「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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カテゴリ: 日本マスコミの酷さ



日本には、最近まで、大橋巨泉という芸能人が居た。 
カテゴリーで言うと、彼は、芸能界では、「司会者」 という仕事をしていた。
私は、この男がとても嫌いであったが、1つだけ感銘を受けたことがある。
それは、この男が、ラジオ番組に出演している時に聞いたコメントである。
以下が、その時の巨泉の発言である。

「アメリカでは、芸能人のゴシップで金儲けするのは、低俗な会社がやる仕事だ。
しかし、日本では、高尚な本を出版している会社が、芸能人のゴシップ、女性のヌードが載っている雑誌を発行して商売をしている。
小学館が、子供の教材の本を売ると同時に、週刊ポストを売っている。
新潮社、文藝春秋などは小説を売っているが、週刊文春、週刊新潮などのゴシップの本を売っている。
パナソニックは、世界的な電機会社だけど、『女性の性器具のバイブ』 は作らないでしょ。
日本のマスコミの会社は、恥を知らない。」
と述べていた。

私は、これを聞き、本当にそうだと思った。
日本のマスコミというのは、大手の出版社が、教科書や高尚な教養本を販売すると同時に、一方で芸能人のゴシップ本を売ることにも熱心である。
芸能人の私生活を見張ったり、周辺から情報を聞き取りしたりと、実に低俗なことをやっているのである。

私は、これは、「スポーツ新聞」 にも感じる。
日本のスポーツ新聞というのは、「芸能界情報」が、どこの新聞にも必ず載っている。
そして、日本人は頭がおかしいのか、「スポーツ新聞」と看板を掲げて活動しているにも関わらず、スポーツ新聞の一面が芸能人の話題にすることは、普通である。
日本人は、これを異常だと思わないようだが、普通の国ではまず起きないことである。
また、日本のスポーツ新聞は、私は今はどうなっているか知らないが、20世紀は、店で売られているスポーツ新聞には「猥褻 (わいせつ)情報」が必ず掲載されていた。
「ソープ・ランドなどの性風俗店の紹介情報」、「風俗嬢のインタビュー」、「エロ漫画」、「女性のヌード写真」、「新作のアダルト・ビデオの紹介情報」、「AV女優のインタビュー」などが、毎日、掲載されていた。
私は、海外旅行した際、サッカーの強豪国でスポーツ新聞を買ったことがあるが、日本のような状態では、全くない。
スポーツ新聞なので、新聞の一面は、毎日、スポーツ選手が飾っている。
また、中身を見ても、芸能界情報など載っていない。
また、「性風俗店の紹介情報」とか、「性風俗嬢、ポルノ女優のインタビュー」などは、一切、載っていない。

私は、以上のような事を考えると、日本のマスコミで仕事をしている人間たちは、とても下品だと思う。
恐らく、日本のマスコミは、「世界一、下品」だろう。
私は、日本国民がこのことに関して、意識が全くないように思う。
私は、大橋巨泉が指摘したような視点を、日本国民は全く持っていないと思っている。
つまり、日本のマスコミというのは、「儲かればいい」という極めて単純な思考の下、活動を続けている。
「私達は、小学生に教材を販売している会社なのだから、芸能人のゴシップなどの本を売る商売は止めよう。芸能人の私生活を探る為に、探偵のように見張りをする人間を雇って、そして芸能人の写真を撮って売るのは止めよう」
とか、
「俺たちはスポーツ新聞なのだから、新聞の一面は、スポーツ選手を載せよう。
芸能人が事件を起こしたり、結婚したりした日は、その芸能人を一面に載せた方が新聞が売れるかも知れないが、俺たちはスポーツ新聞である。スポーツ業界の繁栄の為に存在しているのだから、芸能界を特集した方が新聞の売れ行きが伸びるからと言って、そんな事をするのは止めよう」
とか、
「俺たちは、スポーツ新聞なのだから、新聞の中に『猥褻 (わいせつ)情報』 を載せるのは止めよう。そもそもスポーツは神事なのだから、『猥褻』 な情報を載せるのは、不謹慎だろう。性風俗店の紹介とか、ポルノ女優のヌードとかインタビューを載せるのは止めよう」
とか、そういうことは、日本人は思わないのである。
そして日本人は、なんと戦後、50年以上、こういうことをやり続けているのだ。
現在、21世紀であり、2020年になっているが、日本人の品性が上昇することはない。
私は、本当に日本人は酷いと思っている。
しかし、このような日本人であるが、「自分達は、先進国だ」 、「自分達は、モラルが高い」 、「自分達は、上品な民族だ」とか、そういう自己イメージを持っているのである。
私は、そこが非常に不思議である。
私は、日本のマスコミほど、下品な人間が多い国は、無いのではないかと思う。
つまり、いわゆる 「エリート」と言われるような大手のマスコミに務める人間が、恥も知らず、「ゴシップ情報」の分野は儲かるので、どんどん自分の雑誌・新聞に載せるという行為を構わずやるのだ。 
これらゴシップ情報は、他の国では、「エリート」ではなく、低俗な人間、低俗な会社がやる仕事である。
しかし、日本の場合は、誰もが、「金 (カネ)になる」という事で、構わずやっているのだ。
私は、本当に日本人は、どうしようもないと思う。
そして、大橋巨泉のように「お前ら、下品だ」 と大手のマスコミの会社に対して、誰も指摘せず、批判しないことが、本当におかしいと思う。


 それでは、皆さん、さようなら。



私は、インターネットを使って海外のスポーツ新聞、雑誌を読んでいる。
長年、おかしいと思っている事がある。
それは、海外のスポーツ新聞、雑誌では、記事に対して「読者がページをクリックするシステムがない」 という事である。
しかし、日本のニュース記事は、「ヤフー・ニュース」 にしても、他の雑誌が運営しているサイトにしても、「読者が、ページをクリックしないと全部、読めない」 というシステム (構造) になっている。
海外のスポーツ新聞は、私のブログのように、長文であっても、ずっと下まで延々と書かれているだけである。
そこには、読者がページをクリックする手間はないのだ。
だから、読者は読み易い。ただ下にスクロールすればいいだけである。
しかし、日本は違うのだ。
日本の場合、ほとんどの記事が何ページにも分かれていて、読者がクリックしないといけない構造になっている。
私の推測だと、このようなシステムになっている理由は、恐らくページを最後まで読んだかどうかで、その記事の人気の度合いを計測できるようにしているのだと思う。
 
私は、「ブラジルのヤフー・ニュース」というのを見に行った。
すると、ブラジルの 「ヤフー・ニュース」は、日本のような 「ページ」がないのだ。
読者に対して、そういう手間を要求していない。だから、とても読み易い。
つまり、日本 と ブラジルで「同じヤフー・ニュース」だが、日本人は気持ち悪く性格が悪いので、読者がわざと読みづらくなるシステムにしているのだ。
日本人は汚いので、わざとそういう世界では行わないシステムを発明して、それを常識のようにほとんどの新聞、雑誌でも、ヤフー・ニュースと同じくそれをやっているという訳である。
私は、このような状態を見て、「本当に日本人は気持ち悪い民族だ」と思ったのだ。
世界の人が行わない、「読者を不快にさせるシステム」をわざわざ作り、どこの会社もそれを常識として行っているのだ。
私は、雑誌「ナンバー」というクソ雑誌のサイトに行った。
すると、ヤフー・ニュースと同じく、クリックしないと全文を読めないシステムであった。
それ故、私はクリックするのが面倒くさくなり、記事を読むのを放棄した。
 
日本のテレビを見ると、「良いところでCM (コマーシャル)を入れる」というのをやる。
これを全局、当然のようにやっている。
恐らく、日本人は、これを50年以上、やっているだろう。
私は、海外旅行した際、現地のテレビ番組を見る。
私は、「未だかつて、日本よりコマーシャルの入れ方の酷い国を知らない」。
私より海外旅行経験が豊富な人は、「日本より酷い国はあるよ」と言うかも知れないが、私の経験の範囲では、日本より酷い国は、まだ見たことがない。
私は、この日本のテレビ業界のコマーシャルの入れ方の酷さと、インターネット時代になり、ニュース記事で「クリックしないと全文、読めない」という酷さは、とても似ている気がするのだ。
どちらも視聴者、読者の立場に立って考えていない。
「どちらも情報を発信する側が傲慢であり、情報を受け取る側が不快な思いをしても、そんなことは知るかよ」という精神性に溢れている。
私は、これが日本人という民族の本性なのだと思う。
世界の人は、「こんなことをやったら、情報を受け取る側が不快な思いをする。だから、こんなことは止めよう」と思う。
しかし、日本人の場合は、その倫理的スイッチがないのである。
「読者、受け手が不快な思いなんかしても知らねーよ。」というのが、日本人の考えである。
テレビ時代になっても、インターネット時代になっても、日本人は変わらない。
日本人は、相変わらず酷い。
私は、日本人という民族が、どうしていつも「自己イメージ」が良いのか不思議である。
私は、日本人しかやっていないような醜い行為というのがあると思うが、日本人は、それに関して、都合良く無視して、「我々は、善良な民族だ」という 「自己イメージ」を形成している。
私は、日本人は、そういう気持ち悪い面を持っていると思っている。
私は、その日本人の体質に、結構、驚いている。


 それでは、皆さん、さようなら。

【 ニュース・キャスター、久米宏は、偉大だった。】

ニュース・キャスターで、久米宏という人物が居る。
彼は、現在、もうニュース番組の司会者を引退している。
久米宏は、1980年代後半から2000年代前半まで、テレビ朝日で、「ニュース・ステーション」というニュース番組の司会者を務めていた。
私は、今、思うに久米宏は偉大だったと思う。
と言うのは、現在のマスコミ連中が、2010年代に、自民党、安倍晋三政権に対して行った批判の甘さ、緩さというのが、目に余るモノだったからである。
安倍晋三が酷いことをやっていても追及が甘く、安倍ら悪徳政治家たちが増長するだけであった。
安倍らは、「公文書の書き変え」を官僚に指示した。その結果、兵庫県の役人は自殺をした。
赤木俊夫さん(享年 54)は、理不尽な命令に対して苦悩して、その結果、精神に異常をきたして自殺をした。
私は、この事件は本当に酷いと思っている。
そして、現在、日本国民がこの件に関心を持たず、安倍ら政治家に対して、質問、批判を一切、止めて「忘却状態」になっているのが、もっと酷いと思っている。
結局、この事件は、「誰が『公文書の書き変え』を指示したのか?」という点については、未だに不明である。マスコミがしつこく追及するのを放棄したので、真相は不明という状態で終わっている。
私は、この事件は政権が終了する程の酷い事件だと思っていたが、結局、日本のマスコミの追求が甘く、マスコミに携わる人間が「正義感不足」なので、安倍は追及から逃れて仕事を続けることが出来た。
つまり、私は、安倍政権が長期政権を築けたのは、日本のマスコミ連中のレベルの低さが大きく関係していたと思うのである。

1990年代前半、自民党は、政権を失った。
私は、これは当時、「ニュース・ステーション」のキャスターだった久米宏の活躍が大きかったと思う。
久米宏は、自民党の腐敗政治を番組で批判していた。
私は、久米のその鋭い批判が、「自民党が政権を失う」という事態まで持って行けたと思っている。
私は、2010年代に、久米宏が引き続き、ニュース番組の司会者をやっていたら、自民党、安倍晋三政権というのは、ここまで延命をしなかったし、選挙でもここまで勝利しなかったと思っている。
私は、現在のテレビ局でニュース番組の司会をやっている人間の顔を見ても、そこには、「正義心にかられて」とか、「何としてでも日本を良くする為に、危険でも意見を言う」、「悪を懲らしめる為に、しつこく追及をする執念」など、そういうモノを全然、感じない。
私には、「ええとこのぼっちゃん」が偏差値の高い大学を出てアナウンサーになって、「面倒なことを犯さず、給料を貰えればそれでいい」というような正義心の欠落した低い精神性があることしか感じない。

私は、政治というのは、「マスコミの連中が、危険でも勇気を持って政権批判をする」という姿勢がなければ、「悪政がはびこる」と思っている。
現在、自民党が長期政権を築いていることに関して、その理由は、「野党が情けないからだ」という人が居る。
私は、その意見は正しいと思う。
しかし私は、更に、
「マスコミの連中が、昔に比べて劣化している。国民の為、国の為に、危険であっても勇気を持って批判する」という姿勢に欠けていることが大きいと思う。


現在、日本の総理大臣は、菅 義偉(すが よしひで)になった。
菅は、「森友学園の公文書、書き変え事件」に関係している。
菅は、安倍晋三政権で、官房長官を務めていた。
しかし、日本のマスコミが、菅に向かって、「文書の書き変えが指示され、パワハラ殺人が行われた」
という事について、質問する人間は居ない。
菅に対して、「この事件について、国民に対してきちんと説明しろ」というマスコミの人間は、1人も居ない。
私は、赤木俊夫さんの死を、無念を無駄にしてはいけないと思う。
私は、この追及をしないという事は、赤木さんを犬死にさせたのと同じだと思っている。
私は、私以外の日本国民のほぼ100パーセントが、この件に関して、もう忘却状態にして、菅義偉に対して、何も批判しないことが恐ろしいと思っている。
日本人には、正義心があるのか? と思っている。
恐らく、日本人は、「自分は、赤木俊夫氏のような状態に追い込まれる可能性はない」として、赤木氏が自殺した事件について深く考えていないのだと思う。
私は、その日本人の無関心さは問題であり、社会の退化であり、人間性の劣化だと思っている。

それでは、皆さん、さようなら。



私は、時折、NHK-BSで海外リーグの試合を見る。
その際のNHKのテロップの入れ方が酷い。
サッカー界において、対戦する2チームのチーム名をテロップで入れる場合、
左側に「ホーム・チーム」、右側に「アウェー・チーム」を入れるのが常識である。

世界中、そのテロップ表示で放送している。
しかし、NHKの場合、この常識を守らないのである。
NHKのテロップ表示のやり方というのは、
現在、左側に陣地を取っているチームの名前を左側に表示し、
   右側に陣地を取っているチームの名前は右側に表示する。
そして、後半になってサイドが変わると、
その表示を逆にするという仕方を取っているのである。
私は、NHKがなんでこんな事をしているのか分からない。
恐らく、サッカーのド素人が試合を見る場合、そちらの表示の仕方が分かり易いという事で、この方法を取っているのかも知れない。
しかし、普通のサッカー・ファンからすると、このやり方をやられると、逆に混乱するのである。
「えっ、確かこのスタジアムって、このチームのホーム・スタジアムだよな。なんでチーム名が右に書いてあるんだ?」
という疑問・気持ちに何度となくさせられるのである。
という訳で、私の結論は、NHKは直ちに、このアホなテロップの入れ方を止めて、世界と同じ方法を採れという事である。
NHKに勤める人間は、相当バカらしく、
「世界でその方法で成り立っているならば、日本人もその表示方法が分かるだろう」という思考には至らないようである。
NHKというのは、そこまで日本人をバカだと思っているのだろうか?


 
 それでは、皆さん、さようなら。




私は、日本の民放のサッカー中継を見ると、不必要なテロップが多いので、本当に不愉快に思い、怒っている。
私は、海外のテレビ局が中継している試合を見ることがあるが、日本のテレビ局のようなテロップの入れ方は、決してしない。
外国は、実にシンプルで、テロップを入れることを必要最小限に留めている。
しかし、日本人はバカなので、「視聴率を上げたい」という欲から、テレビのチャンネルを合わせた人や、「にわか」ファンが状況をすぐ分かるように試合の画面に「キャッチ・コピー」みたいなテロップを入れている。
例えば、今年の高校女子サッカーでは、確か「『2年前の優勝校』  対 『古豪』」というようなテロップが、画面の右上に試合中、ずっと表示されたまま放送されていた。
私は試合を見ていて、この表示が本当に邪魔だと思い、ずっと不快感を抱えたまま試合を見ていた。
「そんなモノは、時折、アナウンサーが口で説明すれば良いだろ」、
「そんなモノは、試合前にアナウンサーが説明しておけば良いだろ」
と思いながら見ていた。
私は、日本人の多くは、このテロップの異常表示、過剰表示とでもいう日本のテレビ局の行為に対して、「海外ではやってない」という事を知らないのではないか? と思う。
そして、それを知っていて不愉快に思っている人間は、なぜ我慢するのか?と思う。
この日本のテレビ局の行為は、本当に酷い。
私は、昨年、日本テレビ(NTV)が中継を担当した、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を見ていた。
そうしたら日本テレビは、「世界一が決まる」という決勝戦の試合中に、「自社の他の番組の宣伝テロップ」を何回も表示したのである。
他のサッカー関連番組とか、他のバラエティー番組の宣伝テロップである。
私は本当に腹が立った。
この会社は、「クラブ・ワールドカップ」の決勝戦を、
「芸術作品を保存するか如く、録画してコレクションにしようと思っている」
というサッカー・ファンが居ることを考えないのだろうか?
と思った。
また「歴史的試合」であるこの映像に、くだらん番組宣伝テロップを入れる事に、「恐れ」とか、「恥ずかしさ」はないのだろうか?
と思った。
私がテレビ局スタッフならば、「有名な歴史的な傑作絵画に自分が筆を入れて汚している」という気分になり、恐れ多くてとてもできない。だから、なぜこいつらは、こんな事が平気でできるのだろうか?と思って不思議で仕方なかった。
やはり日本人というのはバカなのだろうか?
そうとでも結論しないと、こいつらの思考は理解できない。これは、バカでないとできない行動である。
という訳で、それに怒らない日本人もかなりバカだと思う。
という訳で、私は、日本人は全体的にバカだという結論に達した。


  それでは、皆さん、さようなら。

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