「サッカー日本代表の釜本記録水増し」に抗議している男のブログ。& 極悪ウィキ執筆者Athleta、別アカウントAth02問題。他に「日本代表の八百長試合事件」も抗議しています。

JFAとウィキペディア執筆者の記録捏造が酷過ぎる。JFA幹部は自分達の記録を良くする為、基準変更をした。 そして1人のウィキペディア執筆者がデマを流し、日本国民をだましている。世界に広がる釜本80点のデマ。日本人はAthleta(Ath02)の悪行を知り、早く永久追放すべし

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私は、コメントされても返信しません。
そして、訪問者がコメントを書いても、このブログには基本的には、表示しません。
それでもコメントを書きたい方は、書いて下さい。

カテゴリ: サッカー評論家、結城康平を批判する。



今年、5月、サッカー評論家、結城康平の著書が出版された。
私は、その本が出版された後、その本の「アマゾン・レビュー」を見た。
すると、その本を批判するレビューが、確か5つぐらい書かれていた。
好意的なレビューはゼロで、批判コメントばかりであった。
私は、「やはり結城康平の本は、評判が悪いんだな」と思って、そのページを去った。
私は、最近、再び、結城康平のその本のアマゾン・レビューを見た。
すると、なんと、「否定的なレビューが、全て無くなっていた」のだ。削除されていた。
そして、1つだけレビューが書かれていた。
そのレビューは、結城の本に対して好意的なレビューであった。
私は、これを見て、とても驚いた。
「どうしてマイナス評価されているレビューが、全て削除されているんだ?」と思った。

私は、アメーバブログで(注:現在は、存在していません)、結城康平を批判した場合、アメーバブログの運営から、即刻、「閲覧禁止」の措置を受ける。
私は、天皇陛下とか、他の人間とか、アメーバブログでたくさん批判しているが、まず閲覧禁止にならない。
しかし、結城康平を批判した場合、運営から最も「閲覧禁止」の措置を食らうことが多い。
私は、常々、それが不思議であった。
そして、私は、結城康平の著書のアマゾン・レビューを見て、「否定的なレビュー」が全て削除されているをのを見て驚いたわけである。

私は、これらの現象には、裏で結城康平が、自分の評判を良くする為に活動しているのでは?と推測している。

私は、アメーバログで結城康平に批判的記事を書いて閲覧禁止にされた場合、それと同じモノを、このライブドアブログに書いている。
私にとってライブドアブログとは、そういう場所と化している。
そして、今回も、結城康平に関して批判的な記事なので、最初からライブドアブログに書いているという訳だ。

私にとって結城康平に関することは、「おかしな現象が起きる事が多い」という感想である。


 それでは、皆さん、さようなら。



 参考資料です。
   ↓ 





















 
【 前文 】


私は、本日、アメーバブログに掲載していた記事の1つが、運営から閲覧禁止の措置を受けているのを見つけた。
その為、また、その禁止されたモノを、そのまま、このライブドアブログに転載する事にした。
それが以下である。


【 本編開始 】


【  結城康平というウソつき人間。】



私は、雑誌「フットボリスタ」が、「ストーミング」、「ポジショナルプレー」などの言葉を、世界で流行っている、先端の戦術用語として紹介しているのを批判した。
すると、雑誌「フットボリスタ」に寄稿しているサッカー評論家、結城康平は、ツイッターで以下のように答えた。


スクリーンショット 2020-11-06 093807


以上である。


つまり、私が、批判したように、「ストーミング」なんで言葉は、世界で流行っていないのである。
しかし、こいつらは、日本のサッカー・ファンに向けて、「世界で流行っている」とでもいうような感じで記事を書き、伝えるのである。私は、これは、「ウソつき」のレベルではないかと思う。
また、私は、今月、1月11日に自分のブログで、「結城康平(29才)という人物が発端となり、『ポジショナルプレー』という言葉が日本に広まった」と書いた。
すると、結城康平、本人から批判された。彼は、自身のツイッターで、私の記事を取り上げた後、以下のように反論した。


結城康平 ‏ @yuukikouhei  2020年、1月19日
名指しされてしまったので、簡単にご返信を。
① ポジショナルプレーを広めたのが、私だという誤解について
  ↓
2016年にはオスカル・カル・モレノ氏の
著作 「グアルディオラのポジショナルプレー特別講座」が発売されており、
海外でも先行して同様の本が発売されています。


スクリーンショット 2020-11-06 094826




今回のブログは、私が結城康平へ新たな反論をする為に書いている。「結城の主張がおかしいという証拠」を見つけたのだ。結城康平は、昨年7月に、「ポジショナルプレー」に関する本を出版している。私は、本日、「アマゾン」という本も買えるネット・サイトで、その本について見ていた。すると、そこでの彼の著者紹介には、このように書かれていた。

結城 康平 / Kohei Yuuki
1990年生まれ、宮崎県出身。ライターとして複数の媒体に寄稿しつつ、翻訳・通訳・編集として活動。欧州サッカーを中心に「何でも屋」として複数のプロジェクトに参加している。海外サッカー専門誌『フットボリスタ』で「TACTICAL FRONTIER 進化型サッカー評論」を連載中。スコットランドで過ごした大学院生時代に培った英語文献を読み解くスキルを活用しながら「欧州最先端の戦術研究」に独自の視点でアプローチする。
日本のサッカー論談にポジショナルプレーを紹介した伝道師としても知られ、
Twitterアカウント(@yuukikouhei)のフォロワー数は3万人以上。

以上である。

以上のようにアマゾンの著者紹介には、はっきりと、「結城康平は、日本のサッカー論談にポジショナルプレーを紹介した人物」として書かれているのだ。
また「商品の説明」の箇所でも、以下のように説明されている。
『ポジショナルプレー』という概念を日本のサッカー論談に持ち込んだWEB発の新世代ライターが徹底解剖
と書かれている。

結城康平は、著者紹介、商品説明の中に、「自分は、『ポジショナルプレー』という概念を日本に広めた」と宣伝して活動中である。それにも関わらず、私から、「結城康平は、日本にポジショナルプレーを広めた」と書かれた事に対して、「それは誤解だ」と言って批判して来るというのは、おかしかろう。これは、筋が通らない話だろう。私に対して、この男はなぜこのような批判・反論ができるのか理解できない。という訳で、私は、「結城康平はウソつきだ」という結論に至った。また1つ、「結城康平は、信用できないサッカー評論家だ」という認識を深めた。私は、結城は、本当に 「無責任な奴だ」と思った。

また、私が、「ポジショナルプレーという用語が世界で流行っていない」と批判したら、結城康平は、以下のように答えた。
ここまで執拗にキレられると、知らぬ間に故郷の村をポジショナルプレーに焼かれたのかと不安になってくる。

スクリーンショット 2020-11-06 103514.pnga


以上である。


私は、皆さんに、この結城康平というサッカー評論家が、非常にいい加減だという事を知って頂きたい。結城康平というサッカー評論家は、日本のサッカー・ファンに、「サッカー用語」を伝える際、世界での普及率とか、認知度とか、そういうことは隠し、さも、「これは、世界で流行っている」という感じで伝えるのである。そうやって、サッカー・ファンをだますのだ。そうする方が、自分の本が売れるからである。私は、これは非常に問題があると思う。
皆さんは、結城康平というサッカー評論家が、何か新語を紹介していて、それが、重要な言葉、世界で流行っている言葉と説明していても、それを鵜呑みにしないことをお勧めする。
それでは、皆さん、さようなら。
参考資料です。
  ↓







私は、この2人のサッカー評論家は、酷いと思っている。
この2人に特徴的なのが、「サッカーは進歩している」と最初から結論している事である。
この2人が、毎回、やる手法として、
昔のあるチームを否定して、そして現代のチームは、昔のそのチームと比べて、この部分が優れている。進化した」という評論をする。
そして、「サッカーの進歩を強調する」、「これは、新戦術だ」と言って煽(あお)るというのを繰り返している。
こいつらは、「細かい所」を議題に上げて、そこを見て「進歩した」と喚(わめ)くという連中である。 微差(びさ)を殊更に強調して騒ぐ、アホな連中である。
私は、こいつらがこのような手法を取り煽るのは、ただ自分達が出版している本がより売れる為にやっていると思っている。
「現代は、昔に比べて進歩していません。むしろ、昔より劣っています」と言ったら、こいつらにとっては商売上、歓迎できない。
だから、無理矢理にでも、細かい部分を持ち出して来て、「過去のチームを否定し、下に置き、それより現代のチームは優れている」ということを発表し続けるのである。
つまり、この2人は、「常にサッカーは進歩しており、現代が最も優れた状態である」という思想を発表する主義なのである。

私は、これが、本当に酷いと思うのである。
特に、結城康平のような昔のサッカーをろくに見ておらず、勉強していない浅はかな人間が、そういうウソを述べ、何も知らない若いサッカー・ファンをだましているのを見ると、本当に酷いと思う。

例えば、西部謙司は、「1980年代後半のACミランと2010年代のリバプールは、ハイ・プレスをしているが、内容は違う。リバプールのプレスは、より進歩したモノだ」と言っている。
また、結城康平は、「クライフ時代の偽サイドバックと、グアルディオラがやっている偽サイドバックは違う。グアルディオラの方が進歩したモノだ」と言っている。
つまり、この2人は、このように「ハイ・プレス」、「偽サイドバック」という同じ事をしているチームを見ても、「過去のチームを否定し、現代のチームが上だ」という内容で、毎回、日本人サッカー・ファンに説明をするのである。
私から言わせれば、「どっちもハイ・プレス、偽サイドバックで似たようなもんだろ。そこに上下があるのか? こいつらアホか?」という感じである。
その他に私は、「過去のそのチームと現代のチームが試合した訳でもないのに、頭から過去のチームを否定にかかるなよ。試合したら、過去のチームが勝つ可能性があるだろ。サッカーは勝負事だろ。戦術の話で、チームの上下を決めるなよ」と思う。
特に、ACミランは、当時、最強リーグであったイタリア・セリエA(国内リーグ)で、2年半も負けていなかった。
それぐらい負けないチームであった。
クライフ時代のFCバルセロナは、「国内リーグを4連覇」した。それぐらい強いチームだった。
私は、そんなチームに対して、西部謙司が、「昔のACミランより、現代のリバプールが上だ」と言っていても、「そんなの試合をしてみねーと分からねーだろ!!」と思う。
また、結城康平が、クライフ時代のFCバルセロナより、現代のグアルディオラのマンチェスター・シティが上だと言っても、「そんなの試合してみねーと分からねーだろ!!」と思う。
ちなみに、FCバルセロナには、ホマーリオ、ストイチコフなどの素晴らしいストライカーが居た。
恐らく、現代のマンチェスター・シティより優れたフォワードが居た。
という訳で、西部謙司、結城康平というのは、細かい部分を持ち出して来て、「進歩した」と無理矢理、理屈をこねて言い張るという連中である。
私は、こいつらの理屈を聞いても、筋の通った、納得行く理屈ではないという感想である。
そして私は、上述したが、毎回、「そんなもの、試合してみねーと分からねーだろ。そんなくだらない納得できない理屈で、昔のチームを下扱いするな」という気になる。

 という訳で、これが、日本のサッカー評論家の体質であり手法である。
私は、恐らく、日本のサッカー評論家のこのくだらない酷い手法は、この先も変わらないだろうと思う。
 今後も、新たな西部謙司、結城康平が登場して来て、日本のサッカー界では、同じことをするだろう。
 それが、日本人サッカー評論家の体質である。
 基本的に、「現代が進歩している」と読者に思わせた方が、自分達の本が一番売れるので、こいつらは、それをやっているだけである。
 私のブログの読者には、こいつらのその意図に気づいて頂きたい。 

  それでは、皆さん、さようなら。




 参考資料です。
   ↓



サッカー評論家で、結城康平という人間が居る。
私は、こいつは、異常だと思っている。
この男は、「ポジショナルプレー」という「古い戦術」を宣伝している人間である。
1990年代にアヤックスがやっていたポジショナルプレーという戦術について、今更、「新潮流」と言って宣伝して本・コラムを発信している変な人間である。
私は、この男の態度が異常だと思っている。
現在、インターネットをやると、世界中のサッカー指導者・コーチ、そして選手のインタビューというのを読める。
海外では、スポーツ新聞が、無料で記事を公開している。だから、一般人が、全部、読めるのだ。
「ポジショナルプレー」というモノについて語っている監督・コーチ、選手の話も、全部読めるのだ。
だから、一般のサッカー・ファンは、結城康平の話を聞かなくても、「ポジショナルプレー」について簡単に理解できるのだ。
その他に、日本のサッカー・ファンの中には、自分でポジショナルプレーという戦術について学び、その学んだことを、インターネット上で語っている人間も居る。
そんな状況の中、この結城康平という男は、それらの光景を見ると、やたらと上から目線なのだ。
「日本人が、ポジショナルプレーについて誤解されると困る」などと言って、一般人がポジショナルプレーについて発言している事に関して、悉く(ことごとく)、それを否定するのだ。
 そして、「自分だけが、ポジショナルプレーについて正しく理解している」というスタンスを、一貫して取り続けて居るのだ。
私は、これが、本当におかしいし、異常だと思う。
そもそも「ポジショナルプレー」というモノが、難解ではない。
私は、アメーバ・ブログで、ポジショナルプレーというモノについて書いている。だから、興味がある人は、読んで頂きたい。そして、ドメネク・トレント、ハビエル・マスチェラーノなど、ポジショナルプレーという戦術に関係した人のインタビューも載せている。
外国人がポジショナルプレーについて解説している英語動画も紹介している。
(注: 現在は、私のアメーバ・ブログは消滅しました。アメーバ・ブログの運営から、ある日、突然、一方的に全てを消滅させられました。その為、現在は上記の記事を見る事はできません)。
という訳で、私は、ポジショナルプレーに関係しているサッカー界の人物のインタビューを読んだ。
そして思ったことは、ポジショナルプレーは、全く難解ではない。
しかし、結城康平は、「自分だけが、ポジショナルプレーについて正しく理解している」という態度であり、他の一般の日本人サッカー・ファンを見下し続けているのである。
私は、このような結城康平の態度を見ると、「こいつ、一体、何なんだ?」と思う。
私の推測であるが、この結城康平という人物は、「サッカーというのは、難解である」というメッセージを、常に日本のサッカー・ファンに送り続けている。それを意図的にやっている。
実際、サッカーなんて、その戦術の理屈は、難解ではないのだ。物理、化学、数学などと違って、サッカーなんて説明されれば、誰でも分かるレベルの話である。
しかし、結城康平は、「サッカーは難解だ。日本人サッカー・ファンは誤解している」という見解だけを見せる。
つまり、この男は、「日本人に、『サッカーは難解だ』と思ってもらった方が、自分の都合が良いのだ」。
この男は、日本人が「サッカーは難解だ。結城康平の説明を聞かないと、サッカーというスポーツを理解できない」と思って、自分の本を買う方向へ、持って行きたいのである。
自分のメルマガの読者になってもらいたいのである。
それが、結城康平にとって、一番儲かるからだ。

私は、結城康平には、このような原動力が、常に働いていると思っている。
その為、結城は、一般の日本人サッカー・ファンが、「俺は、ポジショナルプレーが分かった」などと言っているのを見かけると、即座に「ポジショナルプレーを誤解されては困る」と発言して、それを否定にかかるのだ。
私は、この一連の結城康平の振る舞いを見ていると、「こいつは異常だ」と思う。
果たして、未だかつて、こんなサッカー評論家が居ただろうか?
ここまで上から目線で、「サッカーというスポーツが難解である」というメッセージを送り続け、そして、一般のサッカー・ファンが「理解した」と言うと、否定にかかるという人間である。

私は、この結城康平の態度というのは、極めて珍しいし、異常ではないかと思う。
繰り返しになるが、私は、結城康平の裏には、「日本人は、ポジショナルプレー、そしてサッカーを難解だと思ってもらわないといけない。そうでないと、俺の儲けにつながらない」という心理的作用があると思っている。
その為、結城康平というサッカー評論家は、常に「一般のサッカー・ファンが理解した」と言っているのを見ると否定するというおかしな行動をやり続けるのだと思っている。

 
 それでは、皆さん、さようなら。



参考資料です。
   ↓
























【 日本のサッカー評論家たちの酷さ。】
       &
【 西部謙司、結城康平の酷さ。】


私は、サッカー評論家、西部謙司が、私のブログに書いた内容を、すぐさま、自分のコラムにそのまま書いて発表しているのを見て、本当に驚いた。
ここまで迅速に、人のブログ記事を真似して「自分の意見」として偉そうに発表しているのを見て、本当に驚いた。
私は、これまで西部謙司に、ブログ上で「盗むな」と牽制して、西部を批判していた。
それにも関わらず、西部は、お構いなしであった。
私は、このような事をされると、もう自分のブログでサッカーについて書く気力が減退して来る。
私が何か書けば、西部謙司がすぐさま盗み、真似して「自分の意見」として発表する訳だ。
実は、私は、他のサッカー評論家も、他の人の意見をさも自分の意見として盗んでいる評論家を知っている。それは、結城康平である。
私は、自分のアメーバ・ブログで、マルセロ・ビエルサ監督について特集した事があった。
かれこれ3回ぐらい集中的に特集をした。講演動画までアップしていた。
すると、この時期、結城康平というサッカー評論家は、自分の有料コラムで、ビエルサ監督が言っていた意見を、自分の意見として偉そうに書いていたのだ。
有料コラムというのは、途中まで読める形式にしてある場合が多い。これ以上、読みたい人は、お金を払えば更に読めますというスタイルが多い。
それで、私は、途中まで読める所を読んだら、結城康平が書いている事が、ビエルサ監督が述べている事と全く同じなのだ。
ビエルサ監督は、「反復練習というのは、頭を使わないでこなすので 創造性を失う危険性がある」と主張している人である。
結城康平は、それと同じ事を、自分のコラムで「自分が考え出した意見」として書いているのである。
私の予想であるが、結城は、私のブログの読者であり、私がマルセロ・ビエルサ監督について特集していたのを見て、影響されて、その時期にビエルサ監督が過去に発言したモノを調べたのだろう。
そして、ビエルサ監督と全く同じ意見を、偉そうに「自分の意見」として読者に説明しているのだ。
私は、マルセロ・ビエルサ監督を特集するにあたり、色々なビエルサの発言を調べていた。
だから、結城が使った内容も、勿論、知っていたという訳だ。
だから、結城が、ビエルサ監督の意見を「自分の意見」として書いているのが、すぐ分かったという事である。
結城のやり方は、西部謙司が私のブログから盗んでいるにも関わらず、自分の意見としてコラムで偉そうに読者に説明しているのと同じである。
つまり、この2人は、他から盗んでいるが、出典を明確にせず、「自分で考えました」という感じで読者に発表しているのだ。
それが、こいつらの実態である。本当に信用できない人間達である。

また、この2人の特徴として、「現代サッカーは進歩している」ということを主張して、それにより本を買わせる方向に持って行く文章を書いている。
結城康平に至っては、「1990年代のアヤックスのポジショナルプレーと、2000年代のグアルディオラのFCバルセロナのポジショナルプレーでは、FCバルセロナが進化したモノだ」
と述べていた。
その理由は、1990年代のアヤックスは、ポジションが固定的だが、2000年代のFCバルセロナは、ポジションが流動的でプレーしていたという理由を挙げていた。
私は、これを読み、「どちらが優秀かは、そんなモノは、両チームが試合しないと分からないだろ」と思った。
私は、結城康平という人間が、「ポジションが固定的だと進歩していない。ポジションが流動的だと、戦術的に進歩している」という考えが、的外れでバカだと思った。
サッカーでは、ポジションが固定的なチームと流動的なチームが試合した場合、ポジションが固定的なチームでも、流動的なチームには勝利できる。
基本的に、サッカーは勝負ごとだから、勝利したチームが優秀である。
「FCバルセロナはポジションを流動的にしてポジショナルプレーをしていたから、1990年代のアヤックスより戦術的に進化している」というのは、珍論である。
それでは、「流動的にプレーしたチームの方が、常に価値が高い」という事になる。
という訳で、結城康平というのは、的外れな事を言っているおかしな評論家である。
西部謙司も、「2010年代のリバプールのプレッシングは、1990年代のACミランのプレッシングより進化したモノだ」と説明をしていた。
私は、これを聞き、同様に「そんなモノは、2010年代のリバプールと1990年代のACミランが対戦してみないと分からないだろ」と思った。
1990年代のACミランは、相当に強かった。セリエAで、リーグ戦で、2年半の間、無敗だった。
だから、私は、「そんなモノは、両チームが対戦しないと分からない話だ。どうしてリバプールが上だと勝手に決めてんだ」と思った。
という訳で、日本人サッカー評論家というのは、出典を明示せず、自分の意見として偉そうに発表している人間が多い。それが、こいつらの常識です。
そして、「現代のチームが、過去より戦術的に進歩している」という意見ばかりを述べます。
そのようにして「過去のチームを否定した上で、現代のチームは戦術的に上だ」というスタイルで文章を書いています。
私は、それを見る度に、「両チームが試合をして勝った方が、上だろ」と思います。
結城康平、西部謙司らは、「戦術は進歩している」と煽った方が、読者が現代のサッカーに関心を持ち、自分の本が売れるので煽っているだけです。
それぐらい、こいつらは、浅い連中です。 


 それでは、皆さん、さようなら。 




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