私は、釜本邦茂は、ヨーロッパに移籍しても通用しなかったと思っている。その理由は、得点能力が低いからである。

釜本本人は、ヨーロッパ挑戦をしていたら「通用する」と言うような口ぶり・態度であるが、私は、無理だと思う。

その理由を、私がこれから説明する。
まず、現在、「Jリーグ」で活躍をしたフォワードが、ヨーロッパ挑戦すると、「日本時代よりも得点できない」という法則がある。
これが起きる原因は、
「日本の国内リーグよりも、ヨーロッパのリーグがレベルが高いから」である。
私が調査した所、
「未だかつてヨーロッパに行ったら、日本時代より得点能力が上がった。得点成績が良くなった」という選手は、1人も居ない。
「ヨーロッパに行ったら、見違えるほど成長して得点成績が見違えるほど良くなった」
という選手は、1人も居ないのである。

それ程に、ヨーロッパで活躍することは、日本人フォワードにとって困難という事である。

そして、「優秀だ」と評価されていた日本人は、「『二桁得点』 をするのがやっと」という状態になる。
「10ゴールできたら、万々歳(ばんばんざい)」という感じになる。

日本で20得点していた選手は、ヨーロッパに行くと、大体、得点数は半減する。うまく行ったシーズンでも10点取るのがやっと
という感じになる。
例を挙げると、高原直泰、前田大然などがそうである。

私は、上記のような法則を、釜本邦茂の場合にも当てはめて考えるとする。
つまり、「釜本1人だけ、通常の日本人に起きる法則が起きない。釜本だけヨーロッパに行ったら、日本時代より得点成績がアップした」
と処するのは、おかしいし、公平ではないと考えるという事である。

釜本邦茂の日本時代の成績は以下である。

シーズン   試合数  得点


1967           14     14    

1968         9     14
1969        12     10
1970        14       16
1971        14     11
1972           14     11
1973        16      9
1974        18     21
1975        17     17
1976        18     15
1977        18     20
1978        18     15
1979        18      7
1980        18     10
1981        18     11
1982         8     1
1983         2       0
1984         0       0   


以上である。


私は、上記の釜本の得点成績を見ると、ヨーロッパに行ったら、
「10点以下しか取れないだろう」と思う。
その理由として、釜本の時代の日本の国内リーグは、
「『Jリーグ』が出来る前よりも、更にヨーロッパのリーグとレベルの違いが大きかった」
という事である。
故に、上記の得点成績は、
「当時の日本リーグは、Jリーグが出来た時代より更にレベルが低い時代だった」ということを考慮して考えるべき成績なのである。
そう考えると、釜本がこの程度の成績ならば、私は、ヨーロッパに行っても通用しないと思う。
釜本が、「14試合出場して、30得点」とか、「18試合出場して、40得点」とか、そういうレベルの成績を残していたら、考えるべき余地はある。
しかし、釜本の成績が、上記のように「14試合出場して、14得点」とか、「18試合出場して、15得点」とか、その程度のレベルの成績ならば、ヨーロッパに行ったら、1シーズン、リーグ戦で34~38試合出場したとして、うまく行って10得点ぐらいだろう。
釜本が、ヨーロッパのリーグ戦に参加して20得点以上を取るというのは、この日本時代の成績を見たら、不可能の数字である。
故に、釜本は、ヨーロッパ挑戦していても、得点王争いには加われない。
そのレベルの選手では、全くない。
上述したように、「釜本だけヨーロッパに行ったら見違えるように成長した」という公平でない考えを適用するならば、それは可能である。
しかし、これまでの日本人選手の多くの例から考えると、釜本の得点能力では、そこから予想される得点成績は、ヨーロッパに行っても、「10点取れれば、万歳」というレベルだと思う。



現在、Jリーグには、外国の1部リーグで活躍している選手が、助っ人として来る。
しかし、釜本の時代の日本リーグの外国人助っ人は、主に「ブラジル2部リーグで通用しない選手たち」だった。
具体的に言うと、セルジオ越後カルバリオなどである。
ブラジル1部で全く通用せず、ブラジル2部に居てそれでも出場機会がないので日本に来たという選手たちである。
セルジオ越後は、現在のところ、ブラジル時代、「プロ・リーグで得点した記録が残っていない」。
ブラジル・メディアでも、セルジオ越後が得点した記録を見つけられないのだ。
そして、セルジオ越後は、日本で6得点しか点を取れなかった。
セルジオ越後は、日本時代、「40試合、6得点」という成績だった。
釜本邦茂の時代、このように助っ人のレベルが、現代と違い、とても低かった。
それでもカルバリオは、当時、日本リーグの「シーズン、最多得点記録」を作った。
カルバリオは、釜本の持っていたシーズン最多得点記録、21得点(18試合出場。1974年の記録)を破ってしまった。
カルバリオは、1シーズンで23得点(18試合出場。1977年の記録)を挙げた。
そういう訳で、私は、このような事実からも、釜本がヨーロッパ挑戦しても、成功したとしても 「10点取れれば良い方だ」というレベルであると考える。
そして、私は、多分、成功しないだろうと思う。
レベルの低い時代の日本リーグで、釜本の得点成績がこの程度の得点数ならば、ヨーロッパに行ったら、その得点数は、もっと減少することが予想されるからだ。
また、ラモス瑠偉は、ブラジル時代、センターバックだった。
ラモスは、元々、ディフェンダーだったのだ。
これを知らない日本人サッカー・ファンが、非常に多い。
ラモスは、ブラジル、サンパウロ州1部の中堅クラブで、センターバックを務めていた。
ラモスは、元々、攻撃のポジションをやりたかったが、ブラジルは上手い奴が多過ぎる。だから、ディフェンダーをやっていたのだ。
しかし、日本に来ると、日本人が下手なので、攻撃のポジションでプレーできるのだ。
そして、ラモスは、日本で得点王になった。
という訳で、昔の日本リーグはレベルが低いので、「ブラジル・リーグのディフェンダーが得点王になれるリーグ」だったのだ。
故に、釜本は、ブラジルに生まれて居たら、ラモスと同じでディフェンダーだったかも知れない。
センターバックをやっていたかも知れない。


私が「釜本邦茂の得点能力が低い」と主張する他の根拠は、ドイツ人、フランク・オルデネビッツの証言である。
彼は、1994年に「Jリーグで初のヨーロッパ人で得点王になった選手」である。
彼は、Jリーグについて以下のように述べていた。
「Jリーグは、ドイツ・ブンデスリーガに比べると、ゴールキーパーのレベルが低かった」
である。
釜本邦茂の時代の日本リーグは、ゴールキーパーは全員、日本人だった。
そして、オルデネビッツが参加していた1990年代のJリーグのゴールキーパーのレベルよりも、釜本の時代の日本人ゴールキーパーのレベルは、もっと低かっただろう。
それにも関わらず、釜本の得点数が上記のレベルなのは、「得点数が少ない」と批評されても仕方ないだろう。


という訳で、日本人 サッカー・ファンは、日本のマスコミ、日本の評論家、釜本の言動により、ずっと「釜本偉大論」とか、「釜本のヨーロッパ挑戦、妄想論」を聞かされている。
その結果、釜本の能力を過大評価している。
しかし、私のように地に足をつけ、じっくり釜本の得点成績を見れば、釜本は得点能力が不足している。「そもそも得点数が足りていない」という事が分かるのだ。


私のブログの読者は、それでもまだ釜本の能力を信じている人が居るかもしれない。
私は、そういう読者には、繰り返しになるが、
「きちんと、得点成績を見て下さい。釜本だけヨーロッパに行ったら、得点能力が大幅に上がるという事はないです。妄想を捨てて下さい」
と言うより他ない。




 それでは、皆さん、さようなら。