事を避けている。
そして、釜本邦茂が偉大に見えるよう、現在のJFA基準が正当であると思わせる為に、上記のような文言を書いたのである。
そして、釜本邦茂が偉大に見えるよう、現在のJFA基準が正当であると思わせる為に、上記のような文言を書いたのである。
「年齢制限が無い」と言ったって、明らかに他の国の多くは、下部組織に居た選手ばかり出場していた。だから、後藤のその説明は、「まやかし」、「虚仮 (こけ)」である。
しかし、この後藤健生というサッカー評論家は、多くの日本人サッカー・ファン、日本国民をだましたいので、上記のような文言を書き、これだけで、当時のオリンピックの説明を済ましているのである。
【 釜本邦茂らの日本代表が参加した、「1968年のメキシコ・オリンピックに参加した強豪国の出場選手の年齢リスト」を紹介する。】
私は、日本サッカー協会が、「1968年のメキシコ・オリンピックの一部の試合を、国際Aマッチとして認めている事」を批判している。
その理由は、上述したが、この大会に参加している選手たちは、強豪国ではその多くは下部組織に在籍していた選手だったからだ。プロ契約を勝ち取れず、アマチュアの状態だったので参加している選手たちだった。この中には、その後、プロになれずに引退している選手も居た。
注: 外国のオリンピック出場選手の中には、「プロの1部リーグの試合に出場している選手」も居ました。例えば、ブラジル代表です。
このような選手達は、「次のオリンピックまでは、プロ契約せずアマチュア状態である」と宣言していました。
オリンピックに出場する為に、「アマチュア状態のまま、プロのリーグ戦に参加する」という事をしていました。
大体、「下部組織から1軍デビューして、オリンピックが開催される年の1年だけアマチュア状態」という感じでした。
「オリンピックに出場する為に、その何年も前からずっとアマチュア状態で居る」というのは、さすがに経済的に得ではありません。
だから、「オリンピックに出場する為に、1年だけアマチュア選手。そして、オリンピックが終わったらプロ契約する」という感じでした。
そして、20代中頃、20代後半で参加した選手たちは、下部組織に在籍していなかった。
注: 外国のオリンピック出場選手の中には、「プロの1部リーグの試合に出場している選手」も居ました。例えば、ブラジル代表です。
このような選手達は、「次のオリンピックまでは、プロ契約せずアマチュア状態である」と宣言していました。
オリンピックに出場する為に、「アマチュア状態のまま、プロのリーグ戦に参加する」という事をしていました。
大体、「下部組織から1軍デビューして、オリンピックが開催される年の1年だけアマチュア状態」という感じでした。
「オリンピックに出場する為に、その何年も前からずっとアマチュア状態で居る」というのは、さすがに経済的に得ではありません。
だから、「オリンピックに出場する為に、1年だけアマチュア選手。そして、オリンピックが終わったらプロ契約する」という感じでした。
そして、20代中頃、20代後半で参加した選手たちは、下部組織に在籍していなかった。
しかし、彼らは、「アマチュア選手」だった。プロ・リーグより下のアマチュア・リーグのチームに在籍している選手達だった。主に3部リーグなどに所属している選手たちだった。3部だとプロ契約できない人ばかりなのだ。
例を挙げると、当時のスペイン代表、フランス代表の20代中頃以上の年齢の選手たちは、3部リーグのチームに所属していた選手だった。
フランス代表は、「下部組織在籍の若い選手と3部リーグに居た25才以上のアマチュア選手の混合チーム」だった。
日本は、1968年のメキシコ・オリンピックでフランス、スペインと対戦しました。それぞれ決勝トーナメントの準々決勝、グループステージで対戦をしました。
注:日本サッカー協会は、フランス、スペインとの試合を国際Aマッチ扱いにしていません。
オリンピック本大会では、アフリカの国との試合のみを国際Aマッチ扱いにしています。
そして、アジア予選では、全ての試合を国際Aマッチ扱いにしています。
この大会でスペイン代表に27才の選手が居ました。イシドロ・サラ(Isidro Sala:ジノーラFC、所属)という選手です。チーム最年長です。
下記の表に載っています。
私がこの選手について調べたら、3部リーグのチームに所属している選手でした。
恐らく、スペインは当時、3部リーグはアマチュア・リーグだったと推測されます。
つまり、スペインもフランスと同様に「下部組織に居た若い選手と3部リーグのアマチュア選手を組み合わせたチーム」でした。
例を挙げると、当時のスペイン代表、フランス代表の20代中頃以上の年齢の選手たちは、3部リーグのチームに所属していた選手だった。
フランス代表は、「下部組織在籍の若い選手と3部リーグに居た25才以上のアマチュア選手の混合チーム」だった。
日本は、1968年のメキシコ・オリンピックでフランス、スペインと対戦しました。それぞれ決勝トーナメントの準々決勝、グループステージで対戦をしました。
注:日本サッカー協会は、フランス、スペインとの試合を国際Aマッチ扱いにしていません。
オリンピック本大会では、アフリカの国との試合のみを国際Aマッチ扱いにしています。
そして、アジア予選では、全ての試合を国際Aマッチ扱いにしています。
この大会でスペイン代表に27才の選手が居ました。イシドロ・サラ(Isidro Sala:ジノーラFC、所属)という選手です。チーム最年長です。
下記の表に載っています。
私がこの選手について調べたら、3部リーグのチームに所属している選手でした。
恐らく、スペインは当時、3部リーグはアマチュア・リーグだったと推測されます。
つまり、スペインもフランスと同様に「下部組織に居た若い選手と3部リーグのアマチュア選手を組み合わせたチーム」でした。
このように大会に参加しているチームが、日本以外は、ほぼどこの国もベスト・メンバーではないと思われます。
唯一、ナイジェリア代表は、ベスト・メンバーを用意した可能性があります。
しかし、これについては詳しく調べない限り、分かりません。
繰り返しますが、この大会は、ほぼ全ての国が、選出した選手に関して本気ではありませんでした。
「国際Aマッチであるかどうか?」という基準は、「本気度」です。
本気度で考えると、この大会は、あまりにも多くの国がベスト・メンバーを用意していません。
唯一、ナイジェリア代表は、ベスト・メンバーを用意した可能性があります。
しかし、これについては詳しく調べない限り、分かりません。
繰り返しますが、この大会は、ほぼ全ての国が、選出した選手に関して本気ではありませんでした。
「国際Aマッチであるかどうか?」という基準は、「本気度」です。
本気度で考えると、この大会は、あまりにも多くの国がベスト・メンバーを用意していません。
故に、私は、「1968年のメキシコ・オリンピックの試合は、国際Aマッチの大会と認めるべきではない」という考えを主張している。
現在のオリンピックは、「23才以下が出場資格」である。その為、現在のオリンピックは、「国際Aマッチと認められていない大会」である。
昔のオリンピックは、同じく若い選手ばかり出場していた。だから、FIFA基準では、それが理由で国際Aマッチと認められていない。
また、上述したように若くなくて参加した選手たちは、3部リーグに所属していた選手たちだった。彼らのレベルは、A代表のレベルでは全くなかった。
以上の事を考えると、私は、釜本邦茂らが出場した昔のオリンピックとその予選(1960~80年代開催)は、国際Aマッチの大会だと認めるべきではないと考える。
また、上述したように若くなくて参加した選手たちは、3部リーグに所属していた選手たちだった。彼らのレベルは、A代表のレベルでは全くなかった。
以上の事を考えると、私は、釜本邦茂らが出場した昔のオリンピックとその予選(1960~80年代開催)は、国際Aマッチの大会だと認めるべきではないと考える。
そして現在、日本サッカー協会が、独自基準を作って、昔のオリンピックの試合を「国際Aマッチ扱い」をしている事は、おかしいと指摘しているのだ。
それに加え、私は、日本サッカー協会が、現在、釜本邦茂がオリンピックで決めた得点を、「国際Aマッチ扱い」 にして集計している事は、「明らかにおかしい」として批判している。
私のブログの読者の皆様は、これから私が紹介する、1968年のメキシコ・オリンピックに参加した強豪国の選手年齢リストを見て欲しい。
どこの国も、大体、20才前後である。
皆さんは、こんな若い選手ばかりの大会を、「日本が、国際Aマッチの大会と認めている」のは、おかしいと思うだろう。
皆さんは、こんな若い選手ばかりの大会を、「日本が、国際Aマッチの大会と認めている」のは、おかしいと思うだろう。
以下が、「1968年のメキシコ・オリンピックの強豪国の参加選手リスト」である。











