私は、海外のスポーツ新聞を読む。
そして、海外のサッカー記者がツイッターで、「サッカー本を出版した」というニュースを発信しているのを見る事がある。それは、大体、「歴史本」がほとんどである。「名選手の伝記」とか、「クラブ史」とか、そういう本ばっかりである。
一方、日本は、サッカーの戦術本、指導書の出版が多い。
私が本屋に行くと、サッカー・コーナーは、戦術本、指導書だらけである。
私は、これが、海外と日本で大きく違う所だと思っている。
私は、日本には、「新戦術詐欺商売」というモノが存在していると思っている。
これは、主に結城康平、浅野賀一、西部謙司の3人によって展開されている。
雑誌で言うと、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「ナンバー」、雑誌「ワールド・サッカー・ダイジェスト」、雑誌「スポルティーバ」、出版社名で言うと、「カンゼン」、「ソル・メディア」、「日本スポーツ企画出版社」、「文藝春秋」、「集英社」という出版社によって行われている。
こいつらの手法というのは、まず海外のサッカー評論家で、「戦術は進歩している」、「戦術は昔と大きく変わっている」という人間の意見、本を紹介する事である。
それらを翻訳したり、その評論家にインタビューした記事を、自分のメディアで紹介している。
ここでポイントなのは、「サッカーの戦術は、昔と変わっていない」、「サッカーの戦術のコンセプトは、1980年代に生まれたモノと同じだ。現在は、より洗練されているが、昔とやっている事は、ほぼ同じだ」というようなサッカー評論家の意見は、絶対に紹介しない事である。
世界には、そういう見解を述べている大御所サッカー評論家は居る。
しかし、結城康平、浅野賀一、西部謙司らは、決してそういう評論家の意見は紹介しない。
つまり、この3人は、「戦術は進化している」という海外サッカー評論家の意見を紹介して、下地を作っているのだ。
こうすることで、日本のサッカー・ファンに、「戦術は進歩しているんだ」という印象を与えるのである。
雑誌「フットボリスタ」は、一番酷く、自分のインターネット・サイトでは、「前文」として、「現在、サッカー界では、急速に戦術が進歩している」という文章を載せている。
こうする事で、まず最初から読者を煽(あお)っているのだ。
私は、このような事をする浅野賀一という編集長は、本当にろくでもない奴だと思っている。
このようにして日本人サッカー・ファンを誤解させているのだ。
そして、第2段階として、日本人サッカー評論家たちは、海外の「サッカーの戦術は進歩している」というサッカー評論家の真似をして、自分達の本を出版する訳である。
以上が、日本で行われているサッカー・マスコミの手口である。
これは、数十年と行われているモノである。だから、近年、現れた酷い話ではない。
しかし、私は、これが2010年代になって、一層、酷くなったと思っている。
私は、このような光景を見ると、日本人をだまして思想教育をして洗脳する事は、とても簡単なことなのだと実感する。
つまり、浅野賀一、結城康平、西部謙司など、極めて少数の人間による情報発信により、これだけ多くの人間がだまされてしまっているのだ。
そして、問題なのは、この浅野賀一、結城康平、西部謙司などは、非常に頑固な人間であり、「自分達の間違い思想を引っ込めることができない」、「間違っていたら素直に訂正・謝罪できない」という人間共なのである。
こいつらは、世界で流行っていない戦術用語を紹介して、「覚えるべき言葉」とよく宣伝する。
そして、それが実際は、世界で流行っていなくても、謝罪しない。一向に反省はないのだ。全くないのだ。
こいつらは、「サッカーには言語化が必要」と言って、毎年、日本人サッカー・ファンに新語を紹介している。
「ストーミング」だの、「偽サイドバック」だの、色々と新語を紹介している。
しかし、私がこのブログで以前、紹介したが、「ストーミング」という戦術用語など、世界で全然、使用されていないのだ。
それでも、こいつらは、本当にお構いなしなのである。
私は、本当にこいつらの態度というのは、酷いと思う。
西部謙司は、最近、自分のコラムで、「ポジショナルプレーが標準装備された世界」などと言い出している。現在、サッカー界では、「ポジショナルプレー」という戦術を使用しているチームは少ない。
しかし、西部謙司は、浅野賀一、結城康平らと協力して、「ポジショナルプレーは世界で流行っている」、「ポジショナルプレーは、日本人が進歩するのに必要な戦術」などと言って宣伝し続けたので、もうその主張を引っ込められないのだ。西部謙司は、頑固に強引に、現実と違うことを日本人に説明し続けているのだ。
また、結城康平は、「最新の戦術」という言葉を使い、西部と同じく新戦術詐欺商売というのをやっている。
海外のサッカー評論家は、「サッカーの歴史」を紹介する。
そして、「サッカーの戦術の歴史」も紹介する。
例えば、センターバックが、ビルトアップする行為がある。
これを日本人サッカー評論家は、「現在のセンターバックは、昔のセンターバックと違ってビルドアップもやる。進化している」などと言う。
しかし、私が海外の新聞を読むと、海外の記者は、「現在のセンターバックは、ビルドアップをする」と書いた後に、「これは、1970年代、フランツ・ベッケンバウアーが既にやっていた事です」
という一文を添えて来る。
つまり、「このプレー・スタイル、この手法・戦術は、昔からある。昔、やっていた人が居る」という説明を、いちいち注釈として添えて来るのだ。
読者が誤解しないように、きちんと説明するのだ。
しかし、日本人サッカー評論家、西部謙司、結城康平、浅野賀一らの手にかかると、「新戦術詐欺商売」を始め、「現代サッカーでは」、「現代型の選手」、「モダンなプレー・スタイル」など、そういう説明をする。酷いと、「革新的スタイル」、「今までに居ないタイプ」など、そういう紹介を行う。
つまり、海外のサッカー記者が、「昔に、こういう選手が居ました。ベッケンバウアーがこれを50年前に、既にやってました」と説明するのと大違いなのだ。
これが、日本サッカー界における現実である。
そして、このような手法をやると、無知なサッカー・ファンが、本当に、結城康平、西部謙司、浅野賀一らの説明を信じてしまうのだ。
そもそもが、日本人の多くは歴史を全く知らないので、日本のサッカー評論家たちが、「革新的」、「サッカーは進歩している」など書いて選手を説明すると、そのまま「今までにない存在だ」として信じてしまうのである。
この酷い状態が、日本サッカー界では何十年と続けられている。
そして、2010年代になって、より一層、酷くなっている。
最近では、結城康平などの「歴史を全然、勉強していない」にも関わらず、日本人サッカー・ファンに戦術を講義するというおかしなサッカー評論家が出て来た。
この手の新種のサッカー評論家が出て来た。
こいつらが、歴史を全く勉強していないにも関わらず、現代のサッカー選手を、「革新」、「今までに居ないタイプ」など、そんな文章のオンパレードで本を出版するのである。
そして上述したが、それを読んだ無知な日本人サッカー・ファンが、それをそのまま信じるという酷い事が起きている。
という訳で、日本のサッカー界は、本当にろくでもない。
海外の事情とは、大きく違う。そもそも、評論家に誠実さがない。
私は、こいつらの背後には、「煽(あお)れば、儲かる」という考えがあるとしか思えない。
受け手側が、間違った知識を身に着けても構わない。とにかく本が売れればいいと思っている雰囲気ばかりを感じる。
浅野賀一などは、その塊(かたまり)のような人間だろう。
という訳で、私のブログを読んだ数少ない人だけでも、この日本サッカー界におけるマスコミ、サッカー評論家、編集者たちの酷さを知って頂きたい。
そして、あいつらにだまされないで頂きたい。
それでは、皆さん、さようなら。
