「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

私は、「他のライブドアブログ」を主体に活動をしています。
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私は、コメントされても返信しません。
そして、訪問者がコメントを書いても、このブログには基本的には、表示しません。
それでもコメントを書きたい方は、書いて下さい。

カテゴリ: 日本のサッカー評論家を批判する。



私は、ユーチューブでサッカー番組を見る時がある。
サッカー・キング」、「水沼貴史、北條聡の番組」などを見る時がある。
しかし、本当に面白くない。
その理由は、「出演者が、全然、サッカーの勉強をしていない」という事である。
私は、ここ数年見たが、誰一人として、
「自分が、海外の新聞、テレビ番組を見たら、海外のサッカー評論家の〇〇が、こんな面白い意見を言っていた」、
「海外の新聞を見ていたら、こんな面白い話、歴史を知った」、
「海外の新聞を見ていたら、実は、あのチームは、こういう戦術で戦っていた」等、
そういう展開の話が、「ゼロ」なのである。
ウソだと思ったら、注意深く日本のユーチューブのサッカー番組を見てみたらいい。
粕谷秀樹、小澤一郎、水沼貴史、北條聡、倉敷保雄、下田恒幸、鈴木良平、野村明弘などなど、連日、誰かしら出演して、「サッカーの話」をしているが、海外の新聞・テレビを見て、何か感動する意見・情報に出会ったという事など、全然、話されないのだ。
私の推測であるが、彼らは、そもそも、「海外の新聞・コラムを読む」、「海外のサッカー番組をチェックする」など、そういう行為を全然、していないだろうと思う。
だから、「自分が思ったこと」しか話の引き出しがないのである。
それ故、話が本当に面白くない。
そんな状態で、毎週、長時間に渡り、番組をやっているのだ。

私は、野球のユーチューブ番組の方が、はっきり言って、面白い。
私は、野球は詳しくないが、野球の方が、「何だか面白そう」という雰囲気がある。


 
最後に、1つ話します。
ユーチューブで、アジカンという知識不足に加え、ウソばかりつく馬鹿が居ます。
平気でウソをつく馬鹿です。
そいつは、俺のブログから内容を盗んで、偉そうに説明しています。


 それでは、皆さん、さようなら。

【 サッカー評論家、戸塚啓が流すウソ。釜本邦茂を、「アジア人、オリンピック、最初の得点王」と紹介する酷さ。
1956年のメルボルン・オリンピックで、インド人、フォワード、ネビル・ドゥスーザが、得点王になっている。 ドゥスーザが、アジア人初得点王である。】



【 特集。 アジア人初、オリンピック得点王、ネビル・ドゥスーザ。】


昨日、なぜか知らないが、雑誌「ナンバー」、雑誌「スポルティーバ」というスポーツ雑誌のインターネット・サイトで、釜本邦茂を称賛するコラムが、2つ発表されていた。
同じ日に、一気に「釜本称賛コラム」が、突如、発表されていた。
戸塚啓、後藤健生という2人のサッカー評論家によって、それぞれ発表されていた。
相変わらず、この2人は、「当時のオリンピックに参加していた選手の年齢、レベル」というモノを、日本国民に紹介していなかった。
また、「日本サッカー協会が、FIFA(国際サッカー連盟)の国際Aマッチ基準を否定していること」も紹介していなかった。
そして、JFA(日本サッカー協会)により、FIFA基準よりも22点も水増しされた釜本邦茂の得点数を紹介して、「釜本は、日本代表で得点数が1位」と紹介していた。
FIFA基準(国際サッカー連盟基準)では、三浦知良が、1位である。
しかし、この2人のサッカー評論家、戸塚啓、後藤健生は、日本サッカー協会の犬であり、日本国民に真実を伝えるよりも、釜本邦茂をただただ称賛し、誇大に見せるということを相変わらず続けている。
この2人は、おかしな事をやっている人間を批判しない。
この2人は、日本サッカー協会の記録捏造を支持し、当時のオリンピックの大会レベルを正確に日本国民に伝えず、隠してコラムを書くという酷いことを、毎回、やっている。
私は、この2人はこういう事をしていたら、この先、自分のサッカー評論家としての信頼がなくなる危険があると考えていないのだと思った。

私のブログの読者の皆様には、戸塚啓、後藤健生の酷さを知って頂きたい。


それでは、今回の本題である。
サッカー評論家、戸塚啓は、その雑誌「ナンバー」のコラムで、以下のように釜本邦茂を紹介していた。
「釜本邦茂は、1968年のメキシコ五輪でアジア人初の得点王を射止め、銅メダル獲得の立役者となった。」
である。
私は、このコラムをヤフー・ニュースの記事で読んだ。
そして、コメント欄を見た。「ヤフコメ」と俗に言われているモノである。
そこで、投稿者の1人が、
釜本は、アジア人初ではないです。1956年のメルボルン・オリンピックで、インドの選手が得点王になっている
と書いていた。
私は、驚いた。
私も、戸塚啓と同じく、釜本邦茂がアジア人で初のオリンピック得点王だと、ずっと思っていたからである。
私は、日本のマスコミが、20世紀からずっとそう伝えているのを見て来た。その為、釜本が最初だと思っていたのだ。
その後、私は、この投稿者の話が本当かどうか、すぐに調べた。
すると、1956年のメルボルン・オリンピックで、本当にインド人選手が得点王になっていた。
その選手の名前は、ネビル・ドゥスーザ(Neville D'Souza)という選手だった。
ドゥスーザは、「試合に出場して、4得点を挙げて得点王に輝いた」。
ドゥスーザは、オリンピックで、オーストラリア、ユーゴスラビア、ブルガリアと対戦した。
準々決勝、地元オーストラリアと対戦した試合で、インド代表は、4-2で勝利をした。
この試合、ドゥスーザは、ハットトリックを達成した。
準決勝、インドは、ユーゴスラビアと対戦をした。インドは、1-4で敗れた。
しかし、ドゥスーザは、1得点を挙げた。
この後、インドは、3位決定戦を、ブルガリアと戦った。
そして、0-3で敗戦をした。
ドゥスーザは、この大会で計4得点を挙げて、得点王に輝いた。
ちなみに、この大会は、得点王になった選手が、3名居た。
ドゥスーザの他に、同じく4得点を挙げた選手が、2名居た。
それは、ユーゴスラビア代表、FW、トドール・ベセリノビッチ(26才)、ブルガリア代表、FW、ディミタール・ミラノフ(28才)である。

この1956年のメルボルン・オリンピックは、11月下旬から開催された。
そして、12月初旬に終わった。

通常、昔のオリンピックは、10月、11月などに開催された場合、ヨーロッパの国は、若手で編成された代表チームで参加する。
その理由は、ヨーロッパのクラブ・チームは、この時期、プロのリーグ戦、真っ只中だからだ。
その為、東欧のチームは、オリンピックよりも、ヨーロッパのクラブ・チームの国際大会、「欧州チャンピオンズ・カップ」に参加することを重視していた。
だから、東欧の代表チームは、10月、11月開催の場合、オリンピックが開催されていても、ベスト・メンバーでは参加していなかった。
東欧のチームは、8月開催のオリンピックの場合は、ベスト・メンバーで参加していたが、10月、11月開催だと、手抜きした若手主体メンバーで参加していたのである。
私が、今回、疑問に思ったことは、得点王になったベセリノビッチ、ミラノフの年齢である。
2人共、それぞれ、26才、28才であり、オリンピックに参加する年齢としては、高齢である。
そして、2人共、当時のA代表チームで主力選手だった。率直に言えば、名選手だった。
私は、このような代表主力が、大会に参加している事に驚いた。
欧州チャンピオンズ・カップは、1955年から始まった。
そして、このメルボルン・オリンピックは、1956年に開催された。
私は、1956年の欧州チャンピオンズ・カップを調べた。
すると、1956-57シーズンの欧州チャンピオンズ・カップには、ユーゴスラビアからはツルベナ・ズベスダ(日本では、「レッド・スター」と呼ばれているチーム)が参加していた。
そして、得点王になったベセリノビッチは、ツルベナ・ズベスダの選手ではなかった。
パルチザン・ベオグラードの選手だった。 だから私は、ベセリノビッチは、オリンピックに参加したのだと思っている。
もう1人のミラノフは、CSKAソフィアというチームに所属していた。
そして、CSKAソフィアは、欧州チャンピオンズ・カップに出場していた。
ミラノフは、欧州チャンピオンズ・カップに出場して、1956-57シーズンは、得点を決めていた。
しかし、このメルボルン・オリンピックに参加していた。
私は、このシーズンの欧州チャンピオンズ・カップの日程を見た所、メルボルン・オリンピックと重なっていなかった。
だから、ミラノフは、オリンピックに参加したのだと思っている。
以上の事を考えると、この1956年のメルボルン・オリンピックは、レベルの高い大会だった。
釜本が得点王になった1968年のメキシコ・オリンピックと違い、東欧の国々が、主力選手を参加させていた。

私は、以前、釜本邦茂が得点王になったメキシコ五輪の東欧国の代表チームのメンバーを調べた。
そうしたら、ほとんど23才以下のメンバーで占められていた。
そして、代表の主力選手、20代中頃、30才ぐらいのメンバーはろくに参加していなかった。
つまり、インド人、ネビル・ドゥスーザの方が、釜本邦茂より難易度の高いオリンピックで得点王になったのである。 だから私は、ドゥスーザの方が凄いと思っている。


私は、ドゥスーザは、もしかして才能的には、釜本より凄い選手なのでは?と思っている。
ドゥスーザは、インド代表での成績は、「15試合、10得点」という成績だった。
ちなみに、ウィキペディアのポルトガル語版でのドゥスーザのページでは、
「当時のインド代表は、ワールドカップ1950年大会のアジア予選を勝ち抜いたが、本大会に参加するのを辞退した。そして、次回のワールドカップ1954には、アジア予選に参加すらしなかった」と書かれている。
当時のインド代表は、ワールドカップに参加することに消極的だったようだ。
インドは、ワールドカップに参加しなかったが、その後、1956年のメルボルン・オリンピックに参加したら、ベスト4という好成績を残したのである。
私は、上述したが、この大会は、釜本らが参加した1968年のメキシコ五輪よりも、東欧のチームのメンバーのレベルが高いので、インドがベスト4まで勝ち進んだのは凄いと思っている。
という訳で、今回のブログをまとめると、日本のマスコミは伝えないが、釜本より先にオリンピックで得点王になったアジア人が居たという事である。
それはインド人の選手で、ネビル・ドゥスーザである。

 
 それでは、皆さん、さようなら。










現在、日本では、西部謙司、結城康平、浅野賀一、五百蔵容、らいかーると、北條聡、戸田和幸、雑誌「フットボリスタ」、雑誌「スポルティーバ」などにより、世界でろくに使用されていない戦術用語が、日本人サッカー・ファンに向けて発信されている。

私は、これらのサッカー評論家の特徴を説明したい。

まず、第1に、
「この戦術用語は、世界でろくに使用されていません」という注意を、日本人サッカー・ファンに一切、行わないという事である。

そして、第2に、
「聞き慣れない戦術用語を使用していることに得意気である。自分達は、先端、上位であり、他の日本人サッカー・ファンと一線を画している」とでもいうような傲慢さに溢れている。

第3に、
「複雑に語ろうとする。そして、物事を複雑に見せて、その複雑さを理解している自分は凄いだろ」という態度を見せる。

以上のような特徴がある。

そして、彼らは、自分達を、「戦術クラスタ」と呼び、「戦術を研究しているマニア」として誇らし気なのである。
そして、一般のサッカー・ファンと線を引き、「自分達は違う」とでも言うような優越性を見せている。
私は、彼らが使用している言葉が、「世界で普及している」とか、「本当に先端であり、これから普及する」というのならば、彼らの振る舞いを容認しようかなと思う。
 しかし、実際は、「彼らが使っている戦術用語は、世界でろくに使用されていない」。  
 また、「彼らが得意気に語っている戦術が、昔からある。30年前からある」というのが実態なのだ。
私は、これを見るにつけ、本当に日本人はおかしいと思うのだ。
例えば、「ポジショナルプレー」という戦術は、1980年代後半、ヨハン・クライフが既にやっている。それを、2000年代、弟子のジョゼップ・グアルディオラが真似してやっているだけである。  
 しかし、日本における、この「戦術クラスタ」と自称している連中たちは、そんな古い、昔からある戦術を、「先端」とか「最新」とか言っているのだ。
 これは、結城康平、西部謙司などが顕著である。
 私は、こいつらは、歴史をきちんと知らないのだと思っている。
 それにも関わらず、日本人サッカー・ファンにおかしな説明をしているのだ。
 私が何を言いたいかというと、日本人というのは、このような気質があるという事だ。   
 つまり、新語、他の人が知らない言葉というのを得意気に語り、「僕たちは、君らとは違うんだよ」とでもいうような態度を取るという特徴がある。
 私が海外の新聞を読んでいると、サッカー評論家たちの記事は、実に平易な言葉、聞き慣れた言葉で読者に記事を書いている。  
 しかし、日本人の場合、逆に、「聞き慣れない言葉」、「新語」を使いたがる傾向にある。
そして、それを書いているサッカー記者は、「皆さん、これ知ってますか? 知っている私は凄いでしょ」みたいなそんな雰囲気に溢れているのだ。  
 そして、それを読んだサッカー・ファンが、その日本人記者の真似をしてその新語を得意気に使い出すという展開になる。多くのサッカー・ファンが真似をし始める。
 そして、その言葉を広めたサッカー記者は、「すいません。この言葉は、世界でろくに普及していません」などとは正直に言わないので、自分で広めておいて、その責任は取らない。


 私は、海外のサッカー記者が、「ポジショナルプレー」という戦術について、「馬鹿げた流行」と一喝して相手にしていない記事を見た。
 日本の場合、こういう記者が居ない。
 日本の場合、「自分は、サッカーの何百ページもある論文を読んだ」と言って知的アピールをして来て、そして、「サッカーというのは複雑なモノだ」というサッカー観、メッセージを、読者に与えようとする評論家ばかりである。
 私は、本当にサッカーが、そのような極めて複雑なスポーツならば認めようと思う。
 しかし、実際の所、サッカーは、そんな複雑ではない。
 数学、物理のようなレベルが高くなればなる程、理解できない人が増えて行くというような世界ではない。
 なにせ、「11人 対 11人」で人力のみだ。そして、ルールはほとんど変わっていないスポーツである。
 外部からの新材料が導入されていないスポーツである。
 そんな閉鎖系世界のスポーツにおいて、100年も歴史が積み重なったら、「ほとんどの戦法は、既に試され、過去に誰かがやっている」という状態なのが普通だろう。
だから、現在、日本人サッカー評論家たちは、ジョゼップ・グアルディオラの戦術ばかりを紹介しているが、それは、30年前、ヨハン・クライフが既にやっている事ばかりなのである。
それにも関わらず、日本人サッカー評論家たちは、その現実を無視して、「最新」とか「革命」とか「現代型」とか、そのような革新的なことが起きたという印象を与える言葉を駆使して、サッカー記事を書きまくっているのだ。
 私は、この現状が本当に酷いと思っている。
 私が酷いと思うのは、全員、その姿勢である事だ。
 私が前述したように、海外のサッカー記者のように、「馬鹿げた流行」などと一喝して相手にしないような評論家はたったの1人も居らず、全員が、「最新」とか「革命」とか「現代型」とか言ってコラムを書きまくり、本を出版しているのだ。
どこにも冷静に歴史を伝えて、その間違いを指摘するサッカー評論家が居ないのだ。
つまり、サッカー・ファンをだまし、煽(あお)っているそのサッカー評論家たちを批判する別のサッカー評論家が居ないのである。
 繰り返すが、私は、この現状が、本当に酷いと思っている。


という訳で、日本人というのは、
「物事を必要がないのに複雑にして行き、複雑に見せることに喜びを感じる。
そして、そのような複雑な事を理解している自分は凄いだろという態度を見せる傾向がある。
そして、新語、聞き慣れない言葉ばかりを使いたがる。そして、その新語を共に使っている者同士で群れたがる。『使っていない人間と、俺たちは違うんだよ』という姿勢を取る」
という事である。
一方、海外のサッカー記者は、読者が理解し易いように、平易な言葉で分かり易く説明しようとする。
また、歴史をきちんと説明する。
「この戦術は、昔からありました」、「このプレー・スタイルの選手は、昔にも居ました」など、そのようにきちんと説明する。実に、淡々と説明してくれる。
日本人サッカー評論家のように、「最新の戦術」、「今までに居ないタイプの選手」など、そのようなわざと耳目を集める為に、おかしな事をしない。


 という訳で、私は、日本人というのは、本当におかしく、駄目だと思いました。
 私は、残念なことですが、日本では海外のサッカー記者のように、読者が理解できるように平易な言葉を使うよう心掛けるとか、歴史をきちんと説明して知ってもらおうと努める。
他には、読者を煽(あお)ることなく、淡々と説明してきちんと理解してもらおうと努めるなど、そのような評論家が、居ません。
そして、この先、そういうタイプが、多数、登場することは、極めて難しいと思います。
 と言うのも、日本人というのは、私がこのブログの冒頭で紹介したようなおかしな特徴を有している人間ばかりだからだ。
私のブログを読んだ方の中で、日本人サッカー評論家のおかしさに気づいたら、真似をしないようにして欲しい。
 あれを真似したら、読者にとってろくなことはないです。
 私が、今、説明したような気持ちで人に説明しようと思って下さい。


  それでは、皆さん、さようなら。





<< サッカーの授業。 >>


【 私が、日本人サッカー・ファンに、日本マスコミの手口を紹介する。】


私は、アメーバブログに何回も書いているが、日本のサッカー・マスコミにおける「新戦術、煽(あお)り商売」というのは、本当に酷いなと思う。
読者の皆さんは、「また、その話題かよ」と思うかもしれない。しかし、私は、再び書く。

私は、この「新戦術、煽り商売」というのをやっている筆頭は、「カンゼン」という出版社、そして、雑誌「フットボリスタ」だと思っている。
これらの会社の特徴として、まず第1に、「サッカーは進歩している」、「サッカー界は、急速に変化している」という文章を、雑誌、インターネットのサイト上に書いている。最初に、そういうメッセージを読者に発信して煽っている。
そして、第2に、「『サッカーは変化している。戦術は進歩している』という外国人の評論家、戦術分析官のインタビューを掲載している」。
これをする事で、彼らは、日本人読者に「サッカー界は、新戦術というのが出て来て、急激に変化しているんだ」、「サッカー界は、昔とは大きく違うんだ」という印象を与えるのである。
読者は、外国人のインタビューが載せてあると、その説は正しいと思い、信憑性を感じてしまうからだ。
私は、これは、雑誌「フットボリスタ」の戦略だと思っている。 
編集長、浅野賀一による商売上の戦略だと思っている。
そして、雑誌「フットボリスタ」は、それらの外国人の著作を翻訳した本を出版している。
また、西部謙司、結城康平など、日本人評論家たちは、それらの外国人と同じ考えの本を出版しているのである。

ここでポイントなのは、これらの会社、雑誌は、「サッカー界で、新しい戦術は出てない」とか、
「その戦術は、30年前からある」とか、そういう海外のサッカー評論家は、決して紹介しないのだ。
私は、このブログで何回も説明しているが、西部謙司、結城康平らが使う、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」などのサッカー戦術用語は、海外のスポーツ新聞を読んでも、ろくに使用されていないのだ。
そして、海外のスポーツ新聞の読者投稿欄を読んでも、サッカー・ファンが、それらの言葉を駆使して議論している光景は目にしない。
つまり、これらの言葉は、世界でろくに普及していないのだ。
そして、「ポジショナルプレー」という戦術は、1980年代後半、ヨハン・クライフという監督が、既にやっているのだ。
だから、全然、新しくないのである。
クライフは、1980年代後半、FCバルセロナの監督だった。そして、その時、ジョゼップ・グアルディオラは、このチームの選手だったのだ。
そして、現在、グアルディオラは自分が監督になって、1980年代にクライフがやっていた事を、真似してやっているのである。
だから、スペイン・サッカー界における大物サッカー評論家、ホルヘ・バルダーノは、
「グアルディオラは、クライフが作ったモノをやっているだけだ」と評論している。
実に、素っ気ない回答をしているのだ。
それにも関わらず、日本のマスコミというのは、西部謙司、結城康平らを筆頭に、「現在は、サッカー界は、戦術が進歩している」、「グアルディオラは革命家」とか、そんな言葉を駆使して、日本のサッカー・ファンを煽りに煽っているのだ。
ちなみに、この西部謙司、結城康平というサッカー評論家たちは、「ポジショナルプレー」についての本を、既に出版している。
つまり、この2人にとっては、「ポジショナルプレー」という戦術に、日本人が関心を持ってくれると、自分の本が売れるのである。
だから、この2人は、世界で「ポジショナルプレー」という戦術用語に関して、認知度が低いとか、海外のスポーツ新聞でろくに使用されていないという状態であっても、それらの説明は、日本人サッカー・ファンに誠実に行うことを拒否しているのである。
彼らは、前置きとして「日本人読者の皆さん、これらの戦術用語は、世界でろくに使われていません」というような説明はしないのである。
そして、雑誌「フットボリスタ」も同じ考えで、「日本人サッカー・ファンが新戦術があると思ってもらった方が、自分達は儲かる」と思っているのである。
それ故、彼らは「正確な情報を伝える」という姿勢は捨てて、お構いなしに活動しているのである。
 私は、これが、本当に酷いと思う。
私が、最近、酷いと思ったことは、西部謙司が、「ポジショナル・プレーが標準装備された世界で日本代表は何で『違い』を作るべきか?」と題して、コラムを書いていたのを見つけた事である。
そして、コラム内では、以下のように書いているのだ。
「ヨーロッパの予選のほうも強豪国中心にサラサラっと見ましたが、だいたい予想どおりといいますか、びっくりするような変化はなかったと思います。いわゆるポジショナル・プレーの考え方はどこも入っていますね。ただ、クラブチームほど練られていないのも同じ。スペインがちょっと退化している感じだったのは少々驚きでしたが。」
と書いているのだ。

 私は、前回のブログで紹介したが、スペインの戦術分析サイトでは、「現在、スペイン代表は、ポジショナルプレーをやっていない」と説明されているのだ。
 そして、私は、スカパーの無料放送の時、ジョゼップ・グアルディオラの1時間以上ある長時間のインタビュー番組を見た。
 そこで、グアルディオラは、「代表チームでは、ポジショナルプレーをやるのは、練習する時間が多く取れないので難しい」と話していた。
 つまり、代表チームでは、「ポジショナルプレー」という戦術は、やりづらいのだ。
 一緒に活動する期間が短いので、こういう「マニュアル戦術」、「決まりごとの多い戦術」を行うのは困難なのである。
 それにも関わらず、西部謙司は、日本人サッカー・ファンに向けて、『ポジショナルプレーが標準装備された世界』と言って、現在のサッカー界を説明しているのだ。
私は、これが、酷いと思っている。
 雑誌「フットボリスタ」に関係するサッカー評論家たちは、皆、こんな感じである。
 私は、こいつらが、現実と違うことを述べて、「『ポジショナルプレー』が世界的に大きなブームを起こしている」とでもいう感じで、日本人サッカー・ファンに伝えるのが、本当に酷いと思っている。

 という訳で、これが、私が今回のブログで言いたかった事である。
 前回のブログで、私は、藤坂ガルシア千鶴というサッカー記者が、「フェルナンド・ガゴ監督が、ポジショナルプレーをやっている」と、ツイッターで日本人サッカー・ファンに説明していることの間違いを指摘した。
 そして、私は、最近、西部謙司が、藤坂ガルシア千鶴と同じように、「ポジショナルプレー」という戦術について日本人を煽っているのを見たので、またこのブログでそれを酷いと指摘したのである。

 私は、今回、これらの酷い光景を見て、この酷い商売は、日本では、この先、ずっと続くのだろうと思った。
 私は、本当にこいつらが、「日本人サッカー・ファンにウソを言って煽って、自分の本を買わせようとする」という姿勢には、一切、変化がないという事を知った。
 私は、自分のブログの読者の皆様だけでも、日本のこの酷いマスコミの状態を知って頂きたいと思います。

  それでは、皆さん、さようなら。



【 サッカー記者、藤坂ガルシア千鶴の酷さ。藤坂は、ウソを言っている。
  藤坂は、日本人に、フェルナンド・ガゴ監督が「ポジショナルプレーをやっている」と、間違った説明をしている。】
      &
【 特集。 フェルナンド・ガゴ監督の戦術。】


私は、インターネットで、サッカー記者、藤坂ガルシア千鶴という人のツイッターを見た。
すると、藤坂は、以下のような投稿をしていた。


スクリーンショット 2021-03-23 063134
【写真解説】  
藤坂ガルシア千鶴が、ツイッターで上げていた動画と文章です。        
黒い服を着ている男性は、フェルナンド・ガゴ監督です。



私は、この藤坂の説明を聞いて、非常に不思議に思った。
それは、藤坂が「フェルナンド・ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明していたからである。
私は、アルゼンチンの有名スポーツ新聞、「オレ」紙を閲覧する事が多い。
そして私は、以前、「オレ」紙のサイト内検索で、「ポジショナルプレー」という単語を検索しても、なんと5件しか記事がヒットしなかったからだ。
そして、ポジショナルプレーについて詳細に説明しているのは、その内、僅か2件だった。
それ程に、「ポジショナルプレー」という戦術用語は、南米では使用されていないのだ。
故に、私は、藤坂が「ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明している事に、大きな疑問を抱いたのだ。
私は、「それは、本当なのか?」と思ったのだ。
そして、私は調べてみた。すると、藤坂が説明している内容と、正反対だったのだ。
これから、それを皆さんに説明する。



まずは、2021年、1月22日、フェルナンド・ガゴが、アルドシビの監督に就任した記者会見でのコメントを紹介する。
これは、「ラ・ナシオン」紙で発行された記事である。
記事タイトルは、
Fernando Gago, inspirado por el DT de España: "Luis Enrique me abrió la cabeza y me hizo entender el juego"

これを和訳すると、
「フェルナンド・ガゴ、スペイン代表の監督に影響を受けた。”ルイス・エンリケは、私の頭を開き、プレーの仕方を理解させた”」である。


ガゴは、この記事で、自分が好むサッカー・スタイルについて以下のように述べた。

「私は、アルドシビで、まだ、たった1回、トレーニングしたばかりなので、今日、チーム・スタイルを説明するのは難しいです。しかし、私が好むサッカー・チームは、ボールを上手く扱いプレーする、ポゼッションをする、激しさがあるチームであることは確かです。


以下が、その原文です。

「El estilo es difícil decirlo hoy, con un sólo entrenamiento. Pero sí está claro que me gustan los equipos que jueguen bien a la pelota, que tengan posesión, que sean intensos. 」



更に、ガゴは、「影響を受けた監督は?」 という質問について以下のように述べた。

私が、イタリアのASローマでプレーした時、監督だったルイス・エンリケです。 私はいつも、一番、優れた監督は、ルイス・エンリケだと言っています。ルイス・エンリケは、私の頭を開かせ、プレーの仕方を理解させました。皆さんが、ルイス・エンリケが行っているゲーム・モデルについて考えるのは、明らかに難しいでしょう。なぜなら、ルイス・エンリケのようなやり方をしている監督はほとんど居ないからです。私は、現在、スペイン代表を率いているルイス・エンリケ監督について話しています。
私は、ルイス・エンリケのコンセプトから多くを学びました。そして、私は、アルドシビが、そのルイス・エンリケのプレーの仕方ができるようになる為に頑張りたいです」と語った。 

以下が原文です。
「Gago eligió a un técnico específico a la hora de señalar aquellos que lo han marcado: Luis Enrique, con quien trabajó en Roma, de Italia. "Siempre me identifiqué y dije que el mejor que tuve fue él. Fue Luis quien me hizo abrir la cabeza y entender el juego. Obviamente que va a ser difícil pensar en un modelo de juego así porque ese modelo lo hacen muy pocos entrenadores y estamos hablando del técnico de la selección de España. Aprendí mucho de sus conceptos e intentaremos que a Aldosivi se lo reconozca por una forma de jugar", dijo.」



私は、ルイス・エンリケ監督が、どういうサッカーをしているのか詳しくは知らない。
しかし、私が知っている範囲で言うならば、ルイス・エンリケは、世間的に、ポジショナルプレーをする監督という捉え方をされていないのではないか?と思う。
私は、ルイス・エンリケは、むしろ、「カウンター」のサッカーをする監督で有名なのではないか?と思う。


私は、ルイス・エンリケがどういう戦術を使う監督なのか、詳しくは知らなかったので、その後、
「ルイス・エンリケ監督のスペイン代表の戦術を説明しているサイト」を調べた。戦術解説のサイトを見つけた。
そこでは、以下のような文章が書かれていた。

「スペイン代表チームのシステムは、FCバルセロナの4-3-3システムと同じですが、代表チームは、より垂直的なチームです(縦のサッカーをするという意味)。 こうなっている理由は、基本的に、ルイス・エンリケ監督が、代表チームでは、他の特徴を持った選手を自由に起用できるからです。そして、代表チームの選手は、 ポジショナルプレーを実現できるような豊かな能力がないからです。


以下が、原文である。

「Aunque la organización es la misma que en el Barcelona, el 4-3-3, la Selección es un equipo más vertical. Es así porque básicamente tiene otro perfil de futbolistas a su disposición; no con tanta capacidad de implementar un juego posicional. 」

以上である。

つまり、サッカー評論家が、現在、ルイス・エンリケ監督が率いているスペイン代表を分析すると、「ポジショナルプレーをやっていない」と説明しているのだ。
私のこの引用に疑問がある方は、以下のサイトを見て頂きたい。
以下が、私が、上記の文章を引用したサイトである。
     ↓
https://es.coachesvoice.com/analisis-las-variables-tacticas-de-luis-enrique/




続いて、2021年、2月26日に発行された、「オレ」紙の記事を紹介する。
これは、フェルナンド・ガゴ監督が、「自分のサッカー観」 を披露した内容である。
記事のタイトルは、「Gago:  “La forma no se negocia”」 である。
これを和訳すると、「ガゴ監督、” 形は、決まっていない ”。」である。
ガゴ監督は、記者会見で、次のように述べた。
「私のチームは、プレイの形を持っている。それは、決められていない(臨機応変、柔軟性があるという意味)。
私のチームは、ある時は、見栄え良く、ボールを回す。そして、またある時は、縦に攻めるサッカーをしないといけない。しかし、チーム(選手達)は、それらのシステムを理解し、適応して行っている。それは、とても重要な事だ」
以上である。 これの原文が以下である。

"Tenemos una forma de jugar y eso no se negocia, por momentos más vistoso, más circulación y en otros momentos deberíamos ser más directos, pero el equipo se va adaptando  a entender los sistemas, eso es muy importante",


以上のように、ガゴ監督は、「ポジショナルプレーをやっている」などとは、一言も述べていないのだ。

ガゴ監督が理想とするルイス・エンリケ監督のサッカー・スタイルというのは、「ポゼッションもするし、カウンターもする。2つの戦術を併用している」というモノだ。
皆さんにとっては、上記のガゴ監督の説明は分かりづらいかも知れない。しかし、私は、このガゴの説明は、ルイス・エンリケのサッカー・スタイルと似ていると思った。
私の印象では、FCバルセロナ時代のルイス・エンリケのチームは、ポゼッションだけでなく、カウンターもするチームだった。両方するチームだった。だから、私には、ガゴ自身の説明で、ガゴの目指すサッカー・スタイルが、よく理解できた。


次に、私は、藤坂がツイッターにアップした、上記の写真で紹介している試合について調べることにした。
私は、その試合後のガゴ監督のコメントを調べることにしたのだ。
これは、2021年、3月21日、「オレ」紙に掲載された記事である。
記事のタイトルは、「Gago y el arte de convencer al jugador.
これを和訳すると、「ガゴ監督と選手を説得する芸術」である。

この記事で、記者は、以下のように書いている。
ガゴ監督のアルドシビのスタイルは、グアルディオラのマンチェスター・シティでもクロップのリバプールでもありません。
アルドシビは、サンロレンソを倒したが、後半は苦しんだ。望んでいなかった試合内容となった。
第6節が終了して分かったことは、フェルナンド・ガゴ監督は、明確なアイディアを持った監督であり、それを選手に伝えることができる人物だという事だ。
ガゴ監督の会見では、流行っているサッカーの馬鹿げた原理主義を聞くことはない。
ガゴ監督は、もし「ボールを止める」ことの重要性を強調しなければいけない時、迷うことなく、それを選手に指示する。ガゴ監督は、全くグアルディオラ、クロップの両監督のステレオタイプの手法に加わるつもりはなく、理想主義でも、現実主義でもない。
ガゴ監督は、選手に『ボールを保持しろ、良い連係をしろ、流動的に動け、スペースを作れ』ということを求め、それを繰り返し、指導しています。」

以下が、原文である。

「Aldosivi no es ni el City de Guardiola ni el Liverpool de Klopp. Aunque le ganó a San Lorenzo, sufrió el segundo tiempo y terminó jugándolo donde menos quería. Pero en el balance de estas seis fechas, se puede aventurar que Fernando Gago es un entrenador de esos claros en su idea y que evidentemente contagian, convencen. En el discurso del DT no se escuchan fundamentalismos absurdos de moda y si hay que destacar la importancia de la “pelota parada”, lo hace sin problemas. Lejos de afiliarse a los encasillamientos que enfrentan en bandos a los técnicos, no se siente ni idealista ni pragmático y repite que se trata de buscar “tenencia, buenas asociaciones, tener circulación, generar espacios”.」


 このように、「オレ」紙の記事では、藤坂が説明したのとは、全く正反対のことが説明されているのだ。
藤坂は、日本人に「ガゴ監督が、ポジショナルプレーを志向している」と説明している。
ジョゼップ・グアルディオラ監督は、ポジショナルプレーの戦術を使用している事で、非常に有名な監督である。グアルディオラ監督は、「ポジショナルプレー」の代名詞とでも言うべき監督である。
しかし、「オレ」紙では、
ガゴ監督のサッカーは、ジョゼップ・グアルディオラのサッカーでも、ユルゲン・クロップのサッカーでもない。どちらの馬鹿げたサッカーの流行にも加わらない
と説明されているのだ。

私は、これを読み、藤坂に対して、大きな不信感を抱いた。
と言うのも、この藤坂という人物は、雑誌「フットボリスタ」に寄稿している人間だからだ。
私は、藤坂も、雑誌「フットボリスタ」と同じく、この「ポジショナルプレー」という戦術が、「世界的に流行していると、日本のサッカー・ファンに思わせようとしているのでは?」 と思い始めた。
私は、藤坂は、そのように、雑誌「フットボリスタ」と同じく、新戦術詐欺商売に加担しているので、このような事実と違う、勝手な事を発言しているのでは?と思い始めた。
私は、以上のような疑いを持った。
私は、自分のアメーバ・ブログで(注: 現在は、消滅しています)、雑誌「フットボリスタ」を批判している。
その理由は、雑誌「フットボリスタ」は、「新戦術詐欺商売」をしているからだ。
また、「世界で流行っていない戦術を流行っているというデマを流している」からだ。
その一番の例が、「ポジショナルプレー」、「ストーミング」である。
私は、「ポジショナルプレー」という戦術は、FCバルセロナ界隈(かいわい)、スペイン・サッカー界隈(かいわい)でしか流行っていないと思っている。
その理由は、前述したように、私は、「オレ」紙でサイト内検索したら、ヒットした記事数が、驚くほど少なかったからだ。
その為、今回、藤坂が、「ガゴ監督は、ポジショナルプレーを志向している」と説明したので、私はそれを不審に思い、再び「オレ」紙で調べた訳だ。
すると、今回、説明したように、藤坂が説明する事とは、大違いの記事が見つかったのである。

私は、これは本当に酷いと思う。
日本人サッカー記者というのは、ここまで日本のサッカー・ファンに向かって「ポジショナルプレー」という戦術が、世界で流行っていると思わせたいのだろうか?
私は、彼らがウソまでついて流行らそうと活動しているならば、これは本当に酷いと思う。
私は、雑誌「フットボリスタ」と、そこに寄稿する連中、浅野賀一、西部謙司、結城康平が酷いのは、以前から分かっていた。
しかし、藤坂まで、西部謙司、結城康平、浅賀賀一と同じ考えなのだろうか?と思った。それに驚いた。
とにかく、私は、日本には、本当にマトモなサッカー評論家が居ないと思う。
私には、彼らは、「ポジショナルプレー」という戦術が話題になれば、自分達の雑誌が売れるので、無理に流行らせようとしている。日本のサッカー評論家、出版社などは、皆で金儲けの為に、平気でウソまでついて協力しているのではと思い始めている。
それぐらい、彼らは、おかしな事をしている。

私のブログの数少ない読者だけでも、この日本の酷い現状を知って頂きたい。


 それでは、皆さん、さようなら。







【 日本のサッカー評論家たちを見て思う既視感。】
          &
【 日本人は、いつの時代でも変わらない。結局、その時代のヨーロッパの有名チームを真似るだけである。】



現在、日本人サッカー評論家たちにより、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
私は、それを見ると、既視感を覚える。
1990年代、「ゾーン・プレス」という戦術が流行った。
当時、日本のチームは、ACミランのプレッシングのサッカーを真似していた。日本代表チームまで、それを模倣していた。
私は、それを冷ややかな目で見ていた。私は、「10番を中心にしたサッカーが一番、面白い」と思って見ていた。
今回は、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
これは、結城康平、西部謙司、浅野賀一らのサッカー評論家によって宣伝されている。
私は、それを見て、「10番を中心にしたサッカーが一番、面白いだろ」と思って見ている。
つまり、「いつの時代でも、10番を中心としたサッカー」が面白いのだが、日本人サッカー・ファンと日本人サッカー評論家はそれを知らないという事である。
それで、いつの時代でも、皆、「ヨーロッパの強豪クラブがやっている戦術を真似しろ」と言って、多くのチームが一生懸命、真似をしようとする。
私は、この状態が、本当にアホだなと思う。
世界中のチームが、「ポジショナルプレー」を真似している訳ではない。
そもそも、このポジショナルプレーという戦術は、世界で少数のチームしかやっていない。
しかし、日本人は、「ヨーロッパの強豪チームの真似をしたい」というヨーロッパ好きの民族である。
その為、評論家がそのように煽り、それに煽られたサッカー・ファンは、その言葉を信じている。
つまり、日本人は、サッカーの面白さを知らないという事だ。

 それでは、皆さん、さようなら。

【 日本のサッカー評論家たちが、ポジショナルプレーを流行らす異常さ。】


現在、結城康平、西部謙司、北條聡らによって、日本では、「ポジショナルプレー」という戦術が宣伝されている。
私は、これらのサッカー評論家たちは、まるで、日本のサッカー・ファンを煽(あお)っているように見える。
結城康平は、「ポジショナルプレーのすべて」という本を出版している。また、西部謙司もポジショナルプレーについての本を出版している。
私は、彼らは、「日本でポジショナルプレーという戦術が流行れば、自分の本が売れるので盛んに宣伝している」と思っている。
私が、なぜ彼らを批判しているかというと、私が、海外のスポーツ新聞を見た時、「ポジショナルプレー」という言葉をろくに見かけないからだ。 また、海外のスポーツ新聞で、「ポジショナルプレー」という語句をサイト内検索しても、ろくにヒットしない。
そういう訳で、ポジショナルプレーという戦術自体が、サッカー記事で、まるで紹介されていない。
そして、世界のサッカー・チームにおいて、「ポジショナルプレー」という戦術を使用して戦っているチームが少ない。
恐らく、FCバルセロナ、マンチェスター・シティぐらいだろう。
それぐらい、このポジショナルプレーという戦術は使用されていない。
だから、私は、結城康平、西部謙司らが、「世界で流行っている」として、日本のサッカー・ファンに宣伝して煽っているのを見ると、「こいつらは詐欺師だ」と思うのだ。
日本のサッカー・ファンに、きちんと世界の事情を説明せず、まるで世界的ブームが起きているようにして煽っている。
私は、この辺の日本人サッカー評論家の姿勢というのが、本当に酷いと思っている。


 それでは、皆さん、さようなら。






【 サッカー評論家、北條聡の説明は迷惑だ。】
         &
【 北條聡のコラムは、正確さが不足している。】



サッカー評論家で、北條聡という人物が居る。
私は、この男が連載している「サッカー世界遺産」というコラムを読む時がある。
北條は、このコラムで、「過去の有名チーム」を紹介している。
私は、このコラムを読むと、かなりの頻度で、「えっ、それ違うだろ」と思う時が多い。
具体的に言うと、前回のコラムで紹介したサントスFCの件などがそうである。
私は、本日、北條が、自分の連載コラムで、2000年頃のバレンシアを取り上げていたのを発見した。
私は、当時、スペイン・リーグを毎週、見ていた。だから、バレンシアに興味があった。
それ故、そのコラムを読んだ。
そうすると、私は、またしても、北條の説明を読み、「えっ、それ違うだろ」と思った。
北條聡は、当時のバレンシアについて、「4バックのチーム」と紹介していたのだ。
また、ジェラールという選手が、「トップ下」と説明していたのだ。
私は、「当時のバレンシアは、5バックだったろ?」と思った。 
また、「ジェラールは、ボランチやっていただろ?」と思った。
その為、私は、映像で確認した。すると、クーペル監督のバレンシアは、4バックと5バックを併用していた。
そして、ジェラールがボランチを務めていた。

私は、北條のコラムを読むと、このような事をするはめになる事が、本当に多い。
北條のコラムを読んだ為に、「自分の記憶と違うことが書いてある」という事態に直面し、それで、「俺の記憶が間違っていたかな?」と思い、過去の試合をわざわざ見返す。そして、「やっぱり、俺の記憶が正しかった。北條が間違いを書いている」という結論になる。
という訳で、私は、北條はよく調べていないと思っている。
私のような当時、スペイン・リーグをばっちり見ている人間にかかると、北條の情報の不正確さ、浅さを発見してしまう。
北條は、一生懸命に書いているようだが、まだ調べ方が足りない。
多分、北條は、ウィキペディアを見た程度で書いているのだろう。西部謙司にしても、北條聡にしても、「ウィキペディアが間違っている」という思考が無いのだろう。
私は、「ウィキペディアの間違いを簡単に分かる」という人間である。
一方、日本のサッカー評論家は、「ウィキペディアを信用してサッカー・コラムを書いている」という状態なので、ウィキペディア情報をそのまま書くので、間違いを書く場合が多くなるという事だろう。
私は、他にも北條聡のコラムについて、「ここは違う」と思う箇所があった。
しかし、それを書くと、他のサッカー・ファンの知識レベルを上げてしまうので、今回は、ここまでで止めておく。

 とにかく、日本のサッカー評論家には、「ウィキペディアではなく、きちんと試合を見てからコラムを書いてくれ」と言いたい。


 それでは、皆さん、さようなら。




【 サッカー評論家、北條聡の酷さ。】


サッカー評論家で北條聡という人物が居る。
この男は、自分のコラムで、「ペレの時代のサントスFCでは、メンガウビオという選手が司令塔だった」という大嘘を書いている人間である。
私は、これが、あまりにも事実と違うので、アメーバ・ブログにおいて指摘した。
私は、そのブログで、「北條聡は、このコラムを即刻、書き直せ」と批判した。
北條聡は、私のブログの読者であり、私のブログから表現を盗んで書いている人間である。
だから、私は、自分のブログ上で、この北條の間違いを指摘し、「書き直せ」と命令をしたのだ。
そして、私は、本日、サッカー・マガジンのサイトを見ると、相変わらず、この北條聡のコラムが掲載されているのだ。 私は、驚いた。
という事は、北條聡という人物は、「サッカー・ファンが、間違い知識を身に着けても構わない」という人間なのだ。
このコラムは、2020年、11月6日に発表された。
つまり、サッカー・マガジンのサイトでは、かれこれ、もう4カ月以上もずっと掲載されている。
私は、この状況を見て、本当に酷いと思った。
つまり、日本のサッカー評論家は、いかに「誠実さが無い」という事だろう。
自分で間違いを書いても、訂正するのが面倒臭い。 訂正するのはプライドに関わるとでも思っているのか、書きっぱなしで終わりである。
私は、本当に日本のサッカー評論家というのは、ろくでもない奴が多過ぎると思っている。
私は、北條聡のこのコラムを読んで、「それが正しい知識だ」と思って記憶してしまったサッカー・ファンを可哀そうに思う。


  それでは、皆さん、さようなら。



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