「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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そして、訪問者がコメントを書いても、このブログには基本的には、表示しません。
それでもコメントを書きたい方は、書いて下さい。

カテゴリ: 日本サッカー界の酷さ



私は、海外のスポーツ新聞を読む。
そして、海外のサッカー記者がツイッターで、「サッカー本を出版した」というニュースを発信しているのを見る事がある。それは、大体、「歴史本」がほとんどである。「名選手の伝記」とか、「クラブ史」とか、そういう本ばっかりである。
一方、日本は、サッカーの戦術本、指導書の出版が多い。
私が本屋に行くと、サッカー・コーナーは、戦術本、指導書だらけである。
私は、これが、海外と日本で大きく違う所だと思っている。
私は、日本には、「新戦術詐欺商売」というモノが存在していると思っている。
これは、主に結城康平、浅野賀一、西部謙司の3人によって展開されている。
雑誌で言うと、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「ナンバー」、雑誌「ワールド・サッカー・ダイジェスト」、雑誌「スポルティーバ」、出版社名で言うと、「カンゼン」、「ソル・メディア」、「日本スポーツ企画出版社」、「文藝春秋」、「集英社」という出版社によって行われている。
こいつらの手法というのは、まず海外のサッカー評論家で、「戦術は進歩している」、「戦術は昔と大きく変わっている」という人間の意見、本を紹介する事である。
それらを翻訳したり、その評論家にインタビューした記事を、自分のメディアで紹介している。
ここでポイントなのは、「サッカーの戦術は、昔と変わっていない」、「サッカーの戦術のコンセプトは、1980年代に生まれたモノと同じだ。現在は、より洗練されているが、昔とやっている事は、ほぼ同じだ」というようなサッカー評論家の意見は、絶対に紹介しない事である。
世界には、そういう見解を述べている大御所サッカー評論家は居る。
しかし、結城康平、浅野賀一、西部謙司らは、決してそういう評論家の意見は紹介しない。
つまり、この3人は、「戦術は進化している」という海外サッカー評論家の意見を紹介して、下地を作っているのだ。
こうすることで、日本のサッカー・ファンに、「戦術は進歩しているんだ」という印象を与えるのである。
雑誌「フットボリスタ」は、一番酷く、自分のインターネット・サイトでは、「前文」として、「現在、サッカー界では、急速に戦術が進歩している」という文章を載せている。
こうする事で、まず最初から読者を煽(あお)っているのだ。
私は、このような事をする浅野賀一という編集長は、本当にろくでもない奴だと思っている。
このようにして日本人サッカー・ファンを誤解させているのだ。
そして、第2段階として、日本人サッカー評論家たちは、海外の「サッカーの戦術は進歩している」というサッカー評論家の真似をして、自分達の本を出版する訳である。
以上が、日本で行われているサッカー・マスコミの手口である。
これは、数十年と行われているモノである。だから、近年、現れた酷い話ではない。
しかし、私は、これが2010年代になって、一層、酷くなったと思っている。


私は、このような光景を見ると、日本人をだまして思想教育をして洗脳する事は、とても簡単なことなのだと実感する。
つまり、浅野賀一、結城康平、西部謙司など、極めて少数の人間による情報発信により、これだけ多くの人間がだまされてしまっているのだ。
そして、問題なのは、この浅野賀一、結城康平、西部謙司などは、非常に頑固な人間であり、「自分達の間違い思想を引っ込めることができない」、「間違っていたら素直に訂正・謝罪できない」という人間共なのである。
こいつらは、世界で流行っていない戦術用語を紹介して、「覚えるべき言葉」とよく宣伝する。
そして、それが実際は、世界で流行っていなくても、謝罪しない。一向に反省はないのだ。全くないのだ。
こいつらは、「サッカーには言語化が必要」と言って、毎年、日本人サッカー・ファンに新語を紹介している。
「ストーミング」だの、「偽サイドバック」だの、色々と新語を紹介している。
しかし、私がこのブログで以前、紹介したが、「ストーミング」という戦術用語など、世界で全然、使用されていないのだ。
それでも、こいつらは、本当にお構いなしなのである。
私は、本当にこいつらの態度というのは、酷いと思う。

西部謙司は、最近、自分のコラムで、「ポジショナルプレーが標準装備された世界」などと言い出している。現在、サッカー界では、「ポジショナルプレー」という戦術を使用しているチームは少ない。
しかし、西部謙司は、浅野賀一、結城康平らと協力して、「ポジショナルプレーは世界で流行っている」、「ポジショナルプレーは、日本人が進歩するのに必要な戦術」などと言って宣伝し続けたので、もうその主張を引っ込められないのだ。西部謙司は、頑固に強引に、現実と違うことを日本人に説明し続けているのだ。

また、結城康平は、「最新の戦術」という言葉を使い、西部と同じく新戦術詐欺商売というのをやっている。

海外のサッカー評論家は、「サッカーの歴史」を紹介する。
そして、「サッカーの戦術の歴史」も紹介する。
例えば、センターバックが、ビルトアップする行為がある。
これを日本人サッカー評論家は、「現在のセンターバックは、昔のセンターバックと違ってビルドアップもやる。進化している」などと言う。
しかし、私が海外の新聞を読むと、海外の記者は、「現在のセンターバックは、ビルドアップをする」と書いた後に、「これは、1970年代、フランツ・ベッケンバウアーが既にやっていた事です」
という一文を添えて来る。
つまり、「このプレー・スタイル、この手法・戦術は、昔からある。昔、やっていた人が居る」という説明を、いちいち注釈として添えて来るのだ。
読者が誤解しないように、きちんと説明するのだ。
しかし、日本人サッカー評論家、西部謙司、結城康平、浅野賀一らの手にかかると、「新戦術詐欺商売」を始め、「現代サッカーでは」、「現代型の選手」、「モダンなプレー・スタイル」など、そういう説明をする。酷いと、「革新的スタイル」、「今までに居ないタイプ」など、そういう紹介を行う。
つまり、海外のサッカー記者が、「昔に、こういう選手が居ました。ベッケンバウアーがこれを50年前に、既にやってました」と説明するのと大違いなのだ。
これが、日本サッカー界における現実である。
そして、このような手法をやると、無知なサッカー・ファンが、本当に、結城康平、西部謙司、浅野賀一らの説明を信じてしまうのだ。
そもそもが、日本人の多くは歴史を全く知らないので、日本のサッカー評論家たちが、「革新的」、「サッカーは進歩している」など書いて選手を説明すると、そのまま「今までにない存在だ」として信じてしまうのである。
この酷い状態が、日本サッカー界では何十年と続けられている。
そして、2010年代になって、より一層、酷くなっている。
最近では、結城康平などの「歴史を全然、勉強していない」にも関わらず、日本人サッカー・ファンに戦術を講義するというおかしなサッカー評論家が出て来た。
この手の新種のサッカー評論家が出て来た。
こいつらが、歴史を全く勉強していないにも関わらず、現代のサッカー選手を、「革新」、「今までに居ないタイプ」など、そんな文章のオンパレードで本を出版するのである。
そして上述したが、それを読んだ無知な日本人サッカー・ファンが、それをそのまま信じるという酷い事が起きている。

という訳で、日本のサッカー界は、本当にろくでもない。
海外の事情とは、大きく違う。そもそも、評論家に誠実さがない。
私は、こいつらの背後には、「煽(あお)れば、儲かる」という考えがあるとしか思えない。
受け手側が、間違った知識を身に着けても構わない。とにかく本が売れればいいと思っている雰囲気ばかりを感じる。
浅野賀一などは、その塊(かたまり)のような人間だろう。

という訳で、私のブログを読んだ数少ない人だけでも、この日本サッカー界におけるマスコミ、サッカー評論家、編集者たちの酷さを知って頂きたい。
そして、あいつらにだまされないで頂きたい。


 それでは、皆さん、さようなら。




私は、アメーバ・ブログで、サッカーのブログを書いていた。
私は、アメーバ・ブログで、2つのブログを持っていた。
旧ブログの方で、サッカー記事をたくさん書いた。
しかし、2つ共、運営により一方的に消滅させられた。
私は、気づいたのだが、日本のプロのサッカー評論家たちが、私のブログからアイディアを取り、内容を盗んでいるのだ。その消滅させられた2つのアメーバブログや、このブログから盗んでいるのだ。そして、自分のコラムに、「自分の意見」として書いているのだ。
具体的に言うと、西部謙司、小宮良之、杉山茂樹、北條聡などである。
私は、それに気づき、自分のブログで、それを批判した。
すると、北條聡は止めたようだが、他の人間たちは変わらず、やっている。
西部謙司は、「私がブログで書いた瞬間に、その週に自分のコラムに全くそれと同じ内容を書く」という酷さだった。
私は、西部謙司に対して、自分のブログ上で、「おい、西部。盗むなよ」と何度も警告していたにも関わらず、盗んでそんな事をしたので、本当に愕然としたし、怒りが収まらなかった。
また、小宮良之という評論家もよく盗んでいる。彼のコラムは、私がブログで書いた事と同じ内容がある。
小宮は、セサル・メノッティについて取り上げていた。
それは、私がマルセロ・ビエルサ監督について取り上げた所で書いたのと全く同じであった。
他に小宮は、私が使う「漢字」をよく真似している。私が使った漢字で珍しいモノがあると、それを自分のコラムで使うのだ。 私が、「悪辣」という言葉を使ったら、すぐに自分のコラムで、「悪辣」と使っていた。

という訳で、日本のサッカー評論家というのは、自分で勉強するのが面倒臭いので、一般人の私のブログを読みに来て盗むという最低の連中である。
彼らは、「これを使って楽しよう」という事で、すぐに盗んで自分の連載コラムにそのまま書くという最低の連中である。
これが、日本のサッカー評論家の「常識」という事のようだ。 本当に最低の人間たちである。

日本人の皆さんには、そこに気づいて欲しい。
私が「盗まれている」と主張しないと、この問題は、問題化しないので、私はこのブログでその実態を発表しているのだ。

特に、西部謙司、小宮良之が、酷い。


 それでは、皆さん、さようなら。




私は、自分のアメーバ・ブログ(現在は、もう消滅している)において、
「サッカー評論家、結城康平を批判する。ポジショナルプレーについて解説する」
という記事を書いたら、大きな反響を呼び、僅か3日間で25000人もの人が、この一記事を読んだ。
現在でも毎日、100人以上がこの記事を読んでいる状態である。

私は、その上記のブログにおいて、
「イギリスの国営放送、『BBC』のサイトで、結城が現在、世界で注目されていると言っている、『ストーミング (Storming : 嵐)』という戦術用語を検索したら、サッカー記事でヒット数がゼロだった」
と皆さんに説明をした。
そうしたら私の記事を見た結城は、自身のツイッターで、このように投稿した。

結城 康平‏ @yuukikouhei  1月20日

この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。

スクリーンショット 2020-11-06 093807

以上が結城の投稿である。

私は、これを見聞し、本当に結城は詐欺師だと思った。
私は、情報というのは、「誠実さ」が一番大事だと思っている。
つまり、自分が発信している情報というのは、
「世界でどれぐらい認知され、どれぐらい重要で、このデータは間違っていないか?」など、それぐらい情報を受け取る人達が誤解しないように、「客観的視座」を持てるように発信するのが礼儀だと思っている。
私は、このブログで読者の皆さんに、色々と情報・データをご紹介しているが、その点について非常に気を使っている。 
間違ったら「大ごとだ」と思い、そこにエネルギーを注いでいる。
私は、「自分が書いたデータは間違っていないか?」、
「この情報は現在、世界でどれぐらい普及していて、どれくらいの重要度であるか?」などに配慮して、読者の皆さんが正確に情報を受け取り、ご理解できるように努力している。
しかし、結城康平の場合、自分で
「『ストーミング』 という戦術用語が、世界で注目されている」、「サッカー界の新潮流」などと書いて宣伝しているが、とてもいい加減なのである。
私のような一般人に、
「イギリスの国営放送、『BBC』では、サッカー記事でそんな英単語は一度も使われてませんよ」と指摘されたら、上記のように、読者に向かって、
この言い方は身も蓋もないのだが、ストーミングは英語圏で単純に流行らなかった。
と書いて終わりにするのである。
これでは、結城康平によって、「ストーミング」という言葉が、
「世界で流行を見せ、現在、イギリス国内のサッカー・ファンも当然、使用している話題の言葉だと信じた日本人サッカー・ファン」 にとっては、デマ情報を握らされたのと同然だろう。
しかし、結城は、上記のような無責任な言動で、この件を終わりにするのだ。
私は、結城は本当に、「クソ評論家」だと思う。
この男の商売の仕方というのは、
「世界で普及をしていない、定着していない言葉を、『重要な戦術用語』として紹介して記事を書き、それを売る」というモノである。
これでは、詐欺だろう。
私は、結城康平は、「この言葉は、世界で全く流行ってません。全然、普及してません」と正直に日本のサッカー・ファンに説明してから記事を書くべきだと思う。
結城という男は、サッカー記者、ジャーナリストとしての基本が全くない人間である。
まとめると、結城康平、林舞輝、浅野賀一、西部謙司、雑誌「フットボリスタ」という連中の商売の方法は、全て上記したようなやり方である。
私は、このブログにおいて、現在、「ポジショナルプレー」という言葉が、イギリス、スペイン、南米で全くと言っていい程、使用されておらず、サッカー・ファンの間で、全然、定着していない言葉だということを皆さんにご紹介した。
一方、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝らの活動というのは、自分が勉強したサッカー界の主に「論文」から、「カタカナ用語」を持って来て、「日本の皆さん、この戦術用語が、現在、世界で流行してます」と言ってウソをつく。そして、日本人サッカー・ファンに毎回、「覚えておかないといけない用語」と思わせて宣伝して商売をする。それを繰り返しているのである。
そして、「有名な〇〇監督が使用している」などと読者が食いつくように、冒頭に書いて紹介するのだ。
この有名な「〇〇監督」というのは、大抵、毎回、ジョゼップ・グアルディオラなのだ。
しかし、ポジショナルプレーというのは、1990年代、既に25年前に、ルイス・ファン・ハール監督が実行していた方法で、何も新しくない。ファン・ハールは、「アヤックス旋風」というのを起こして世界王者にもなっている。
それを現在、弟子であるグアルディオラが真似してやっているというだけだ。
しかし、結城康平は歴史を勉強してない知識不足の人間なので、「新戦術、新思想」と言って、日本人にウソをついて宣伝している状態である。
ポジショナルプレーというのは、別に「サッカーをやっていて普通の動作」である。声高に叫ぶ必要がないのである。
だから、ファン・ハールが25年前にやっていても、現在、全く世界で常識語として定着していないのだ。 

林舞輝という男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝している。
恐らく、この言葉も世界で流行っていないだろう。
私が、イギリス国営放送『BBC』 のサイトで、「Periodizarion」(ピリオダイゼーション)で検索したところ、サッカー記事は7件だけヒットした。
内訳は、男子サッカーで5件。女子サッカーで2件だ。
使用されてはいたが、ほとんど目にしない用語という事だ。
結城にしても、林にしても、一般人が聞いてよく分かんない言葉を持って来るのだ。
「カタカナ語」を持って来る。 
「ポジショナルプレー」にしても、「ピリオダイゼーション」にしても、カタカナ語なので、「何ですか? それ」みたいな一見してよく分からない。
彼らは、説明を聞かないと分からないという単語を「釣り餌 (つりえ)」のように持って来る。
このようにして、サッカー・ファンを食いつかせ、商売をするという方法だ。
雑誌「フットボリスタ」と結城、林らは、実際は、「これらの言葉が世界で流行っていない」という現状を隠して、さも重要で、「これらの言葉は、サッカー・ファンは押さえておかないとまずい」という雰囲気の文章を書くのだ。そういう宣伝文句つきで文章を書くのである。
私は、こいつらは、本当に詐欺師だと思う。
彼らには、私のような正直さが全くない。
「この言葉は、世界で普及してません」など、そういう一言は、絶対に前もって告げないのだ。
むしろ逆で、「サッカー界の新潮流」という言葉を持ち出して、「これから、これがサッカー界の主流になって行く」とでも言うような雰囲気の宣伝文句を掲げた後、文章を書く。 
そしてわざと難解にして、曖昧な文章を書く。
彼らの文章は、「言葉の定義がはっきりしない文章」を書くので、全文を読んでも理解しづらいという特徴がある。本当に悪質な文章を書く。

日本人サッカー・ファンの皆さんには、雑誌「フットボリスタ」、結城康平、林舞輝という詐欺師評論家達には、くれぐれもだまされない事を願います。
こいつらが、自分達が宣伝する戦術用語について、「世界における普及度」について正直に説明することは全くありません。
なぜなら、こいつらは詐欺師だからです。
世界で流行していなくても、「流行している」と思わせ、「戦術用語を宣伝して行く」というのが、こいつらの汚い商売だからです。
結城康平、林舞輝は2人共、20代のようだ。私は、若手のサッカー記者は、詐欺師で溢れていて、本当に日本サッカーのマスコミ界は、暗いなと思います。
そして、雑誌「フットボリスタ」は、本当に酷い雑誌だと思います。
私は、この雑誌の編集長である浅野賀一という男は、問題のある人物だと思います。

私の意見としましては、「詐欺師は、早く業界から駆逐した方が良い」と思います。
流行ってもいない、重要でもない戦術用語を宣伝しまくる詐欺師が居ると、日本のサッカー・ファンが混乱するし、誤った認識・知識を得てしまうからです。
彼らが自分達の態度を改めることなく、今後も世界で流行しておらず、定着など全然していない言葉を、さも「世界では認知されている」としてだまし、日本人に対して、覚えることが必須の戦術用語として紹介し続けるならば、本当にサッカー・ファンは怒って、サッカー業界から放逐すべきだと思います。


【 結城康平、林舞輝には知性がない。その理由を教える。 】

私は、結城康平、林舞輝には、『知性』がないと思う。
この2人の文章に共通する特徴は、「過去・歴史」というのが無いのだ。
例えば、結城康平は、「ポジショナルプレー」というモノを説明する際に、過去に、これを行っていた監督の紹介というのを一切、しない。
「ゼロ・トップ」、「偽9番」という戦術に関しても、過去にそれを実行していた監督の紹介というのを一切、行わない。
私は、以前、このブログで、イギリスの「ガーディアン」という高級新聞紙では、イギリス人記者が、読者に対し、「サッカーの歴史を紹介している。ゼロ・トップの発祥から説明している」というのをご紹介した。

現在、西部謙司という評論家が、
「『偽9番』、『ゼロ・トップ』の発祥は、1940年代である」と日本人に説明をしている。恐らく、それは間違いである。
1930年代でも使用していたチームはある。そして、イギリス人の記者の中には、1894年に、既に「偽9番」はあったと、イギリス国民に説明をしている人も居ます。
西部謙司というサッカー評論家は、とても問題のある評論家である。
この男は、「歴史をサッカー・ファンに説明するが、その出典は、一切、説明しない」というとんでもない評論家である。つまり、常識がない馬鹿である。


話を、結城康平、林舞輝、雑誌「フットボリスタ」の件に戻す。
この「過去・歴史」を決して紹介しないというのが、結城康平の大きな特徴である。
これをしてしまうと、結城にとって、「新戦術」と言って日本人に紹介する「詐欺的記事」作戦が全て破綻してしまう。
「過去に、この戦術をやっていた人物(監督)が居ます」という設定になると、「新戦術」でなくなるので、読者の好奇心・関心を引き付けられない。
その為、結城の書く記事には、「過去・歴史」という要素は、毎回、省かれているのだ。
こういう人間は、「知性がない」。そこを日本人は知って下さい。
また林舞輝も同じである。
この男は、現在、「戦術的ピリオダイゼーション」などと言って宣伝しているが、
「それと似たようなことをやっていた監督は過去に居たか?」という説明は拒否している。
恐らく、彼もそれをすると「新戦術」という設定が崩壊するので避けている。
つまり、こいつらは真に知性的な人間でも、誠実な人間でもないという訳です。
「読者に、本当に正確な情報・知識を届けたい」という気持ちで活動してません。
これは日本人の特徴なのかも知れませんが、私は、本当に酷いと思いますね。

私は、サッカーを見る際、監督については、「監督評」というのをメモしている。
これは私が衛星放送で、本格的に海外サッカーを見始めた1990年代からやっている。
趣味でメモとして残している。
だから、「この監督はこういうスタイルだった」というのを把握している。
また1990年代以前の試合を見た際にも、有名監督の場合、その特徴をメモしている。
それ故、「サッカーの名将」に関して、「どういう監督だったか?」というのが、大体、分かる。
だから、結城が「ポジショナルプレー」と書いて記事にして説明した時、私は、「これは1990年代、ルイス・ファン・ハールがやっていた事と同じだ」と即座に分かったのである。
だから、私は、他の日本人達と違って、結城にはだまされなかったのである。
私は、このように「過去の名将がどういう特徴があったか」というのが、大体、分かる。
しかし、結城康平、林舞輝というバカ2人は、そういう勉強を拒否しているようだ。
だから、彼らの書くモノには、「過去・歴史」がない。
そして、毎回、この2人は、「新戦術」として紹介する。アホである。
この2人は、思考のスパン(射程距離)が圧倒的に短いのだ。 
1990年代すら勉強していない。
そこに、ほぼ100%の日本人サッカー・ファンは気づいていない。
彼らの「薄っぺらさ」に気づいていない状態である。
私は、サッカー評論家をやるならば、「歴史を一応、押さえておかないとやばいだろ」という考えがよぎるのが普通だと思う。
しかし、彼らは全くその必要性を感じていないようである。
だから、彼らの書くモノは永久に薄っぺらい。間違いを書いている。


 それでは、皆さん、さようなら。


日本では、サッカー日本代表の成績が悪いと、「日本サッカー協会会長」の解任を求める声がすぐ上がる。
私は、この光景を見る度に、毎回、強い違和感を覚える。
と言うのも、ブラジル、アルゼンチンなどでは、サッカー協会会長が、長期に渡り任期を務めるケースが多いからである。
ブラジルのアベランジェ、アルゼンチンのグロンドーナなどがその例である。
彼らは、20~40年ぐらい会長を務めていた。
私のこの意見を聞いて、
「ブラジルとアルゼンチンは、強豪国でサッカーの成績が良いので、会長に対して解任要求が起きないんだ」
と反論して来る方が居られるかも知れないが、これらの国々では、それが理由で解任要求が起きないという感じではない。
これらの国々でも大会成績が悪かった時もあったが、解任されなかった。
ブラジルなどの国では、元々、代表チームの成績が、「サッカー協会会長の進退に影響する」という文化・慣習がない感じなのである。
影響したとしても、その影響は薄い。
故に、私は日本の光景を見ると違和感を覚えるのだ。
そもそも、サッカー協会の会長の仕事というのは、「代表チームの成績」が、一番の任務なのだろうか?
代表チームの成績が悪い結果に終わったとしても、日本国内において、以前よりサッカー人気が増したとか、サッカー人口が増えたとか、そういう現象が起きていたならば、私は、解任する必要がないように思うのだ。
はっきり言って、サッカーの試合なんて微妙なモノである。
実力的にほとんど差がなくて、微妙な事で勝敗が分かれたりすることは多い。
だから、サッカーの国際大会の結果ひとつで協会会長の解任を訴えることが、おかしく思う。
長い年数が経っても、明らかに世界の強豪国との実力差が甚だしくて全然、縮まらないというのならば理解も示せる。
しかし、そうでないならば、それは会長の責任ではなく、監督・選手の責任だろう。
「代表監督を選んだ会長には、任命責任がある」と主張する人がおられるかも知れないが、私は、前述のように代表チームの成績、サッカーの試合なんて「水物(みずもの)」みたいな所があるので、あるレベルの監督を起用していて、結果が得られなかったのならば、任命責任が大きいとは思わない。
私は、日本人というのは、「サッカーは、代表チームにしか関心がない」ので、このような姿勢なのかと思う。
日本サッカー協会会長というのは、「Jリーグ」の発展とか、「女子サッカー」の発展とか、他の面も考えて仕事をしていると思うが、男子の代表チームの成績だけを進退問題の一番のポイントとするのは、本当に視野が狭いとしか思えない。
日本サッカー協会会長の進退というのは、もっと総合的な視点で考えるべきだと思う。

 それでは、皆さん、さようなら。


釜本の国際Aマッチの得点は53得点である。
三浦知良が55点で1位である。
しかし、日本では、この日刊スポーツのバカ記者、木下淳のように、75得点と報じ続けている者が居る。

https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/201903250000697.html




 それでは、皆さん、さようなら。

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